センティナリアン訪問記 百歳人かく語りき:兵庫県・石川敬三さん(102歳)

2007.02.10 139号 6面

「もう、いきなり2人ができてるんですから、あれはいけませんよ。僕の解釈と全然違うの。もう腹が立って、腹が立って」

と、アメリカ映画「トリスタンとイゾルデ」を笑いながら批判するのは、中世ドイツ語が専門の元京都大学教授、石川敬三さん。13世紀にゴットフリート・フォン・シュトラースブルクが書いた情熱的な叙事詩『トリスタンとイゾルデ』をドイツ語から日本語に翻訳した人だ。

「この恋物語はヨーロッパ全体に広がっている話なんです。ところが、各国には断片的にしか残ってない。一番たくさん残っていたのがドイツなんです」と石川さん。5年ほどの歳月をかけて仕上げた原稿は、出版社に採算が取れないと断られ、同僚が協力してくれて自費出版の形で公にした。1958(昭和33)年頃のことだ。

その18年後、東京の郁文堂が改訂版の出版を引き受け、2段組、400ページ近い立派な本となった。石川さんの詳細な解説はそのうちの38ページに及ぶ。この本は76(昭和51)年度日本翻訳出版文化賞を受賞した。

「いやぁ、僕も『トリスタンとイゾルデ』のテーマがなかったら勉強続けられてません」。

石川さんは1905(明治38)年、岡山で生まれた。両親は加賀の出身。

「父は官吏で役人ですから、各地をぐるぐる回っていました。横浜で兄2人が生まれて、岡山で僕が生まれて、双子の姉も岡山で生まれたのかな。小学校に入るときに母が亡くなったんです。それで函館の親戚に預けられたんですよ。生のニシンがおいしかったなぁ」と懐かしむ。

敬三少年は、中学2年の時、新潟で医者になっていた20歳年上の長兄に引き取られた。肺せん症を罹って休学中にたくさんの本を読んだ。「図書館で一番初めに読んだのが漱石でね。『三四郎』とか『坊ちゃん』なんか……」と述懐する。

「三高時代は楽しかったですよ。始めは寄宿舎にいましてね。1部屋6、7人で生活してたんですよ。よく勉強しましたね。西田哲学とかね。西田先生は歩きながら話されるんですよ。行ったり来たりして、考えながら……。同じ哲学でも田辺先生は、きっちりした講義でね。2時間だったかなぁ。休みもなしに話されるの。あの対照は面白かったな」と言葉が弾む。

「家内とは兄と同じ北陸の出身だったんで結婚したんです。それまでお互いに知らなかった。綺麗な写真を送ってきました。若い時は綺麗だったです。私と一緒になってから、家内も勉強しましてね。言葉や、読み方なんかをよく勉強してたなぁ。それで1000枚近い翻訳原稿を何度も清書してくれました」。

4年前、腰椎を骨折し、京都の山科の施設で暮らすようになった。その半年後には、最愛の妻、嘉栄さんも入所したが、2年前に亡くなった。

「いまだにね、いろんな人の恩を感じています。恩返しをしたい。もっともっと恩返ししたい」。

子供時代から周りの人に大切にされてきた恩返しをしようと、石川さんは100歳まで生きることを大きな目標に定めた。

「100歳にもう1年という時は、もう待ちきれなかったなぁ」

施設の部屋には天眼鏡と本、そして夫人の写真が飾ってあった。帰り際「きょうはありがとう」といって石川さんは両手を合わせた。眼鏡の奥の目が限りなく優しかった。

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