トップインタビュー すかいらーく代表取締役会長・横川端氏

1995.08.07 82号 3面

‐‐FRすかいらーく一号店が一九七〇年に東京・府中で産声を上げて二五年になりました。年間売上高一四〇〇億円、グループ総店舗数一二六六店舗(6月末)と外食産業のトップを走り続けておりますがここまでくるには大変なご苦労があったでしょう。

横川 日本の高度成長下の中で成長した二五年という歳月では逆境とか、ちょっとしたつまずきに弱い部分があったが、特にこの二、三年の方が最も苦しいです。企業は一本調子で伸びるわけではなく、ひずみや遅れをどこかでしっかり修正することを蓄積して本当の一流企業になれると思っています。

‐‐外食を一大産業化にした実績は大きい。先見性が秀でておられたんですね。

横川 まったく見えていませんでした。私どもはことぶき食品というスーパーを創業し、すかいらーくに転業、この意味では二度創業しています。また、二度とも人・物・金の三ないずくしでスタートしていますから真っ暗な海にボートをこぎ出すようなもので、いつひっくり返っても良いという状況でした。

当時アメリカに行くとチェーンストアがあり、外食産業が花開いていました。まさに虹のようなもので、それを追って真っ暗な海に出ていくのは正気の沙汰とは思えないし、覚悟がいりました。あの時の思いは今でも鮮明に思い出します。マクドナルドさんを始め、外資系の外食店がボチボチ日本に上陸し始めていましたが、その恐ろしさを知りませんからまったく怖くなかった。今だったらとてもできません。自分のことだけを考えていれば良かった良い時代だったんです。

幸いにして素人考えで麦畑に忽然と現れた郊外レストランは当時としては衝撃的なくらいお客さんが訪れ、そこで働きたいといわれる人も目白押し。この店が数年を支えてくれて、食わせてくれた。今、フードビジネスを始めようとしたら数億円から数十億円必要で、何とか成功したら数年かかって消えるという世界。一店舗の稼ぎで起業できたという時代背景にも恵まれていましたね。

‐‐それにしても兄弟四人で始められたというメリットは大きかったでしょう。

横川 商売の鉄則として同族は難しいし、限界があるといわれています。それはいつも頭の中にあり、メリット、デメリットを常に考えてやってきました。

浮上するまでは大きなメリットでした。人間一人は精神的に弱い。難しくなるとめげてしまう。誰かが支えないとどんどん後ろ向きになってしまう。社員も元気がなくなり、運もつきもなくなってしまうおそれがある。苦しんだ時期、四人いると誰かが攻めようとポジティブに考えるのが必ず出てくる。これで乗り切ってきたところはあります。

しかし、同族が上で固まっていると下が育たない。同族は四人だけ。他は一切入れていません。一代で一つの仕事を築きたい。われわれのロマンはここまで。企業としては脱同族経営を目指しています。

‐‐センセーションを巻き起こした「ガスト」の進行状態はいかがですか。

横川 事業にはライフスタイルがある。どんなに良い物を作ってもある年数がくるとその使命は終わってしまう。商品にも組織にもある。それがバブルで見えなくて手当が遅れた分、傷が深くなっているというのが現状です。「ガスト」についてはさまざまな評価をいただいております。しかし、われわれはあくまで「自由に気軽に」という外食店におけるニューサービスを追求しております。

省力化、サービスレスは紙一重のところがありますが、その基本姿勢は変わっていません。行き過ぎた部分も確かにあったし、現場までニューサービスのコンセプトを徹底できなかったということは確かにありましたので、反省し、修正をしているところです。

‐‐「ガスト」が新しい提案をしたことは間違いのない事実ですからね。

横川 まちがいありません。われわれは、「ガスト」「スカイラークガーデン」「すかいらーく」「ジョナサン」「バーミヤン」「藍屋」などで、あらゆる外食動機に対応していきたい。あくまでガストは外食動機への一つの提案であり、その対応です。

‐‐ところで来るべき二一世紀にはどんな予感をお持ちですか‐‐

横川 身に付いた習慣は取り払えないので、外食のパイは広がります。企業も有機野菜を使ったり、カロリーに配慮したりと家庭の主婦以上に健康にも配慮するようになりました。そういう意味では、企業の寡占化、淘汰はより進み、産業化に本気で取り組んだところがパイを伸ばすとみております。

‐‐すかいらーくは何を武器に乗り切りますか。

横川 自己評価すると、開発力、想像力はあります。創業から、終始一貫独自で開発してきた体質があります。グループとして多数の業態を持っていることが力であり、差別化になっています。これを二一世紀には証明して行かなくてはいけない。後二年したら今の苦しみから脱却して新しい道、展望が開けるとみています。

‐‐どうもありがとうございました。

奇しくも一号店出店満二五周年記念日、四人で合わせて一〇〇周年の7月7日にインタビューを行った。しかし、横川会長は「あれ、そうでしたか」とつれない返事。過去を振り返らず、虹を追った若き青年がそのまま今日も走り続けているようである。

一号店は今日の「すかいらーく」のみならず、当時の若者にどれだけ夢と希望を与え、外食産業に数多くの起業家を生み出したことか。今は第三創業期に匹敵する「苦しみ」の渦中と本人は語るが虹はそこに見えてきたようである。

(文責・福島)

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