ようこそ医薬・バイオ室へ:日本列島“昆布ロード”の秘密

1996.09.10 12号 8面

先日、沖縄のケラマ諸島の座間味島へ遊びに行った。那覇から船で一時間と近いことから、座間味島で美しい珊瑚と熱帯魚をシュノーケリングで堪能することがここのところ、年中行事となっている。

ま、それはさておき、沖縄といえば周知の通り長寿日本一の百歳元気の県であるので、その要因としての「食」に着目した研究が多くなされている。無論、食生活だけでなく、地理的環境や県民性なども大いに長寿に関係しているが、こちらはなかなか模倣することが難しいので、食生活ならば「イイとこ取り」できそうな気がするのであろう。

で、その「イイとこ」として、沖縄の食事の特徴的なのは豚肉、豆腐、昆布である。全国の平均摂取量と比較すると、豚肉は一・六倍、豆腐は二・二倍、昆布は一・七倍で、とくに豆腐と昆布の消費量は全国一である(家計調査年表平成3年)。豚肉については十分に煮て脂抜きをすることが多く、健康によいといわれる典型的な高たんぱく低カロリーの食事となっているようである。

ところで、豚肉、豆腐はまだしも、北海道で採れる昆布が最も遠く離れた南方の沖縄で消費量が多いというのは不思議なことだ。調べると、函館短期大学の大石圭一教授が詳細に調査されていた(「昆布の道」第一書房、放送大学教材「食物の探求」)。

少し長くなるが要旨を紹介すると、昆布の流通は北海道の開拓史と密接に関係していて、道西の細目昆布(昆布だし用)は七世紀に東北日本海側にもたらされ、一三世紀に宇賀昆布(おぼろ昆布)が北陸に、江戸時代に入って道東へ開拓が進むとその生産量も増え、三石昆布が佃煮用として大阪に、長昆布(ナガコンブ)が煮物用として沖縄へ渡ってきた。

現在も沖縄で食されるのはおもに長昆布を煮たもので、これは薩摩藩が那覇に昆布座を設けて琉球支配の拠点にして、中国と進貢貿易をしたために多量の長昆布が沖縄に入るようになったからである。このように、生産や流通の歴史をまとめて「昆布ロード」と言われている。

さらにK‐Tダイヤグラムなるものを作成して、これは各都市の昆布(K)と昆布佃煮(T)の購入金額の順位とその標準偏差をグラフにしたもので、左下の関西圏は昆布、佃煮とも消費量が多く、右下の那覇は昆布消費量は多いが、佃煮としては食べられていないことがわかる。

関西で昆布や佃煮が多く食べられるのは、江戸時代の流通に原因があって、当時の北前船が北海道から日本海側を通って天下の台所大阪に入り、そこから各地に運ばれた。

北前船については司馬遼太郎の「菜の花の沖」に詳しいが、おもな目的は北海道で獲れるニシンを運ぶことであった。当時木綿が庶民の服装として一般化し、綿花栽培が盛んになったが、この綿花がやたら肥料を必要とするものであった。そこで、ニシンを肥料として大量に大阪に運び込む際に、昆布も一緒に荷揚げされたらしい。

というわけで、北前船や樽回船の終点であった水戸では、現在でも昆布も佃煮もあまり食べられていないことがグラフから読み取れる。

最後に昆布の効用について触れると、根昆布がダイエットによいとヒットしたのは記憶に新しいが、その他、血圧、コレステロールを下げる、便通を改善する、カルシウムを補う、高度のアルカリ性食品である、制がん作用がある‐‐など多くの学術文献がある。

それぞれを解説するスペースはないので、いつか当新聞で特集を組んでもらうとして、一つ実験を紹介すると、女子栄養大学の寮生(当然ボランティアである)で比較的血漿コレステロール値が高い一九人を対象に、沖縄の食事の代表である前述の豚肉、豆腐と長昆布をおのおの加えた食事を食べてもらった。

その結果、長昆布を加えた食事をした人は、たった一〇日間で有意に血漿コレステロール値が下がったという(女子栄養大学紀要一九九〇)。

蛇足だが、この実験の中で糞便の採取も行ったが、便秘の学生が多く、きれいなデータにはならなかったという苦心談も載っていて、この手の研究に多くの女子大生が様々な苦労をして貢献していることをぜひ付け加えたい。

((株)ジャパンエナジー医薬・バイオ研究所=高橋清)

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