ようこそ医薬・バイオ室へ:髪の毛が語る真犯人
最近の和歌山保険金詐欺事件で、被害者の髪の毛からヒ素が検出されたと報道されている。しかも何月何日頃にヒ素が盛られたことまで分かるのだから、分析技術も随分進んだものである。もともと頭髪は体内の水銀などの重金属を排出する働きがあり、同様にヒ素も頭髪に排出されたのであろう。
髪の毛のヒ素で思い出されるのはナポレオンである。ナポレオンはワーテルローの戦いに敗れた後、セントヘレナ島に流され、失意のうちに病死したことになっている(一八二一年)。しかし、以前からあった「ナポレオン毒殺説」に興味を持ったある歴史学者が、ナポレオンの髪の毛を放射線で分析してヒ素を検出したのである。分析に使われた遺髪は、スイス人の家に「お宝」として伝えられていたもので、デスマスクをとる時に残したものと言われ、まず本物と間違いないといわれている。
ヒ素が検出された部分は、毛根の上四センチから八センチのところであった。大体髪の毛は一カ月に一センチ伸びるので、ナポレオンは死ぬ八カ月前から四カ月の間、ヒ素を飲ませ続けられたことになる。
ところで、髪の毛の寿命は平均でいくと三~六年といわれている。一年で一二センチ伸びるとして、切らずにいても七二センチ以上の長髪というのはかなり難しいことになる。高校の頃、膝ぐらいまでの非常に長い髪の女の子がいて、「トイレでどうするの」と聞くと、「首に巻く」と言っていた。冬はいいが、夏は暑くて大変だろうと思ったが、いま思えば一年中大変だったことだろう。彼女のように伸ばそうと思ってもそうそう伸びるものではなく、平安時代の恐ろしく長い髪は実に貴重なものだったのである。
話が逸れたが、少し計算につきあってもらうと、普通の人で頭髪は十万本あり、仮にその寿命を五年とすると、一年間に二万本抜けることになる。これを三六五日で割ると、約五五本/日である。さらに二四時間で割ると一時間当たり二・三本が抜けるわけである。多くの人はこの分がまた生えてくるので、頭髪の量はほぼ一定に、ある年齢までは推移する。
この辺が犯罪捜査において重要なところで、つまりその現場に三十分いれば最低一本は自分の頭髪が落ちるわけである。いくら指紋を消したところで、これでは立派な証拠を残すことになる。
現在、頭髪からは先のヒ素はもちろんのこと、塩素の含有量の違いによって男女が、疫学的に血液型が、太さ、形、パーマ・染色の時期、そしてDNA検定が加わって、ほぼ個人を特定できるほどになっている。
ちなみにヒゲが一~三年、脇毛や陰毛は一年~一年半、眉毛やまつげは三~四カ月が平均の寿命なので、この辺も落とすともう致命傷である。
特に陰毛は現場に残りやすく、強姦事件では必ずといってよいほど採取されるそうなので、悪いことはできないものである。
例によって、妻は、
「ほな、毛深い人は不利やな」
と言う。確かに、スキンヘッドの人に比べてそうかもしれないが、有利不利の問題ではないので念のため。
(新エネルギー・産業技術総合開発機構 高橋 清)