だから素敵! あの人のヘルシートーク:俳優・伊藤孝雄さん
年間二三〇の舞台をこなし、残りの約一〇〇日は舞台稽古。全国各地で行われる舞台に次々と出かけるハードな生活。現在は「グレイ・クリスマス(五篠家の人びと)」で日系二世の進駐軍将校役を演じる伊藤孝雄さん。役柄のせいもあってか、ハッとするほど精悍なお顔だちで現れた。舞台役者という代役のきかない仕事をどのように務めているのか、舞台での面白ろいエピソードを交じえながらお話していただいた。
僕の信条は「病気は犯罪だ」ということなんです。去年のことですが、「欲望という名の電車」という舞台の稽古を終えて自宅に戻り、カツオの刺身を食べたんです。そしたら夜中に身体中がむず痒くなって。これはジンマシンだなとすぐ思いました。ジンマシンは疲れた時に何度かありましたから。いままでなら水をたくさん飲んで悪い物を出して寝ていれば割とすぐに治ったんですよ。でもこの時はジンマシンが気管にできてしまったんです。呼吸ができなくなってしまって。声を相当使っていましたから、弱っていた気管に出たんですね。
集中治療室で、お医者さんが「伊藤さん! 伊藤さん!」って一生懸命呼びかけてくれて、「おいくつですか」とか聞いてくれるんですよ。意識がなくならないように呼びかけて下っているんでしょう? でも僕は「あぁ、いくつって答えようかな」なんてそんな時でも考えていたりね。(笑)でも呼吸ができないからとにかく苦しいんです。四時間くらいたったのかな、やっと呼吸ができるようになったんです。
でもね、次の日は福島県の郡山で舞台だったんです。お医者さんに退院したいって言ったら「あなたは昨日危篤だったんだよ」って言われてね。それでも行かなきゃいけないから退院しました。熱がまだ三九度四分あったんです。できるとこまでやってみようと思って、行ったけれどこれがつらくて。でも何とか舞台に立つと、出来るんですね。不思議なことに。
入院したままなら千人近いお客様のこと、劇場費や運営費など経済的なことまで頭に浮かんで、いくらの損失になるか私には分からないけれど、それを私一人では背負えない。また次の機会に来ますから勘弁して下さいとはならないでしょう。
いまは劇団の仕事を基本に年間、約二三〇ステージ。二三〇とあっさり言うけれど舞台稽古もあるから、一日一回はどこかで必ず芝居をしているわけです。僕は一九九八年の11月現在のいま、西暦二〇〇〇年の6月一杯まで予定が入っています。例えば西暦二〇〇〇年の6月10日は福岡県の何々パレスで6時15分には第一声を言う、と決まっているわけですよ。これは幸せなことだけれどもね、当然責任も感じます。決まっているスケジュールをことなくやり抜くために、病気は僕の考えるところ“犯罪”なんです。
前号の林望さんのインタビューでは風邪をひかないように、人混みにはなるべく行かないって言ってらした。それに比べ僕の若い頃はずうずうしい考えでね、風邪を引かないようにするためにパチンコ屋に行くんだ、なんて言ってました。その年に流行っている風邪菌がパチンコ屋に行けば全部あるでしょう。だから全部吸って、そして気をつければいいんだ、なんてね。最近はパチンコもやらなくなったけれど、何でも自分のやっていることに正当な理由を付けて結局はやるんですよね。
いまはそんな無茶はしませんよ。友人が故郷で医者をやっているので、一年に一回身体を全部見てもらっています。去年までは肝臓のGTPとかγGTPが正常値より高かったんです。僕は酒もタバコもやらないので、どうして高い数値なのか分からない。まあ、うまくつきあっていけよ、と言われていたんです。それが、大阪の別の友人が面白い物があるから飲んでみないかと、サソリの粉末を送ってきてくれましてね。一年半、毎日二匙ずつ飲んでいます。そしたら今年の検査では高かった数値が正常値になっているんです。「どうしたんだ?」って医者に聞かれても思い当たることはサソリの粉末を飲み始めたことぐらいなんですよ。それに目も良くなったんです。身体の機能は歳とともに衰えるのが道理だけれど、良くなるということは何か理由があるわけでしょう。体力の衰えもいまのところ感じないし、だから老いを感じない。ひょっとするとサソリ粉末のおかげかもな、とこれだけは健康を意識して続けていることかな。
「生きるということは自分の中の死んでいくものをくい止めることだ」っていうセリフが「早春スケッチブック」という芝居の中にあるんです。僕は脳腫瘍で死んでいく役なんですが、その時に息子に向かって言うセリフです。
どうしたって年とともに身体の中の細胞は死んでいくし、脳髄は衰える。感じる力や人の不幸に涙を流す能力も衰えてしまう。それをあの手、この手を使ってくい止めることが生きることだと思うんです。
世の中にはいくらでもすごい感動が転がってますよ。今日ここにくる途中、おばあちゃんが二人、日向ぼっこをしていた。あぁ、おばあちゃんたちにとって同級生は二人だけになっちゃたのかな、とか。いつまでも元気でねとか、何か温かいものを感じられる、そういうことが僕らの仕事には大切なんですね。だから好奇心っていうのかな、感受性を持ち続けるための努力はしたいし、それが老いの防止になっていると思いますね。
くよくよすることなく、老いていく身体にも耳を傾ける。すると、自分はこういうものなんだよ、と教えてくれる。人間の身体はうまいことできているんです。
僕はセリフ覚えの良い非常につまんない役者だと言われるんですよ。人の不幸は密の味なんて言うでしょう。誰かがトチったりすると楽屋に帰ってきて、お前笑わせないでくれよ、笑いをこらえるのに苦労したよ、なんてその瞬間をいかに通り過ぎるかが、何回もやっているとある種、楽しくなってきちゃうんです。
僕も長い間舞台に立ってますから、セリフは間違えないけれど、いろんなハプニングは起こりますね。一度は京都の会場で、そこは舞台が始まると一幕終了するまで遅れてきたお客を中に入れないんです。その時の僕の役は始まって三〇分くらいしてから客席側から登場することになっていたんだけれど、会場の人もそんなこと知らないから、さぁ出番って時に中に入れてくれないんですよ。押し問答の末、いよいよもうダメだと無理矢理その人を押しのけて舞台まで駆け上がったんです。そしたらそのはずみでベルトが切れてしまって。僕もびっくりしてずーと前を押さえたままやったことがありますよ。もし気を抜いたら、ブリーフ姿になっちゃいますからね。自分でもおかしかった。
ほかにはお芝居の途中で袴に着がえるのに、時間がすごく短かかったんです。急いで、はい、できました!って舞台に出ていったらどうも様子が違う。一方に両足を入れてしまっていてね。舞台用の袴なので帯がマジックテープになっているんですよ。だから足をつっこむだけで良かったからよけい気がつかなかった。でもゆったりした袴だったのでおかげ様で客席の皆さんにはバレずに済んだと思います。
こんなことがある度思うんだ。お芝居は舞台の袖から見るのが一番お面白いんじゃないかってね。