史上に残る超高所11日間の奇跡 三浦雄一郎さん、最高齢でエベレスト登頂
5月22日、冒険スキーヤー・三浦雄一郎さん(70歳)と次男でスキー・モーグルの元五輪代表・豪太さん(33歳)が世界最高峰エベレスト(8848メートル)登頂に成功したニュースは、世界を駆けめぐった。雄一郎さんはいままでの記録を5歳以上も更新する世界最高齢での登頂、さらに日本人初の親子同時登頂。また2人の記録を撮ってきた同行の山岳カメラマンの村口徳行さん(46歳)は日本人最多の3回登頂と、3つの新記録を達成した。しかしこの道のりは、決してスムーズに進められたわけではなかった。標高8000メートルの「死の地帯」で粘りに粘った三浦さんたちに、エベレストの女神が最後の最後にほほえみ、ルートを開いたのだ。5300メートルのベースキャンプを出発してからの11日間。その“奇跡の軌跡”を追う。
約40日間かけて前進キャンプを設営、三度の高所順応活動を終了した三浦隊が、山頂アタックへ向けてベースキャンプを出発したのは、5月11日。しかし山頂付近に吹き荒れる秒速三〇メートルを超す風の影響から、途中の第二キャンプ(六五〇〇メートル)で、結果からすると五日間もの待機を余儀なくされる。世界で一番高い峠であるサウスコルより上のアプローチは、むき出しの尾根を登るので風速一〇メートル以下にならないと厳しい。長期予報から先行して第二キャンプ入りしていた他の隊のほとんどは、下山してしまっていた。
13日に当初のアタック予定日17日を一日先送り、この時点で「早期登頂チームの後塵を行く予定が、どうやら今シーズン初登頂グループになるようだ」と覚悟する。これは、山頂へのルート作りの何もかもから始めなければいけないことを意味する。翌14日、もう一日延期を決定。雄一郎さんはこの日、体調は順調、「一年でも二年でも待てますという気持ちでいる」と日本に連絡している。15日、さらに一日延期の再調整。
通常四〇〇〇メートルの高度で体内の酸素飽和度は約八〇%、六〇〇〇メートルでは七〇%以下になるとされる。下界の救急医療では酸素飽和度が八〇%を切ると集中治療室での治療が必要となる。信じられないことに雄一郎さんはこの高所で、鳥たちと遊んでいる。「五日間で父が餌付けした鳥たちが、すっかりテントの周りに集まっている。六〇〇〇メートルを超す高所でもたくましく生きる鳥たちに脱帽です。明日から本番、がんばるぞ!」(豪太さん記)。
17日、上部へ向けてきつい登攀(とうはん・よじ登ること)が再開され第三キャンプへ。18日、ようやくサウスコルに設置された第四キャンプ(七九〇〇メートル)に入る。しかし再び強風、霧などに見舞われ、ここでも二日間停滞。
20日、ついに最終の第五キャンプ(八四〇〇メートル)入りを達成した。通常、八〇〇〇メートルを超えると酸素濃度は平地の三分の一、八五〇〇メートルで体内の酸素飽和濃度は三〇%程度になるとされる。この夜、二人は次のようなコメントを送っている。「今年のネパールサイドは、風が強くコンディションも悪い中で、私たちの隊が先頭を切っています。世界各国二〇数隊のトップクライマーがいる中で、なぜか七〇歳の高齢バラサーブ(隊長)を抱えている三浦隊がトップを切っています。九九%以上、頂上に立つつもりで頑張り、私たちを応援、支援してくださる多くの友人、スポンサー、そしてクラーク記念高等学校の生徒たちのためにも全力を尽くして頑張っていきます」(雄一郎さん)「長い長い待機だ。風がおさまり世界の頂上を目指して出発したい! いつもと変わらず三人仲良く明るく頑張っていきたい」(豪太さん)。
しかし翌日早朝、酸素とルート工作用のロープを持って上がってくるはずのサポート隊が悪条件で動けず、アタック断念となる。超高地での停滞時間は、短ければ短いほどいい。そう長く待機するはずもないので食糧も最小限だ。三浦隊もアタック用の酸素・水・食糧が足りなくなり、カリントウのカスを食べて飢えをしのいだという。
午後、食糧が到着、最後の望みを明日へとつなぐことが可能となる。22日、不思議にいままで嵐のように吹き荒れていた風がピタリと止まり、エベレスト山頂へ向けての道が開けた。三浦隊より後に出発してサウスコルに登ってきた半数の登山隊がすでに諦め、下山していた。それでも今シーズン、唯一の登頂チャンスをかけて、五〇人近いクライマーとシェルパたちが一気に山頂を目指した。ここでも途中で引き返した隊もある中、三浦隊はついに頂きを獲得した。
東京で後方支援していた雄一郎さんの長女、三浦恵美里さんは「サウスコルへ到達した18日から永遠と思える時間が流れました(中略)。正直、一昨日、山頂アタックを断念した時、もうエベレストの登頂はあり得ないかもしれないと思いました。
八四〇〇メートルの最終キャンプにもう一日残ると伝えてきた父の連絡に、本当に本当に無理をせずに戻ってきてくださいと願うと同時に、その山頂をあれほど強く望んでいる親子に諦めざるを得ない決断というのは……とても辛く感じました。その時はとても遠いエベレストの山頂に感じました」と後で振り返っている。
エベレストチャレンジを志して五年間のトレーニングを経て、とうとう世界の頂点に立つことができ、しかも世界最年長登頂記録をたてた。人間とは夢をもって、チャレンジすればいつかは成し遂げられることを知った」。サウスコルに戻った雄一郎さんの言葉だ。
