だから素敵! あの人のヘルシートーク:俳優・丹波哲郎さん

2000.11.10 63号 4面

山田洋次監督が描く四作目の「学校」で、屋久島で独り暮らしをする不思議な老人役を演じている丹波哲郎さん。不登校の家出少年がその人と出会うことで大きな収穫を得ることになる、キーマンの役所だ。映画出演作品はおよそ五〇〇本に上るという日本の銀幕舞台の大ベテランだが、山田監督作品は今回が初出演。そうした目で眺めた大船松竹最後の撮影周辺と、ご自身の映画デビューのエピソードを聞いた。(このインタビューは松竹の大船撮影所が閉鎖される三日前に撮影現場で行われた)。

‐‐今日の撮影は、丹波さんのペースで進んでいたように見えましたが…。

いやいや、全然そんなことはありませんよ。皆さんに合わせてです。それじゃあ、“バイカルの鉄”の「カチューシャの唄」聞いてたんだ。どうだった?うまい?訳ないな。お恥ずかしいところをお見せしました。俳優というのはそのくらい図々しくないとできないんですよ(笑)。

大体私がどうして役者になったかっていうとね、一筋縄ではいかない話なんです。デビュー作は「殺人容疑者」という作品です。二九歳ぐらいでした。警視庁が大応援してくれたドキュメンタリーサスペンスです。

その殺人容疑者役は最初、新劇俳優でいこうということで、俳優座へ探しにいった。そうしたら殺人容疑者になるような人間はいないと言う。文化座の山形勲はどうか。それじゃ会おうというので、スタッフが山形勲に会いに来たら、これは違う。刑事部長格があるんだよね。文化座には東京生まれは私しかいなくて、それで断りの使者になった。

その間、劇団のみんなはずーっと、私の顔を見て「殺人容疑者はああいう顔だ、ああいう顔だ」と言うわけ。(笑)一応、俳優の卵だったんですけど、誰も俳優だとは思ってなかった訳です。それが動機でやることになったんだ。なぜかというと、その時に周りのみんなが、殺人容疑者の顔だと言うからです。狼みたいだって。まぁ、予算と見比べて使いやすかったということもあったんでしょう。そういういきさつでいま、芝居をやっているわけです。分からないものだよね。

‐‐物語の中で「親友」と「戦友」の違いというお話が出てきましたね。丹波さんにも分かる部分ですか。

私の場合は軍隊の経験者だし、何となく分かりますね。それこそB29、グラマンの爆撃を受けて、窮地に追い込まれたようなことをやりましたから。同期生には本土の前橋からフィリピンに渡り手榴弾で自殺しているのもいるし、シベリアに抑留されたのも何人かいます。国のために本当に命がけで戦った。

私の演じる「鉄男」は古い友人の二人に、「周やん、マーちゃん、お前たちは親友や。親友は、自分に危険がない場合、いまの幸福をプラスしようと思う時に役に立つ。しかし、親友と戦友は違うど。戦友には体裁というものがなか、命をわけあう相手や。もう自分そのものや。これは戦争に行ったものでなければわからんど」と言う。自分が日本に帰ってきた時にも、自分の息子とか女房とか肉親に対する思いよりも、シベリアで戦死した戦友のことばかりが頭に浮かんでくる。そんな男です。

それほど環境的には寂しい時に、一五歳の家出少年、大介が現れて、思ってもみないような心からの品性というか情愛を示される。そういう状況だったら「ああ、こうなるんだな」と思いますね。そういうことを率直に皆さんに画面でお伝えできていれば、映画としては成功だと思います。

‐‐撮影中の食べ物に関する思い出と、厳しいスケジュールの中での健康管理法を教えて下さい。

屋久島では魚ですよ。圧倒的に、新鮮な魚です。特にシマアジがおいしかったねえ。これは屋久島でなければ食べられないというようなものです。撮影中の健康管理法というと、適当な運動ということになるんでしょうけれど、今度の撮影の合間にも屋久島のすばらしい自然に触れるべくよく歩きました。さすがに縄文杉のあるところまでは行けませんでしたが、千年杉や千尋滝など世界遺産を思う存分堪能でき大変充実した毎日でした。自分の体力はまだこれだけ残っているんだというのを確認できた意味では、非常に有意義な期間でしたね。

そんなロケーションの中で、山田監督が元来得意な「情」のお話を演じました。「情」が得意と言ったらおかしいけれどもね、でもそうでしょう。だから、それにのっとって、私は演りました。初めに「監督さえ満足してくれればそれでいい」と、それから始まりました。監督はすぐ目の前にいるから、満足しているかどうかこっちもすぐ分かる。満足してないようだったら「もう一遍やろうじゃないか」と言って、それこそ満足するまで何遍もやりました。結局それがいいものにつながる。

私ももうそろそろ向こうへいく歳ですから、「これはいいお土産になりました」と先ほど監督に玄関先で言いました。笑われましたけどね(笑)。

◆丹波哲郎さんのプロフィル

1922年、東京都生まれ。52年「殺人容疑者」でデビュー。35年ほど前から心霊学を研究し、89年には死後の世界を描いた映画「大霊界」で自らメガホンをとる。また、94年には舞台「大霊界」が話題を呼んだ。

○「十五才 学校4」の物語

東京の夜間中学。北海道の高等養護学校。東京・下町の職業訓練校。様々な「学校」を舞台に懸命に生きる人たちの姿を描いてきたシリーズだが、今回は初めて教室の外に舞台を移す。「学校なんて面白くない」と登校することを止めてしまった少年は、七千年の歳月を生きてきた縄文杉に逢いたくて遠い屋久島を目指す。その冒険の過程の中で、彼はそれぞれの場所で必死に生きている人たちに出会う。年齢も立場も境遇も違う人々。旅に出なければ決して知ることのなかったたくさんの人生。その重さ、切なさをかいま見ながら、少年は大切なことを学ぶ。そこには彼だけの「学校」があった。

○山田洋次監督の話

いまの中学生がどんなに辛く苦しい目にあわされているか、という思いがありました。社会に当てはまるだけの人間に育てられようとしている。素直な良い子ならいいのか、そんなことで人間を推し量っていいのか、と。

(大船撮影所最後の作品になったことに関して)映画を見ていただく方に関しては関係ない話ですから、そんなことは考えてはいけないとは思っていましたが、実際には僕の気持ちとしては歯を食いしばって悲しさに耐えて創った作品です。

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