らいらっく人生学 エッセイスト・富永春雄:「人生2度結婚論」

1999.02.10 41号 7面

探偵小説家にして医学博士・木々高太郎氏の名は、もう還暦を過ぎた人しか記憶にないだろう。三〇年以上も前だったか、博士は「人生二度結婚論」を唱えて話題を呼んだことがある。

男性は第一回目、二〇代前半で五〇代の女性と結婚する。年上の妻を見送った後、五〇代で二〇代前半の女性と二回目の結婚をする。女性は一回目の結婚相手の死後、二〇代の…という循環を慣習化すれば、良き生活の伝統が伝えられると同時に、経済的な合理性も追求できる。しゃれっ気もあったが、半分は本気だったかもしれない。

こんな話を思い出したのは、最近知り合ったK氏が二度の結婚をして、幸せな家庭を築いているのを知ったからである。

K氏が二〇歳以上も離れた妻と結婚したのは一〇年ほど前である。

「共稼ぎだった前の女房が、職場の若い男と出来て駆け落ちしてしまってね、いくらか対抗意識もあって若い子と電撃的に結婚したんだ。すぐに娘ができちゃったんで、あと一〇年間、子供が成人するまで働かなきゃならん。七〇過ぎちまうぜ、しんどいよ」

とはいえ、K氏は生き生きして、歳よりはかなり若く見え、まんざらでもなさそうである。近くに前妻との間の娘夫婦がおり、K氏の子供と同年の孫がいつも遊びにやって来て、気が向けば泊まっていく。

「両方とも可愛くて、どちらが娘か孫やら、気持ちの上では全く区別がない」

というところが、なんとも面白い。

女流マンガ家、一條裕子さんに「わさび」という作品がある。騒々しい現代社会をよそに、老教授と教え子のように若い妻、幼稚園児からなる家族がおくる日常を、淡々と描いている。この家だけに大正か昭和初期を思わせる純日本的な生活が流れて、奇妙な雰囲気をかもしだす。

平凡に結婚し、いまやお互いが空気のごとき存在になっている筆者のような夫婦からは、どこか懐かしく、うらやましいところもある。

しかし、それは第三者の無責任な願望でもあろうか。離別、再婚には深刻な愁嘆場があったかもしれず、他人には分からない苦労や障害を乗り越えてきたであろうことが想像される。

机上では木々高太郎博士の提案はうまくいきそうだが、現実は厳しい。だいたい、五〇歳を超えた男性が、愛し合える若い女性を見つけ出すのは困難ではないか。

K氏に、「二度結婚論」について感想を問うと、ゆっくり首を振りながら答えた。

「これで、なにかと気苦労があってね…」

表情には、かすかに疲れの色があった。

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