同じ日本人なのに・・・なぜ沖縄の人が長寿なのか

2000.07.10 58号 2面

「人もし天寿を全うせんと欲せば、すべからく沖縄島へ移住すべし。沖縄島は日本屈指の健康地にして、しかも安全なる船のごとし。草木鬱蒼、四時緑を帯び、気候温暖和、夏は涼しく冬は暖かにして、まさに渾円球(こんえんきゅう=地球)上の公園となすべき資格あり」。明治半ばに沖縄を調査した京都帝国大学の松下禎二博士の論文はまずこのように始まる。

さらに琉球王朝時代、首里王府の正史である『球陽』にも九〇~一〇〇歳の長寿者に対する表彰の記事がたくさん出てくる。その年齢の根拠は、いまでいう出生届にあたる『生子証文』、死亡届にあたる『死人証文』に基づいたもので、かなり信ぴょう性が高いものだ。

日本が世界に冠たる長寿国になったのは、実はまだここ二〇年程度のこと(3面記事参照)で、この時代はいまでは考えられないくらいの短命人生だったことを考え合わせれば、沖縄の特異性は驚異的といえる。

それでは日本全体と沖縄では食生活、その他の生活習慣について、どこに違いがあるのか、琉球大学教育学部・平良一彦教授に聞いてみた。

「まず、地図を見て下さい。沖縄は日本の西南端に位置しますが、沖縄を中心に置くと日本全土や周辺地域との位置関係がよく見え、中国・台湾・フィリピンなどの東南アジアの国々と実に近い関係にあります。こうした地理的要素は温暖な気候と、近隣諸国との親しい交易の歴史をもたらしました」。

平良教授は、沖縄の長寿を支える生活文化の骨格が、琉球王朝時代から何百年にもわたり周辺諸国の文化の影響を大いに受け入れながら、決して独自性を失うことなく、異文化と融合することで独特の食生活を発展させてきたことにあるとする。

具体的に日本の伝統的な食の特徴と、沖縄のそれとの違いをみていきたい。

日本の伝統食の特徴は、長所としては(1)コメが主食(2)魚タンパクが多い(3)海藻が多い(4)大豆が多い‐‐などがあげられ、短所としては(1)食塩が少ない(2)動物性タンパクが少ない(3)乳製品が少ない(4)野菜・果物が少ない‐‐などがあげられる(京都大学人間環境学部・家森幸男教授の著書から)。

これと沖縄の食を比較してみると、「(1)食塩摂取が日本で一番少ない(2)動物性タンパク質、特に豚肉の摂取が多い(3)野菜類の摂取量が多い‐‐と日本食の欠点を見事にクリアしていることが分かると思います。私どもが長期的調査を進めている、県内でもさらに長寿地域として知られる本島北部の大宣味村と、平均寿命の低い地域の一つである秋田の農村N村との比較では、大宣味村は秋田N村に比べて(1)肉類の摂取が三倍多い(2)緑黄色野菜の摂取が三倍多い(3)豆腐に代表される豆類の摂取が一・五倍多い(4)果実類の摂取も多い(5)塩分摂取は一日当たり五グラムも少ない(大宣味村は九グラム、N村は一四グラム)と、大変な格差が確認されています」。

どうしてこんなにもいい成果が得られるのか。野菜と塩分に関しては、気候の関係で沖縄は一年中新鮮な野菜が採れる、だから塩分のきつい漬け物など保存食を作ったり食べたりする習慣がない。味噌汁にしてもいわゆる具だくさんで、その分だけ汁は少なくて済み、結果、塩分摂取が少なくなるから、と平良教授は分析する。

「沖縄といえば豚肉」とされるほど、地域の人々の食生活に欠かせない豚肉の食文化はまさに、近隣国・中国との交易の結果だ。「一四世紀頃、沖縄に持ち込まれ、広く庶民にも食されるようになったとされています。仏教の影響で一〇〇〇年もの間、肉食を禁じられていた本土と沖縄では、いまなお摂取量に一日二〇グラムほどの差がみられます。調理の特徴としては、血液や内臓を含めてほとんど無駄なく食べてしまう、時間を十分かけて脂肪分を取り除く、といったことがあげられます。これは貧しい時代、正月用に豚を一頭つぶしたら、塩漬けにして大事に大事に村民みんなでそのすべてを“共食”した文化がいまに伝えられているからです」。

