特集・イタリア料理:イタリア料理業態の変遷と現状

1999.05.03 177号 3面

最近発表された、日経流通新聞の外食ランキングから、イタリア料理系の企業をピックアップしてみた(別表参照)。ただし、ピザのデリバリーはアメリカで独自に発達したものではあるが、その主力がピザという関係でここに掲載した。その他イタリア系のコーヒーならエスプレッソということもあるが、ここではそこまでのこだわりはないので割愛した。

ランキング一五〇位以内、年商九〇億円のレベルで区切ると、七社しかイタリア料理系はない。それも、アメリカ外食業の代表的な形態とさえいえる、デリバリーピザが三社も占めている。またこの中で、イタリアントマトは、当初のイタリアンレストラン路線からイタリアンカフェのような業態に転換しているので、イタリアンとは呼べない。

であるからイタリア料理専業の企業というものが、非常に少ないことが分かる。ではイタリア料理はそんなに珍しいものなのかといえば、全くの見当違いである。イタリア料理ほど身近なものはないのである。スパゲティ、ピザといった料理を今の日本で特別にイタリア料理とは呼ばない。

スパゲティはパスタであり、ピザはピッツァやペスカトーレ(薄い生地のピザ)などと呼ばないと、何だかイタリア料理らしくないが、スパゲティナポリタンやミートソース、それにミックスピザは、昭和30~40年代の喫茶店ブームの中で日本人ならだれでも親しんだ食べ物である。

だからこれらのイタリア料理は、余りにも身近すぎて特別意識しないのだろうが「イタリア」産であることに変わりはない。昭和50年代のファミリーレストランのブームのときも、その売上げベスト10メニューを見ると、上位にこのスパゲティとピザが登場する。だいたいハンバーグが一~三位で、ミックスピザが四~五位。ミートソースが七~八位に顔を出していた。

いつの時代も日本人は、イタリア料理と無縁ではない生活をしてきた。麺や、粉を伸ばして焼いたもの、それとチーズが好きな日本人にイタリア料理はとても合う料理なのだ。しかし、提供する方が大きな勘違いをして、以下に述べるような“混乱”が起きている。

このランキングには出てきてないが、ダイエー外食企業が平成9年に日本に導入した「スバロー」というアメリカのイタリアン外食チェーンがある。当初、イタリアンファストフードとして随分マスコミが騒いだものだが、その実態はといえば「それ本当!」といえるくらいなものである。

フードコートというのは、郊外型のショッピングセンターのなかの、ファストフードが集まった飲食広場のこと。そこではいろいろな料理が、カウンター方式で売られている。そのお店から自分の好きなものを買ってきて、広場のテーブルやベンチに思い思いに座って食事するのである。

このフードコート専用に開発されたイタリアンファストフードが、スバローである。全米で約七〇〇店舗が展開されている一大チェーンだ。しかし、アメリカのショッピングセンターは一万件もある。そのなかで、七〇〇店舗は大したことではない。それにこのイタリアンの店に食べに来るのは、グルメな人でもなんでもないのだ。ここを取り違えると、前述のマスコミ報道になる。

アメリカ社会ではマイノリティー(少数人種)なイタリア人が、「お腹いっぱいになるために、『安い』『早い』『うまい?』スバローにスパゲティやピザを求めに来る」それがスバローなのだ。映画「ゴッドファーザー」でおなじみのように、アメリカのイタリア人は貧しくて、まともな定職にも就けない時期があった。それは現在でもあまり変わっていない。

「マフィアにでもならないと暮らしてゆけない」。だから、ゴッドファーザーというすごいマフィアが存在するのだ。六本木や原宿にスバローの日本上陸一、二号店があるが、アメリカではこんな華やかな街に出店するスバローは決して存在しない。だからスバローで食べてみて、「ここのお店、おいしいね!」ということ自体ナンセンスなのだ。この店は、イタリアンの吉野家なのだからである。(4面につづく)

サイゼリヤは、イタリアンでは珍しくチェーン方式で伸びたファミリーレストランである。つい最近は、株を店頭公開し業績もすこぶる良い。売上げ伸び率や利益も良く、株価も二五〇〇円台で推移して兜町でもちょっとした話題になっている。

