イタリアトマトメニューはどうやって生まれたの? レッドゴールドフロムヨーロッパ

2024.10.01 351号 04面
この畑の中にトマトたちが!?

この畑の中にトマトたちが!?

セイヨウヒルガオに守られて

セイヨウヒルガオに守られて

ほら、この通り!しっかり真っ赤に熟してました!

ほら、この通り!しっかり真っ赤に熟してました!

ジョヴァンニ・デ・アンジェリスANICAV統括部長

ジョヴァンニ・デ・アンジェリスANICAV統括部長

マヌエラ・バルザンさん

マヌエラ・バルザンさん

 ◇トマト缶の真っ赤な中身は、太陽の下、自然にスクスク レッドゴールドフロムヨーロッパ

 イタリアといえばトマト料理と誰もが思いますが、トマトは大昔からイタリアにあったものではありません。原産地は南米ペルーを中心としたアンデス山脈。15世紀にヨーロッパに紹介された時には毒性があるとも考えられました。奇妙なことに、その後トマトは魔法の効能があるとも信じられ、水薬として使用されたそうです。

 18世紀後半、イタリア人シェフ、フランチェスコ・レオナルディがトマトを一般的に使用したことにより、トマトはようやく調理材料としてポピュラーになりました。彼がローマで出版した『現代のアピキウス』は、19世紀になっても版を重ね、王室に仕えるシェフの手引き書としてさまざまな地域のレシピが紹介されました。

 一方、トマトが料理用食材として人気になるにつれ、その保存がテーマとなります。それはパルマの生産者たちによってスタートしました。トマトをソースにする前に、太陽の下で乾かす方法が編み出され、この伝統がイタリアにトマト加工業を生み出します。

 最初のトマト缶製造会社はフランチェスコ・チーリオによって、ナポリの近くに設立されました。この方法は1867年、パリ万博で評価されました。

 ●日本からの視察団がナポリを訪問

 私たちのキッチンで、いつも心強い助っ人として待機してくれているトマト缶は、このようにしてイタリア・ナポリの伝統産業になりました。2024年8月、原料となるトマトたちの生育を確かめようと、日本からの視察団がナポリ近郊の畑(カンパニア州)を訪ねました。

 そこには、白いハウスの中で上へと茎を伸ばしていくトマとは全く違う光景が広がっていました。トマトたちは温暖な地中海沿岸の太陽の下、自身の茎や葉に埋もれながら横に地をはうスタイルで、スクスクとかたい皮を保って育っていました。コンパニオンプランツは可憐なセイヨウヒルガオ。これぞ地中海式粗放農業と言えます。

 この畑から真っ赤に熟したものだけが選ばれ、加工場を持つ各社に運ばれます。

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 「レッドゴールドフロムヨーロッパ」は、EUの経済協力のもと、イタリア野菜保存食品産業協会(ANICAV)が、高品質なトマト保存食品を奨励する国際プロジェクト。100%EU・イタリア産トマトをパッケージした優れた栄養分とおいしさを発信しています。

 ●トマトはナポリのおもてなし

 レッドゴールドフロムヨーロッパの魅力を世界中に発信しているマヌエラ・バルザンさんは、ナポリに30年以上在住。

 「トマトの赤は愛の色。それはこの街の最大のおもてなしです。ナポリに来たら、ここで何十年もの間、続いているトマト加工業の世界と、この土地の素晴らしさを味わってください。また、ナポリは自分のやりたいことができる街。自由な雰囲気がたくさんのバリエーションメニューを生み出しています。例えば『ナスのパルミジャーナ』は、大鍋いっぱいにつくるイタリアの家庭の味。その定番メニューに、干しタラのバッカラを入れてみたり。バッカラはノルマン人がもたらしたイタリアの北と南をつなぐ料理。広がりがありますね」

 ※写真:Gennaro Canaglia/編集部

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