食以外の生活スタイルにはどんな特徴があるのだろうか。

「近世と呼ばれる時代から、沖縄は儒教の影響も相まって高齢者や長寿者が大事にされる社会でした。隠居という制度がなく、六〇~七〇歳までも目的を持って仕事に励む高齢者がいたり、現役を退いた後も仕事や門中の祭祀など、さまざまな面で後輩を指導しました。この風潮は現在もなお根づいています」。

温暖な気候は一年を通じて屋外での活動を可能にしている。東北地方の高齢者が冬の期間、屋内で静かに日々を送らざるを得ないのとは格段の違いだ。長寿村の大宣味村では“生きている限り現役”という意識が当然で、高齢になっても身体が動く限りは畑仕事をしたり、村の伝統産業の芭蕉布の糸紡ぎをしたりと、何らかの社会的活動をしている。定年のない労働に生涯かかわれることも、他地域から見ると羨ましい地域特性だ。就労しながら生涯年齢を重ねるこの生活姿勢を「プロダクティブエイジング(生産的加齢)」という言葉で平良教授は表現している。

生活スタイルに関して平良教授らの最近の調査には、もう一つ興味深いデータがある。睡眠に関して大宜味村を含む沖縄と東京の高齢者との比較なのだが、沖縄の人の方が睡眠時間が短いことが分かった。就寝時刻に有意差はないということは、起床時間が早い。それなのに睡眠愁訴や中途覚醒・夜間頻尿・寝ぼけといった睡眠健康に関して沖縄の人の方が良好という結果となったのだ。活発な日中の生活スタイルが、健康の三要素である睡眠(休養)に関しても大きく影響を及ぼしている、と分析された。

食及びその他の生活スタイルが、沖縄に住む人たちの平均寿命を延ばし、一〇〇歳長寿率を高めていることは統計的にも明らかだが、高齢者たちの健康状態にも確かに有意差があるのか、調査したデータが図Bだ。結果、実に明白な事実が浮かび上がってきた。

加齢とともに貧血の傾向を示すのが普通の血色素も、大宜味村の高齢者はかなり高いレベルを維持。身体を積極的に動かすのに都合がよい状態となっている。栄養状態を示すアルブミンも低下が極めて緩やかだ。コレステロールもちょうどいい状態を維持しているため、高い値だと起こりがちな動脈硬化や心筋梗塞、低すぎると起こりがちな感染症・肺炎・気管支炎などを遠ざける結果となった。

現在、世界一高い平均寿命を誇る日本だが、男女ともに寿命が五〇歳を超えたのは一九四七年(昭和22年)のことだ。一九〇〇年(明治33年)の我が国の平均寿命はなんと男三六歳、女三七歳だった。当時すでにニュージーランド、スウェーデンなどは六〇歳を超えており、その差は実に二〇歳以上!。この頃の日本は“サミット”どころか、世界の平均寿命の後進国だったわけだ。

日本の平均寿命が急速な勢いで延びていったのは、第二次世界大戦後の復興と経済の発展に伴って、医療・公衆衛生・食生活の改善が次々に図られた結果だ。一九八〇年(昭和55年)にはスウェーデンと肩を並べ、そして追い越し、瞬く間に世界の長寿国にのし上がった。この急速な変化は世界のどの国にも起こらなかった偉業とされる。

世界の平均寿命の地域差に時間的な変化があれば、当然日本国内にも同様の変化が起きている。平良教授グループ共同研究の前代表の松崎俊久博士は、大正末期の都道府県の平均寿命と現在のそれを組み合わせたマトリックスをつくり、

第1群(この期間ずっと高い位置を示している伝統的な長寿県)………沖縄

第2群(かつては平均以下だったが、現在はそれを上回る新興長寿県)………東京・神奈川など経済的に豊かな所が多い

第3群(第2群の逆の寿命低迷県)………九州の比較的温暖な地域で,経済の発展もどちらかというと停滞気味な県

第4群(昔もいまも依然として低い伝統的短命県)………東北地方の各県・大阪など

と分類を行っている。

理由の分析も含めなかなかシビアな結果だが、寿命の事実は遺伝というよりも環境要素が強いことの証明ともいえそうで、興味深い。

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