だから素敵! あの人のヘルシートーク:俳優・西田敏行さん
国民的お正月映画「男はつらいよ」の“寅さん”が永遠の放浪に旅だって一年半。その後を引き継ぐ「お正月の顔」的存在として力強い思いのもと、山田洋次監督がスタートさせた「虹をつかむ男」も今年は二作目「南国奮斗編」の上映を迎えた。映画を愛してやまない主人公の映画館主、銀活男(しろがね・かつお)を演じる西田敏行さんに撮影現場での監督との掛け合いぶり、ロケ中の食事話などを聞いた。
山田監督がやってこられた「男はつらいよ」はずっと日本のお正月の定番でした。僕自身もお正月に「寅さん」を観られなくなって寂しい気持ちを持った一人。そのところへ監督から「これからは君が“お正月”をやってくれないか」と言われ、本当のところアセりましたね。「釣りバカ日誌」を「寅さん」との併映でしばらくやらせていただいていたとはいえ、これはまだメーンバッターが上にいたという気分。それが、いきなり四番バッターに指名された感じで。
一作目と比べて今回の銀活男は、ますます性格や体臭が寅さんに似てきた気がします。撮影も南国・奄美大島でロケを行ったので、突き抜けた明るい作品になったのではないかと。
銀活男は、地方の小さな街で映画館を営んでいる映画を愛してやまない男。僕自身大変な映画少年でした。子供の頃には本当に娯楽の筆頭で、少年期の情操はほとんど映画からもらったと言っても言い過ぎじゃないくらい、いろんなことを教わったり感じたりしていました。その意味でメンタルな部分では銀活男となんら違いはないと思っているんです。役を作るというよりは自分探しをしている感じですね。
コメディーというのは本当にシリアスな作品よりもむしろ難しいと思います。喜劇役者の憧れの目標としてはジャック・レモンが好きでね、彼のような役者になりたいという想いがずっと頭の中にありました。あの人の笑いというのは普通の喜劇とはちょっと質感の違いを感じる。妙なドタバタでも大笑いでもなくて、ふっとゆるんでしまう笑いというか。
山田監督の気配り目配りを見ていても本当に細かいところまで行き届いていてね、なるほどこれだけしなければ人に笑っていただくことができないのかということを、勉強しています。野球で言えば渥美さんとずっとバッテリーを組んでこられたわけで、急にピッチャーが変わって寂しい部分もあると思いますね。その穴をどれだけ埋められるかという責任を感じますけれど二作目では大分、呼吸が分かってきた。全部を統括しなくてはならない監督というポジションは大変な神経を使う大仕事。その負担をいくらかでも軽くしてあげたいという気持ちはあるんですが、実際に撮影現場に行くと、ああやりたい、こうやりたいという役者のスケベ心が持ち上がってきてね、そのうち「何でこれをやらしてくれないのかなぁ」とか(笑)。自分の中ではこうすればもっと面白いのにな、と勝手に判断して思うんですが、テンポや流れをトータルにみるとああ、やっぱりなと後で監督のすごさが分かります。
「虹をつかむ男」第一弾は、映画を愛してやまない映画館主(西田敏行)と彼のもとに飛び込んできた一人の青年(吉岡秀隆)との心の交流を、主人公が営む映画館で上映される往年の名画の数々とともに描いた作品。第二弾の「南国奮斗編」は、舞台を美しい海に囲まれた奄美大島に移し、主人公の活ちゃんこと銀活男が移動映写で島々を巡りながら織り成す人間摸様を、まぶしい南国の太陽のような明るさとおおらかさで描く。出演はほかに小泉今日子、倍賞千恵子、松坂慶子など。
ロケ地の奄美では山羊が常食なんですが、この刺身というのを初めて食べてビックリしましたね。あと、「ケイハン」というきざみ卵とか具とかをたくさんご飯に乗せたお茶漬けのようなもの。鳥ガラでとったダシスープをかけて食べるのだけれど、これがけっこうおいしいんです。それから「油ソーメン」。沖縄のチャンプルーのソーメン版みたいなものなんです。ずいぶん食べましたね。お酒は黒焼酎。これが強いんですよ。だから夜はしらふだった記憶がないですね。
とにかく、うちのおふくろは食欲がなかったらダメという方針で子供を育てたんで。毎日どんぶりで飯を食べさせて、それを残さずに子供が食べたら「よし元気だ」というような母親でした。それで母親の前で一生懸命物を食べるようにしているうちに、大食漢になっちゃったんですね。ほんの少しのご飯でお腹が一杯になるという友だちもいたんですが、そういう子をみるとおふくろは「あの子は病気かもしれない」と言ったり。そんなだからいま、ダイエット的に考えると大分失敗しています。
それでもとにかく頑強な身体に生んでくれたことを、まず両親に感謝したいですね。この前も人間ドックに入ったんですが、軽いイボ痔くらいで(笑)。
せっかくの丈夫な身体を生かして、頂いた仕事を一つひとつキチンとやっていこうという気持ちです。ちょうど昨年五○歳になりました。四○代はそうでもなかったんですが、五○代というとちょっと何か違いますね。まぁ惑わずの四○代を完全に惑いながら生きてきたんで、五○代もそんなに変化はないでしょうけれど。それでもぼちぼち自分のベクトルをきっちり絞りこんで仕事をしていきたいなとは思っています。
●西田敏行さんのプロフィル
1947年、福島県生まれ。84年東映「天国の駅」、86年東宝「植村直巳物語」、88年東宝「敦煌」、89年松竹「釣りバカ日誌」、93年松竹「学校」、96年松竹「虹をつかむ男」。