わが人生航路・永谷 嘉男(3)青春時代 “花”の食糧学校で缶詰学ぶ
私は昭和16年、芝商業を卒業すると同時に、食糧学校という学校に行った。六人兄弟で経済的にも豊かではなかったし、商人の息子に教育はいらないんだという、当時の親の考えがあったからだ。 ところがたまたま入学したその食糧学校は、当時の戦事色一色の時代にあって、「男女共学」正に時代とは隔絶された花園のような学校であった。そもそもこの学校は当時食糧が次第に欠乏していく中、国民の栄養改善と食生活の安定を狙いとした陸軍省、農林省の外部組織「糧友会」が設立したものである
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