なにしろ一人当たりの生産性が、ずば抜けて高いのである。出店要請に対し、家賃はこれこれでないと出ないという強気の交渉をすることでも有名である。

お客さまにも根強く支持されている。その人気の秘密は、なにしろメニュー価格が安い。ピザ(六インチくらい)とスパゲティは、ともに三八〇円。その他のメニューもめちゃくちゃに安い。またその割に味もそこそこだから、若者や家族連れには人気がある。

しかし、利益が順調で株価が高い企業が本当に優れた飲食店なのかというとちょっと疑問である。本当に満足すべきは、投資家ではなくお客さまである。生産性がファストフード並みということは、お店には従業員が極端に少ないという証である。

あるお店で見たのだが、ランチタイムのお客さま三八人に対して、フロアはたった一人の場面に出合った。もちろんテンヤワンヤな店内である。周りのテーブルのバッシング(後片付け)はできていない。テーブル上に、食べ残しやグラスが散乱。ベルを鳴らしたがそれでも来ない。そこでレジのところまで行って店員をつかまえた。

小走りに戻ってきたその手に、あふれんばかりの下げ物。「あそこのテーブルだけど、ミックスピザとカルボナーラを一つずつね!」と告げた。若い男性は「ハイ、わかりました!」とビックリするような大声で返事をし、足早に洗い場に駆け込んだ。

しばらくして注文品が届いたが、味はまあまあ。二品とも三八〇円を考えると、確かにお値打ち感はある。けれど届けてくれた男性店員のユニホームは汚れっぱなしで、靴も汚れたスニーカーを履いている。これを見ると、味が良くて安ければ何でもいいという、サイゼリヤの経営姿勢が露骨に見え、心からの満足はなかった。

急いで食べるランチなら、サイゼリヤでも構わない。でも土・日の夜や家族連れでは、絶対に行きたくない店だ。ある意味では、サイゼリヤはイタリアン喫茶店であり、イタリアンファストフードだ。少ない人員でお店をまわすのは、十分なサービスができないばかりか、従業員から笑顔が消え、「お客をこなせば良い、この場さえ乗り切れれば良い」という意識が芽生える。これは、飲食業の持つホスピタリティー精神と無縁である。

この嫌な体験をしたのは、名古屋の尾張旭という新興住宅地である。サイゼリヤより駅寄りに、地元の本格的なイタリアンレストラン「マリノ」と、ベーカリーレストラン「サンマルク」があった。

両方の店にも行ってみたが、びっくりするほどお客が入っている。なにしろ午後1時30分過ぎでも、ウエーティング(待ち客)である。

両方の店ともほぼ満席で活気がある。サイゼリヤのような、人がいない状態は両方の店では見られない。ザワザワしてはいるが、活気のあるザワザワである。入口でお客さまを迎え入れ、「いらっしゃいませ、申し訳ございません、ただいま満席でございます。ご案内致しますので、こちらで少々お待ち下さいませ」という笑顔のサービスがある。これなら、安心して待っていられる。

またマリノでは、入口でピザの薪がまに火が燃えており、ピザのドウを練って手づくりピザを焼いているのである。サンマルクでは、焼き立てのパンが篭に入れられてウエートレスが客席をまわっている。「お客さま、焼き立てのパンのおかわりはいかがですか?」と笑顔でサービスをしている。店内は清潔で気持ちが良い。

サイゼリヤに行ったことをつくづく後悔した。「多少お金が高くっても、こっちのお店が断然良い!」と思う。おそらくサイゼリヤが開店したころは、値段の安いサイゼリヤにお客さまが殺到したことだろう。その時もあんなめちゃくちゃな「人がいない状態」だったのだろう。

でも今は、この両店にお客さまが帰ってきているのである。それは効率ばかりを追い、本当のお客さま本位の経営思想ではないサイゼリヤから、お客さまが離れた証拠でもある。

イタリアは、地中海にのぞむ温暖で豊かな国である。その国民性は、陽気で明るいことで知られている。だからイタリアンレストランに人気がある。

今まで書いてきたことを総括すると、やはりある程度の金額で食べさせるカジュアルイタリアンの方に断然分がある。やはり本命は、このカジュアルイタリアンで決まりではないだろうか。

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