ようこそ医薬・バイオ室へ:新しい香料の動き
ある講演会でのこと。
演者が細長い濾(ろ)紙の先に、ある香料を少し付け、四〇人くらいの聴講者全員に配った。私も聴講者の一人。その濾紙を鼻先に持っていったが何のにおいも感じなかった。
演者が、「においを感じた人は手を上げて下さい」というと、ナント、一〇人くらいいた女性は全員手を上げたが、男性では数人のみであった。これがいわゆるフェロモンといわれるもので、男性ホルモンの一種である。
濃度が高ければだれでもそのムスク(じゃ香)調のにおいに気付くが、薄い濃度では女性の方が敏感に感じるものらしい。
東邦大の鳥居名誉教授が脳波を使って調べた結果、男性ホルモンのアンドロステノンは男性に興奮作用が、同じくアンドロステノールは女性に興奮作用があることが分かっている。
しかも、においを感じなかった人の脳波に変化はなかったので、においそのものが生理作用を持つことが確かめられた。
ま、だからと言って、「惚れ薬」としての効果のほどは定かではない。
このように、においが人間に生理作用を及ぼすことは古くから知られていて、特に女性同士が一緒に生活していると、生理周期が同じになることは寄宿舎効果(ドミトリー効果)と呼ばれている。
ちなみに以前から女の子の間では、旅行や試合の前に早く来るものが来てほしい時に、生理中の友達の後にトイレに入ると早く来るという、おまじないのようなことが実際行われているらしい。私は男性なので効果があるのかないのか知らないが、もしあれば、これもドミトリー効果と呼べるものであろう。
ついでに言うと、先ほどの男性ホルモンの女性に影響を与える例として、アメリカのモネル化学感覚研究所で行われた実験がある。男性の腋(わき)の下に脱脂綿を挟み、生理周期の異常な女性八人に一週間に三回そのにおいをかいで、四カ月間の生理周期を調べたところ、そのバラつきが非常に小さくなったという。
これが正しければ、おそらく共学の高校と女子高とでは、その辺に違いが出るはずだと思うが、残念ながらそんな統計を取った人はまだいないらしい。
話が思わずそれてしまったが、脳波を使っての香料の人間への効果は、前述の鳥居先生と大手香料会社である高砂香料の共同研究で調べられ、「香りの謎」(鳥居鎮夫著、フレグランスジャーナル社)にまとめられている。
今後は香料の開発も、単なる芳香剤やオシャレ用というだけでなく、健康や生理的な効果効能を持った機能性香料の方に目が向けられることであろう。
実際、そのような研究例としては、青山学院大学の二宮教授が行った実験が面白い。パソコン画面に1~9の数字が一つずつ出てくるので、その数字のキーを押すと、次の数字が出てきて、またその数字のキーを押すという、非常に単純な操作を約一時間繰り返す。
当然被験者の学生は眠くなってきて、違う数字のキーを押したり、反応時間が遅くなったりして、居眠り状態に近づいてくる。実験中さまざまな香りを、香りに慣れないように断続的に放出して、香りがある時とない時で、脳波や正解率、反応時間などにどんな影響が出るかを調べている。
一般に、リラックスしている時は振幅の大きいアルファ波、緊張したり興奮していると振幅の小さいベータ波が脳波に出る。単純作業でも起きている時はベータ波が出ているが、居眠りに陥りそうになるとベータ波の間にアルファ波がところどころに現れる。このアルファ波を群発アルファ波と呼んでいる。
この群発アルファ波の出現頻度を比較すると、ジャスミン系やレモン系の香りを断続的に流した時に、その出現頻度は減り、居眠り抑制効果があるという結果が出ている。
この研究で用いた香料を使用して、今年の2月、エステー化学から「めざめっくす」の商品名で、居眠り抑制香料発散装置が発売された。一方、入眠促進では、昨年資生堂から「グッスリープ」が、やはり科学的データを基に発売されている。
いずれも医薬品ではないので絶対効くというものではないと思うが、新しい香料の動きとして注目されている。
こうして原稿を書いている横で、先ほどまで、「今回は私をオチに使わんといてや」と言っていた妻は、すっかりグッスリープしている。どうも彼女には「めざめっくす」の方が必要なようである。
((株)ジャパン・エナジー医薬・バイオ研究所=高橋清)