ようこそ医薬・バイオ室へ「DNA鑑定って何だろう」

1998.11.10 38号 6面

一九九一年に、モスクワから遙か東、ウラル山脈を越えてシベリアに入る町であるエカテリンブルク郊外で、地下一メートル足らずの深さから九体分の遺骨が発見された。骨には銃弾や銃剣のあとがあり、相当の暴力を受けた痕跡があった。金やプラチナによる歯の治療を受けていたことから、かなり高い身分に属することは分かったが、遺骨の身元を示すものは何一つ残されていなかった。

しかし、この発見で世間は騒然となった。なぜならロシア革命の最中に、ロマノフ王朝の最後の皇帝だったニコライ二世家族とその従者が殺されて、このエカテンブルグ郊外に埋められているといわれていたからである。

一九一八年の夏、ロシア皇帝ニコライ二世、皇后アレクサンドラ、皇太子、四人の皇女、侍医と三人の召使いの計一一人が革命派により銃殺された。銃撃で即死しなかった者は殴り殺されたという。遺体はシベリアへの搬送の途中、トラックの故障のために立ち往生して、道端に穴を掘って埋められたという。皇帝一族と分からないように衣服などをはぎ取り、顔をつぶし、硫酸までかけたという念の入れようだったらしい。

九体の遺骨を前に登場したのがいまはやりのDNA鑑定である。骨からDNAを抽出し、XとY染色体由来のDNAの有無により男女の判別が行われ、さらにDNA多型による親子鑑定が行われた。その結果、五人は夫婦とその三人の娘で、残りの四人は血縁関係がないことが分かった。もし、この夫婦が二コライ二世とその皇后であるなら、血縁関係のない四人はその侍医と三人の召使いということになる。

そこで、今度はミトコンドリアDNAが着眼された。ミトコンドリアは独自のDNAを持っている核外の細胞内小器官。しかも、精子からは次代に伝わらず、必ず母方の細胞質から伝わることになっている。

というわけで、少しややこしいが、皇后アレクサンドラはイギリスのヴィクトリア女王の孫娘であった。しかも女王の娘の娘ということで、ヴィクトリア女王のミトコンドリアDNAがそのまま受け継がれているはずである。一方、皇后アレクサンドラの妹もまたヴィクトリア女王の女系の孫だが、この人の孫にエジンバラ公フィリップ殿下がいる。そこで、エジンバラ公の協力を得て、そのミトコンドリアDNAと比較することになった。

その結果、エカテンブルグ郊外で発見された母親と三人の娘のミトコンドリアDNAとエジンバラ公のそれとがバッチリ一致したのである。つまり、四体の女性の遺骨はヴィクトリア女王の女系の直系であることが明らかになった。しかし、これだけではニコライ二世の家族だったという決定的な証拠にはまだ弱い。

次に持ち出されたのが、なんと大津事件の証拠物件であった。大津事件は、一八九一年、当時ロシア皇太子であったニコライ二世が来日した時に、巡査津田三蔵に刺された事件である。ときの大審院長の児島惟謙は、死刑を要求する政府の干渉を退けて、法律に基づいて無期徒刑の判決を下し、司法権の独立を守ったとして有名である。

ま、とにかく、この大津事件の時に、ニコライ二世の血を拭いたハンカチが残されていて、このハンカチに着いていた血と例の骨のDNAが鑑定され、みごとに一致したのである。

というわけで、見つかった遺骨は一九一八年に殺されたニコライ二世家族であることに間違いないことが判明し、これらの遺骨は歴代皇帝の墓のあるサンクトペテルブルクのペドロパブロフスク聖堂に埋葬することが決まったという。

これを読んだ妻は、

「DNAって、マグロの目玉にたくさんあるやつやろー」

と呆けたことを言う。

あれはDHAやて。

(新エネルギー・産業技術総合開発機構 高橋 清)

購読プランはこちら

非会員の方はこちら

続きを読む

会員の方はこちら