百元放談 いとおしき「精子」

1996.04.10 7号 3面

自分の精子を見た人はあまりいないのではなかろうか。私は学生時代に生物学教室の顕微鏡で自分の精子を見た。いまもそのときのたとえようのない不思議な感動をよく覚えている。

教科書などに載っている図の通りの形をした精子が青白く輝いているように見えた。べん毛も生えていて、何かとてもいとおしいものを感じた。自分の精子が本に掲載されている通りで、べん毛も切れたり、壊れていなかったのには安心した。

男性は見ようと思えば自分の精子を見ることができるが、女性は自分の卵子を見ることは難しい。男性の場合、自分の精子を見ておくことを奨めたい。私には男と女の二人の子供がいる。この小さな精子二個が二人の子供をつくったのだと思うとまことに妙な感じがする。もとはたった二個の精子であったのだ。

性決定因子は精子側にある。いわゆるXX、XYの二つのタイプがあって、男になるか、女になるか分かれる。実に神秘的な精妙さである。運命はこの時から始まっているのである。

立派な紳士や淑女を前にして、その人の元をたどれば、一個の精子と卵子にまでさかのぼり、さらにXXとXYの精子のタイプの違いで、男となり、女になったなどと思う人もいないだろう。しかし改めて考えればそういうことなのである。

精子と卵子が結合して、受胎、そして細胞分裂が始まる。生命の誕生である。ヒトの身体には総数六〇兆個の細胞があるという。一個の受胎卵はプログラム通りに分裂をくり返し、ついに六〇兆個の細胞をもつ個体をつくり上げる。

生命が育くまれ、そして脳が発達し、個性がつくられていく。これらはすべてあの小さな精子と卵子に含まれていた遺伝子に詰めこまれていた情報によるものだ。あんな小さな細胞のなかに、基本的にはあらゆるものが入っていたのである。

成長して大人になると、やがてたがいに異性を求めて、恋愛、結婚に励む。しかしこれも精子と卵子のレベルでみると、その二つの結合を求めての行動ということになる。成熟した精子と卵子のなかの遺伝子のパワーが、性欲を起こさせ、異性にあこがれて、狂おしいばかりの行動を起こさせるのだ。これも生物としてやがて迎える死を本能的に知っているためではなかろうか。

新しい生命は精子が泳ぎ出して、卵子と結合、細胞分裂が生じる経過のなかで始まる。そして生命活動の終わりが死である。動物の寿命はその種の成熟期間の約六倍という説がある。人間の成熟が二〇歳とすれば、一二〇歳まで生きられる可能性が強いわけである。

天理教では一五〇年も前に、教祖が人間の寿命を「病まず、弱らず一一五歳」、それ以上は心掛け次第と教えている。かつての人生五〇年はいま平均寿命八〇歳の時代に入っている。「百歳元気」はいうに及ばず、それ以上の長命も可能になっている。精子と卵子の二つ細胞の合体から始まった生命は、実に長い寿命をもっている。

そして生きている間に習得した一部は、遺伝子に受け継がれるという考え方がある。もしかしたら人間の完成を期して、創造の神は遺伝子のなかにその願いをこめているのではないだろうか。そうだとすると人間の本質、本尊はむしろ遺伝子なのではないだろうか。小さな精子を先祖から未来へつなぐ鎖の輪として考えると、顕微鏡で覗いた小さな精子の細胞には、神秘で神聖な啓示があったように思われる。それとともに、このべん毛をもった精子を体内に抱えている男性というものの本質と宿命を改めて考えさせられる。

(アイアイ)

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