だから素敵! あの人のヘルシートーク 俳優・天宮 良さん
聴覚障害というハンディキャップを「個性」として前向きに捉え、トライアスロンを糧に人生を切り開いていく一組の男女の物語「風の歌が聴きたい」(大林宣彦監督作品)の主人公役を好演した天宮良さん。演技の世界を越え、4月に宮古島で行われたトライアスロンレースに映画の主人公や競演者たちと挑戦。“鉄人レース”を見事走り抜き、新たな境地を発見したという天宮さんにじっくり話を聞いた。
ショートのレースは去年出ているんですけれど、本物の長いのはこれが初めての経験でした。まぁやっぱりキツかったですねぇ。最初のスイムが三キロ、次のバイク(自転車)が一五五キロ、最後のランがフルマラソンの距離です。一四時間を超えるとタイムアウトで最終トラックに入れないんです。僕は早くて一二時間後半、まあ一三時間半くらいかなと思っていたんですが、予想に反して一一時間台の後半に帰れまして、自分でもビックリしました。
練習は仕事の合間合間になんとかしてきました。そのトレーニングをする間に分かったのが、人間の身体というのは食べるものに本当に正直に反応するんだなっていうこと。例えば一○○キロのバイクの練習でね、前夜の仕事の流れで二日酔い気味だったり、朝食をしっかりとらなかったりして出て行くと、前半は自分の身体がほとんど使い物にならないんですよ。もう、すぐ疲れちゃってパワーもなければ元気も出ない。で、仕方がないからコンビニ寄っておにぎりの昼食を食べて一休みすると、さっきまであんなに動かなかった足がええっというほど回るようになるんです。食べ物の人間の身体に作用する力というのをまざまざと教えられた感じです。
レースの本番で一番助けられた食べ物? うーん、バナナかなぁ。というか、バナナしかなかったんですよ(笑)。スイムが終わると朝ご飯を食べた時からもう四時間半くらいたっているのでエードステーションで何かをとらなくてはいけない。でも最初のうちは少しでも前の選手との距離を縮めたいという方に神経がいっているから食糧にあんまり意識がないんですね。それでとりやすいバナナばかりとってしまって。少し冷静になってコメの飯が食べたいな、と思った時にはもうおにぎりはなかったりして。早い選手にはいろんな食品が用意されているんですけれど、僕らみたいに真ん中へんだと残っているものがやっぱり限られてくるんですよ。(笑)
エードステーション以外でも、バイク以降では腰のまわりにポケットがついたベルトを付けているんで、そこに沖縄の黒砂糖とか柔らかいモチ、チューブ入りの梅干し、パワーバーとか、甘いものと酸っぱいものの両方を入れておいて、ちょこちょことりました。お腹がすいたと思った時にはもう遅い、そうなる前に食べたり飲んだりしておかないとダメだと経験の長い仲間から聞いていたんで。水分は普通の水と自分で作ったスポーツドリンクと両方、飲みたくなくてもとりあえずとっていったからか、ランの前にはパンパンの水腹になってしまいました。初めてだから、とらなくてはいけないラインのバランス感覚が見えなかったんですね。
何ていうのかな、呼吸が深くできないんです。吐いた方がラクなのかなっていう状態をずっと我慢して走っていくみたいな。汗は出ていくから水分は入れなくてはならないんだろうけれど、もう量は補給できない。
最終的に一番キツかったのは三五キロを回った最後の七キロぐらいかな。あれ、これから先いつものタイムでいけば一一時間内にラクラク入れるな、いけるなと思った時からスケベ根性の欲が出て(笑)。楽しむというより自分との闘いの本当のレースになりました。一一時間内を狙おうと。結局それがいまの自分の最大の限界だったと思うんですが、そこに挑んじゃったものだから、その七キロはその限界の中を行ったり来たり、行ったり来たり。
自分の中に二人の自分がいて会話して葛藤しているんですよ。「どうする? 歩く?」「歩いたら一二時間切れないぜ」「でも楽しきゃいいんじゃないか」「いやいや、でもお前、また来年挑戦できるか分からないよ。これが最後かもしれないよ。だったらやっぱり乗れるもんなら一一時間台乗ってみたいんじゃないかー」って。追いつきたいとか、もうすぐ抜かされるかな、なんて前半は気にしていた仲間のことも全部思考からなくなりました。完全に自分との孤独な闘い。その時点では、もういつものペースではまったく走れなくなっていましたから、結構一時間近くあったんじゃないかな、その七キロの葛藤の時間が。
