ようこそ医薬・バイオ室へ ゴッホはメニエール病だった?

1998.10.10 37号 14面

一昨年、就寝中に回転性の「めまい」に襲われたことはすでに書いた。寝返りをうつと気持ち悪くなり、朝になって起きようと身体を起こすと、頭の中が回転していて後ろに倒れてしまった。その後あんなめまいは起こらないのだが、疲れた時などに身体がベッドに沈んでいくような感じのすることがあり、またあの「めまい」がするのではと不安になる。

そんなこともあって、最近坂田栄治著「めまいは恐い」(講談社)を読んだのだが、その中に、「ゴッホはメニエール病だった」という記述があった。

調べてみると、福岡市にある誠十字病院の安田宏一氏が一九七九年に発表した説で、弟のテオに宛てた書簡などを分析して、従来ゴッホは精神病が原因で耳を切ったり自殺したと言われてきたが、実はメニエール病だったのではないかと主張している。

まず、メニエール病について簡単に説明すると、一八六一年にフランスのメニエールが発見した病気で、当時繰り返されるめまいは脳の異常によるものと思われていたが、メニエールはこれが内耳の異常によるものであることを発見した。

以降、「めまい・耳鳴り・難聴」の三症状を呈するものは「メニエール症候群」と呼ばれていたが、現在ではあくまでも内耳の水ぶくれ(水腫)が原因のものを呼んでいる。最近日本でも欧米並みに増えてきているが、中耳腔にステロイドを注入するという治療法が良い効果を上げているようなので、「めまい外来」や平衡神経科等の専門医を訪れるべきである。

そこで、ゴッホであるが、一八八八年12月にゴーギャンと口論した後、自分の左耳を切り落として、知り合いの女性に送るという猟奇的な行動を取っている。

耳を女性に送るというのは、闘牛士が惹かれる女性に倒した牛の耳を送る風習があって、それに則ったものかもしれないが、自分の耳を切るというのは尋常ではない。前掲の安田氏によると、メニエール病の発作は患者にとって時に耐え難いもので、「耳を引きちぎりたい」と思うのも無理からぬことらしい。思うのと実際に切るのとは随分距離があるが、その距離をひとっ飛びしてしまうところがゴッホの激しさかもしれない。

さらに、安田氏はその後の絵に着目して、特に有名な「星月夜」は星や雲が波頭のように渦巻いている。これは内耳障害特有の眼球が揺れるめまいの時に見えた様子を描いたものであろうと推察している。

同時期の他の絵では、垂直な線はまっすぐ引かれているのに、横の線は波打っている。これも内耳障害で、身体の上下動の補正ができなくなるジャンブリング現象によるものとしている。実際、手紙の中に「めまいがする」「縦揺れがする」という記述が数カ所にあるらしい。

ゴッホが画家を志したのは二七歳の時で、自殺したのは三七歳(一八九〇年)だから、その画家生活は一〇年に過ぎない。しかも、今日ゴッホの絵として評判が高いのは、めまいがひどくなった晩年の二年半の間に、異常な速度で描かれたものがほとんである。

「天賦の画才の爆発」が見られたこの時期に、ゴッホは「次に発作が起こるともう絵は描けないかもしれない」と手紙に書いている。発作への恐怖と、「いましか描けない」という焦りが過度の制作と疲労につながり、かえって発作を誘引したようだ。メニエール病はうつ症状も併発することがあり、これが自殺の後押しになった可能性は高い。

妻は「ストレスがメニエール病の大きな原因やったら、大阪人には少ないかもしれへんな」と言うので、「阪神ファンには意外に多いかもしれん」と言うと、「あれには慣れとる」らしい。

((株)ジャパンエナジー医薬バイオ研究所 高橋清)

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