だから素敵! あの人のヘルシートーク:ラリードライバー・篠塚建二郎さん
’97ダカールラリーで日本人初の総合優勝を成し遂げた篠塚建次郎さん。三七歳の時に初挑戦して以来一二回目の出場で得た快挙だ。レース中のエピソードが中心となった今回のインタビュー。篠塚さんの穏やかな話ぶりとは裏腹にその内容はさすがに厳しい。一六日間にも及ぶハードなレースを耐え抜く健康管理とはどんなものか。勝負の緊張感を支えるには、走行時間外のリラックス内容に大きなポイントがあるようだ。篠塚さんが所属する三菱自動車工業(株)が特別協賛した’97スターキャンプグラウンズの会場(7月23~25日開催)の青空のもとでお話を聞いた。
車の中の温度がね、五○から五五度Cにもなっちゃうんです。外気温が約三五度Cくらいだとエンジンの熱が加わってこれほどの温度になるんだけれど、湿気はなくてカラッとしているのがまだ救いかな。でも吹いてくる風さえも熱いですよ。折り返し地点で一日休息日を入れて一六日間、全行程八五○○km。そのほとんど、砂漠と荒れ地を走り続けるんです。その日によって違いはあるけど一日に約六○○kmぐらいの距離、東京・神戸間ぐらいかな、それを平均速度一○○kmぐらいで走ります。
途中脱水症状になるとまずいから車にミネラルウオーターのタンクを積んで、そこからホースを出していつでも飲めるようにしていてね、一日に三~四リットルぐらい飲みますよ。それくらい飲まないとダメになっちゃう。え、食事?日中は一秒でも惜しいので、車を止めて昼食を食べるなんて訳にはいかないから食べないでしょう。朝食はだいたい6時過ぎに食べて8時頃スタートする。晩ご飯はその日のゴールポイントにたどりついてから。ゴールする時間によるけれど8時頃かな。その間まぁ、一三時間くらいは水だけ。でもお腹がすいたな、と感じるのは最初の二、三日だけで身体が慣れてくるんですよね。
食事はすべて主催者側が用意してくれるんです。その日の分をキャンプ地まで持って来てくれて。とりあえず火の通った料理です。衛生面はあまり良くないだろうな。ハエがいっぱいたかっているようなところで、しかも水がないので手も洗わずに食べることもあるから。
お腹をこわす人は大勢いますよ。関係者の半分以上は現地でお腹の調子を崩した経験を持っているでしょうね(笑)。僕は経験ないですけれどね。経験すると大変ですよ。なにしろ砂漠だからトイレがない。僕はおかげさまで“規則正しい”ので朝キャンプ地にいる時に大きいのをして、スタートした後は小さいのをその辺で。みんなそうですよ。もちろん女性もね。だけど誰も気にしませんね。可哀想だとかも思わないし。そういうもんだ、って感じです。
ラリー中はずっとテント暮らしです。風呂もないから臭いですよ。たまに現地の人がバケツの水を売りに来るんだけれど、日本円で一杯四○○円ぐらい。それも三、四日に一回ですから。レーシングスーツなんて汗がしみこんで相当臭い。だからゴールの三日前から風呂が楽しみになってくるんです。
食事の内容は、フランスが主催者だからどうしても肉料理が中心になりますね。朝は目玉焼きとハムとパン、ジュースにコーヒーか紅茶と決まっていて、夕食が牛肉とか鳥肉とか変わるけれど五種類くらいしかないから六日後には同じメニューになってしまうんだよね。それに必ず缶ビール一本かミニボトルのワインが一本ついてくるんです。おいしいですよ、結構。日本食が恋しくならないかって? 途中「そばが食べたいな」なんて仲間と話すことはあるけどね。ま、その程度かな。いろんな国に行くけれどその国、その国のおいしい物を楽しんだ方がいいから。
日本にいる時はつい安心してなのか、好き放題食べてしまって太ることもあるんです。太るのは競技をやるのに良くないから、普段からあまり油ものを取り過ぎないように気を付けていますよ。サラダのドレッシングをかけるのを少し少なめにするとか、ちょっとしたことだけしかやらないけれど、ずいぶん違うでしょ。年齢も年齢ですから(笑)。
僕はね、タバコはやらないけれど、酒は毎日楽しみたい方です。量はそれほどでもないけれど。酒もそれぞれの国で違うでしょう。これも食事の楽しみの一つだね。南米の酒でピンガーという名前だったと思うんですが、サトウキビをベースにした焼酎でね、ライムを搾って飲むんです。これが結構好きなんですよ。酒って楽しいでしょ。だから毎日飲みたいんだな。もちろんだけれど「飲んだら乗らない」ですよ。
先の分からないコースを走るからリスクを恐れてアクセルを緩めるとか、小さいコーナーで回りきれなくてブレーキを踏むとか、瞬間にどう判断するかなんです。
僕は勤続二六年の三菱自動車の社員だから思いっきりやって車を壊すという訳にはいかない。アクセルを踏み続ければいいというものではないんです。でも今回は車に自信があったから本当に気分よく走れましたね。前半から思いっきり走った。残り四日というところで一位から三位までを三菱が独占してしまって。すごいことだけれど、チーム内で争うことはアクシデントのもとになってしまう。そこでメンバーが集合したミーティングの場で、監督から、三台一緒に走ること、それまでの順位から僕の車を優先的に走らせることを言われて。そこからは精神的にしんどくなりましたね。
ゴールした時は「嬉しい」よりも「ヨカッタ」と思ったくらい。でもその次には「来年も頑張ろう」って考えちゃうんだよね。
●篠塚建次郎さんのプロフィル 昭和23年、東京都生まれ。昭和46年に三菱自動車工業(株)入社。三七歳でダカールラリー初挑戦。二回目の出場で日本人初の総合優勝。いままでに二位が一回、三位が三回の高成績を持つ。’97年ベストファーザー賞にも輝く。