◆エベレストへの道 By 雄一郎
雪と氷の上をともかく歩き続ける。
ともかく登り続ける、
へとへとになり、よれよれにくたびれても、
ともかく登り続ける。
登りながら
肉体の限界を超えているのだろう、
意識がほとんどなくなり、
考えることもなくなり、
息がもう続かないけど、ともかく息をして
苦しいなんてもんじゃない。
このまま死んでも不思議じゃない、
死ぬのが一番楽だと思うけど、
しかし生きている。
生きているのが一番つらいけど
それでも登り続ける。
生きているから苦しいのに、
それでも登り続ける。
◆超高所長期滞在エベレスト登山史に残る 「Mt.Everest.Net」
専門家の意見でも、今回の登頂は三浦さんの年齢を全く考えなくても、通常あり得ない記録的なことだと分析している。
各国のエベレスト遠征をレポートしている「Mt.Everest.Net」は以下のようにレポート。
「三浦雄一郎さんのエベレスト登頂は信じ難く素晴らしいことだ。三浦親子はデス・ゾーン(死の地帯)といわれる標高8000メートル+地点に4日間滞在、そのうちの2日間はなんと8400メートルに設置した緊急キャンプであった。このような超高所での長期滞在はエベレスト登山史の記録に残るものになろう」。
◆「超人」は目的意識から 国立鹿屋体育大学 山本正嘉助教授
この2年の間に4回、三浦さん親子が訪れ、体力テストを行ってきた国立鹿屋体育大学・スポーツトレーニング教育研究所センターの山本正嘉助教授も「普通に考えれば、サウスコルの時点で、登頂は条件的に九分九厘難しい」と断言する。
そうするとやはり三浦雄一郎さんは超人だから、ということなのだろうか。山本助教授は、「確かに三浦さんの体力年齢は、同世代の人と比べ圧倒的に勝っている」とする。骨密度は20代前半、最大酸素摂取量は30代後半などの驚くべき数値もあり、全体の体力年齢の平均値は39.6歳となった。
「それはすごいことだが、視点を変えてみると普通の40歳前後の男性がエベレストに登れるわけではない。最終的に一般人と一番違うのは、目的意識だと思う。半年ごとにやってきて、センターで疑似高所トレーニングを行うたび、前回チェックした弱点を克服していた。富士山にも2年で20回近く登ったという。70歳でエベレストに登りたいという明確な目標が、日常生活のコントロールやトレーニングの継続をもたらした。“人生に健康以外の目的を持つ”ことが、逆に素晴らしい身体作りを実現させている。三浦さんから教わったことです」。
◆三浦隊は何を食べたか 高所鍋とVAAMの寝袋温泉で、体力増強
三浦隊は長い行動中、どんな食生活をしていたのだろうか。1つのテーマに「鍋」があった。「やはり鍋はいい。何となくみんなが近くになって、チームワークが強くなるような気がする」(カトマンズで、豪太さん記)。「何人かアメリカ隊の登山家がいた。(中略)君たちの食べていたディナーがとてもおいしそうだったね、と羨ましがる。そうなんです、あれが<NABE>というものですと自慢する」(ペリチェで、雄一郎さん記)。
全漁連の協力で、海の幸には困らないほどの乾物を持参。「おかげで朝の味噌汁はまるで浜辺で作るような風味とダシが効いた物になる。日高昆布、干しホタルイカ、海草サラダ、桜海老、煮干、鰹節、ひじき、納豆、オクラなどダシのオンパレード。これほど入れると何のダシがきいているのかわからないが、とにかくおいしい。父いわく、『ヒマラヤも昔は海の底にあったからな、この鍋は何万年もタイムスリップした鍋だな』と言って、昨日の脱水症状を取り戻すかのようにいっぱい味噌汁を飲んでいた」(ペリチェで、豪太さん記)。
ベースキャンプより上でも「高所鍋」として献立を組んだ。中身はほとんどFD(フリーズドライ)と乾物で、カレー・キムチ鍋・トムヤムクン鍋などのテーマ別にジップロックに入れ保存。夜は鍋、朝はその汁を活用したおじやを定番としていたようだ。FD食品は、あらかじめ素材をマイナス25度で凍結(予備凍結)し、それを真空乾燥機に入れ上限50度までの温度で乾燥したもの。タンパク質の変質が少なく、ビタミン・ミネラルなどがボイル仕立ての程度に確保できるので、軽いだけでなく高所での栄養素確保には理にかなった方法といえる。
また、スポンサーの明治乳業のサプリメント類、『VAAM(ヴァーム)』で脱水症状を防ぎ、スタミナ維持を図る、『コルディアFeスポーツイン』で高所環境へ順応する、高所ではおなかの調子を崩しやすいので『B.G.S.』でおなかを整える‐など、さまざまな場面で体調管理に活用。ヴァームパウダーとコルディアFeはミックスしたものを常に携帯し、登山中15分ごとに飲んだ。
ベースキャンプに入る前、いまひとつ体調の上がらない雄一郎さんは、1つの新しいアイデアを編み出した。「スノーランドロッジの売店に中国製の800ccの水筒があったので、水が漏れないかチェックして、漏れないのを2つ選ぶ。これにホットヴァームを入れ、おなかに入れて(おなかを)暖めながら時々、飲む。今朝は、脱水症状から回復しかけているせいか、少し幸せな気持ちだ」。夜寝る時にもこれを湯たんぽ代わりにシュラフ(寝袋)の中に入れ「シュラフ温泉」と命名、体調を回復していった。