壺酢の故郷・鹿児島県福山を訪ねて この道一筋200年、酢造り名人は自然の妙

1996.02.10 5号 7面

鹿児島の福山は、錦江湾の海岸まで山が迫る町。そのわずかな平地を利用して段々畠が広がっている。霜の降りることのない年中温暖気候なので、冬でも山は緑。黄色く見えるのはみかん畑、そして何やら黒光りする部分が福山黒酢の壷畑だ。この辺りの黒酢は、昔ながらの壷を使った製法で作られるため、壷酢とも呼ばれる。この地域全体で五万個にも及ぶ壷酢の仕込み壷たちは、そこに置かれているというより、そこに生えているという感じ。その整然と並ぶ様には思わず立ち尽くすような無言の迫力がある。二〇〇年前からずっとその場所で桜島と向かい合っている壷たちと、その壷に棲みついているというドワーフス(壷の妖精)の存在を思うと、タイムスリップしていくような気にも襲われる神聖な空間である。

ふつう酢造りは、まず酒造りと同じく米をアルコール醗酵させてから、酢酸菌を加え酢酸醗酵をさせる。ところが壷酢はそのすべてを日だまりに置いた一つの壷の中でやってしまう。やや硬めに炊いた蒸米と湧き水と米麹を壷に入れる、これで完了。菌などはなにも足さず、あとは自然まかせ。新聞紙で内蓋をしてそのうえに外蓋をする。そして雨露にあて、天気の良い日に外蓋を採り、夕方またかぶせるといったことを半年繰り返すと、だんだん酢ができてくる。

この酢造りでは、壷の内部の細かいひび割れや穴の中に棲む微生物たちが主役。

「人の役目は、壷の中の微生物の仕事を手伝ってやること。物言わぬ壷に耳を当てて、ぴちぴちという醗酵の音を聞き、中をうかがい色を見る。においの微妙な変化も嗅ぎ分けます」(坂元醸造(株)・竹之下益實氏)

人間のコントロールなど及びもつかない自然の力がすべての作業を進行させていく。だからこそ壷酢造りは何倍もの手間と熟練のわざを要するのだ。

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