ニッポン旅人「食」考、伊能忠敬のヘルシーメニュー
初めて日本列島を地図に表した人として世に知られている伊能忠敬は、実は四九歳までは実業家として生きた。千葉県佐原市の名家、伊能家に一七歳で婿入りし、商才を発揮して酒造や米穀、海運業などで財をなす。息子に家督を譲り、天文・暦学を志して江戸に出たのは五〇歳という、非常に晩学の人だ。日本全国測量の旅に乗り出すのは、さらに五年後、五五歳の時のこと。
「隠居願いを出したのは四五歳の時だったようです。五年間かけて周囲の反対を説得しながら、関係書を取り寄せて勉強も始めている。ものすごく用意周到なんですね」(伊能忠敬研究会・渡邊一郎代表理事)。
東北・北海道を舞台とした測量当初は、幕府の承認はとれているとはいえ経費は自分持ちの、いわばボランティア的スタイルだった。それが、五年後の関西・四国方面の西国測量から 欧米列強のアジア進出対策のため正確な地図を求めていた幕府の直轄大プロジェクトとなる。全一七年間の旅衣生活で歩いた歩数は、四〇〇〇万歩、間違いなく日本の歴史上、もっとも歩いた人物といえるだろう。
「測量隊の食事は、幕府からの依頼を受けた各村々が準備しました。忠敬の先触れには“一汁一菜で十分なのでご馳走はしないように”とありますが、後になるにつれて段々と藩庁が気を使い豪華になってしまった感じはあります。それでも飲酒は禁止などの節度はキチンとあった。また、各村はすでに測量隊の受け入れ経験を持つ地域に問い合わせ、メニューを考案していたので、まずまずこれらが忠敬のよく食べたもののパターンと考えて問題ないでしょう」(渡邊代表)。
このメニュー・食材を本誌「百歳の招待」でおなじみの食品評論家・太木光一氏に分析してもらおう。
江戸時代の一般の食生活と比べると、山海の珍味盛りだくさんの大変なご馳走といえるでしょう。これは味覚という意味だけでなく、栄養学的にもです。当時一般の粗食では、動物性のタンパク質を日常的にとることは非常に難しかった。ところが、このメニューには、イカ、コチ、鯛などの魚がふんだんに使われている。肉が登場しないのはこの時代、日本では宗教的理由から食材として扱わなかったためですが、海のものでこれだけ立派なタンパク質を補給をすれば、歩くための身体作りは万全、スタミナも十分。加えて豊富な野菜、キノコ類は当然無添加、無着色でしょう。ミカンの皮で作るちんぴなどは、薬味として非常に上等なもの。
つまりここには、タンパク質、ミネラル、ビタミンの偏りのないバランスのとれた世界が完成されている。いま風にいえば、食材数一日三〇品目摂取が可能なバラエティーが揃っている。
これらのメニューで体力をつけ、毎日よく歩き、飲酒もせずに早く休んで明日に備えれば、それは大きな長寿達成の原動力になるでしょう。
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和食、特に江戸時代の料理はファイバーたっぷりで現代の生活習慣病対策に有効であることは、定説だ。欠点は、動物性タンパク質の少なさ、塩分過多、場合によっては少ない献立でもご飯を山盛り食べてしまえること。陸地の輪郭を探る調査隊が歩いた多くは沿岸部であることから、当然素材は新鮮だっただろう。となれば塩の量も抑えられる。
つまり、調査隊の日々食べていた食事は、世界に冠たるヘルシーメニュー、和食をさらにパワーアップした理想的なものだったといえるのではないか。
このほか、和食では特に簡単になりがちな朝食も一汁二菜でボリュームたっぷり。炭水化物をしっかりとって、歩くためのエネルギーを十分に蓄えていることにも着目したい。