7月25日。今日はかき氷の日
7月25日は日本かき氷協会が制定したかき氷の日。「な(7)つ(2)ごおり(5)」の語呂合わせと、制定時の日本最高気温40.8℃は1933年7月25日に山形県で記録していたことからかき氷を食べるのにふさわしい日として定められた。
戦後、かき氷はアイスキャンデーやアイスクリームの後で流行した
終戦後(1945年~)は折からの物資不足で小型冷凍機さえあれば、水に甘味と香料を入れてできるアイスキャンデーが全盛となった。その後乳製品の統制が撤廃されてもアイスキャンデーは残ったため、市場のアイスクリームの品質は玉石混交であった。
一方、ソフトアイスクリームは進駐軍と一緒に入ってきて、この機械(ソフトフリーザー) をつくるメーカーもできた。乳製品会社では、このためのアイスクリームミックスをつくり、いわゆるソフトアイスクリーム・ブームが1970(昭和45)年頃まで続いた。そのためフリーザーが喫茶店、食堂はもちろんソバ屋の店頭にまで進出したが、 品質上からも衛生面でも問題があり、アイスクリームの新製品がいろいろ出まわるようになると、いつのまにか流行は消えて いった。
これと前後するようにあらわれたのがアイススティックである。デンマーク製のバー・フリーザーが、1955(昭和30)年頃から大手メーカーにぞくぞくと輸入されたため、ただちに全国にひろがった。製品は1本10円という安価で、しかも品質がよかったため、アイスキャンデーを追いやり、1954年頃からの連 続フリーザー導入による量産とあいまって、アイスクリームはきわめて華やかな時代を迎えた。
またアイスクリームの小売りにコーンが使われていることから、それとよく似たモナカの皮を利用することが考えられ、まず中小メーカーが、ついで1958 年頃は大手メーカーも採用、ス ティックに代わって流行品種となった。そのほか、シェルもの(チョコレートで殻をつくり中に アイスを入れたもの)、3色もの、ドライコーターもの(アイスクリームの表面にチョコレートをコーティングしたもの)などのバラエティー製品が量産され、1965年頃からはみぞれタイプ(かき氷)が業界の寵児となった。
(日本食糧新聞社『食品産業事典 第九版』(引用箇所の著者:林 弘通 ))