トライアスロンをやってみて一番良かったのは、自分で自分の限界はこんなものだろうなと思っていたのが、実はそれよりはるか上にあったっていう発見をしたこと。肉体的にも精神的にもあっ、なんだ、俺まだこんなに出来るんだっていう思い、嬉しかったですね。
この年齢で体験したということも良かった。もしこれが二○代半ばの一○年前だったら、身体は十分動くだろうけれどその分精神的には尖っていて無茶なトレーニングとかレースとかしてしまっていたでしょうね。負荷をものすごくかけていってそれを乗り越えることが何かすごいんだっていうようなやり方。そんなことをしたら故障したりオーバーペースになったりして果たして完走できるかどうか分からなくなるということがいまなら分かる。
身体を使って仕事をしてきていまの年齢になるとやはりどこか故障箇所がある。僕の場合はヒザなんですが、そんな自分の故障箇所っていうのは親友みたいなものじゃないですか。ダメな時には補ってやる、なぜ痛くなるのか考えて補強できるよう筋肉を付けるトレーニングをするとか。本番だったら、この痛みならこのくらい保つと推し量るとか、来そうだからペースを落とすとか。そういった具体的な方法をもって気遣える、自分のマイナス部分とうまく付き合える年齢になったんだなって思いますね。
もちろんこれを高嶋君(「風の歌が聴きたい」主人公のモデル)たちと出会って一緒に体験したということも大きい。高嶋君たち聴覚障害者は、五感のうちの一つがない。だから残りの四つをフルに最大限に活用して、この一個を十分に補って生きているわけです。逆から見ると彼らには僕らには完全に欠如している能力が一つある。それは音を見る、音を見て想像する能力です。結局聞こえちゃうということは流している、集中していないということじゃないですか。
とにかく高嶋君たちには挑戦する、チャレンジする、そういう気持ち、そういう行動を教わりました。教わりました、なんていうと大げさだけれど。挑戦なんて、いまちょっとなんかかゆい感じのする言葉でしょ。でもそういう言葉の意味をあらためて見せられて。例えばこんなこともあるよって、もっとみんながいろんなことにチャレンジしてくれたら嬉しいのになってさりげなく示すような、そんな人なんですよね。
二○代の時はチャレンジっていうよりも挑んでいたっていうか、なんか毎日が喧嘩を売っているような勢いがあった。それが段々知らず知らずのうちにそういう気持ちに縁遠くなり始めているのかなって気付いて。人間って怠け者の動物だなぁって思いますよ。いや、自分が怠け者なのはよく知っていましたけれどね。やっぱり人間やればできるんだっていうのがね。言葉でいうと簡単だけれど、やってみるとなかなかどうして、自分の中にはまだまだ眠っている、自分では気付かない能力というのがあるんだなと。
走ったり泳いだり自転車乗ったりする能力だけじゃなくてね、ほかにもまだまだ自分も誰も気付いていない眠っている能力というのがあるんじゃないのかという気がします。だからってあせって何か見つけようとしてもそれは分からないだろうけど。何かそういうものがあるんだって思いながら日々の生活をしていくとね。精神的にも肉体的にも強くなれる気がします。
仕事もね、いつまで走り続けられるかっていうことだと思うんです。結局、歩こうと思ったら歩けちゃう、休もうと思ったら休めちゃう訳で。とはいっても自分ひとりではどうにもならないし。こちらの方もやはり、監督やスタッフや競演者といい出会いがなければ始まらない。せっかく自分の力を信じられたのだから、そんないい出会いをしていきたいって思い続けることが大事なのかな、と思います。
●天宮良さんのプロフィル
一九六二年、東京生まれ。八四年、ドラマ「昨日、悲別で」で主役デビュー。以後、テレビ、映画、ミュージカル、コンサートと幅広く活躍。代表作は「山田村ワルツ」「滝廉太郎物語ー我が愛の譜」、舞台「グリース」など。