シェフと60分 広東料理「均元楼」調理長・山本猛氏 味に妥協はできません

1996.07.15 105号 7面

中華街の料理人の間では変わり者といわれながら、「客が注文するありきたりのものばかりでなく、本物志向の客の好みを取り入れたオリジナル料理」作りに奮闘する。

かつて中華街での中華料理は、その店ならではの特色がはっきり打ち出されていた。

中国から渡ってきた料理人は、広東、四川、上海など自らの地域性を生かした料理を出していたからだ。 ところが最近のマスコミによる料理ブームから中華料理人気も人後に落ちず、中華街の客層も変わり、若者で占められるようになった。

「にわかグルメが多くなり、客が注文するのは注文しやすいなじみの青椒肉絲や麻婆豆腐」

注文を受けるホールのスタッフはほとんどが中国人。言葉も不自由なため、客が注文する決まり切ったメニューを受けるだけだ。

「こうした悪循環から、ありきたりの定番メニューだけに人気が集まり、味にも特色がなくなってきた」と嘆く。

店の努力も足りないが、お客にももっと「新しい物に挑戦して欲しい」と一言。

自らは「両方に対応するのは煩わしい」としながら、一般客と本物志向客とでメニューを使い分け、こうした横並び風潮に刃向かう姿勢を崩さない。

「へそ曲がりが災いして数々の店をわたった」

三〇代初めに念願の店を持った。結果として二年で閉店となり、残ったのは借金と自らが根っからの職人という認識。

「高い授業料だった」と苦笑する。

二〇席前後の小さな店だった。来る客来る客環八沿いのラーメン屋感覚の客。

中には味見をしないで醤油を掛けたりする客もおり、思わずカッとして「あんたみたいな客は要らない、帰ってくれ」「俺は客だ、大きなお世話だ」と売り言葉に買い言葉の喧嘩となる。

また、酔っぱらいが女性客をからかうのに我慢ができず、裏の横丁へ連れて行き殴ることもした。

こうした噂はまたたく間に広まり、ついには店を畳むことになる。

また、料理長の立場から社長との意見が合わず、飛び出したこともしばしば。

たまたま一日何個と限定の手打ちソバが売り切れストップとなった時、社長が自分用のソバを打ち、店で食べさせてくれたという。

「客を無視し社長風を吹かす態度に、日ごろの何の目標もなくただ漫然と日銭稼ぎをしている経営姿勢がダブり」、ついには堪忍袋の緒が切れ、弟子とともに飛び出したこともある。

何事にも妥協を許さない一本気な性格は、どこまでも付いて回るようだ。

現状に甘んじないで、常に新しいものに挑戦する姿勢を崩さない。

かつて料理専門書が今ほどになかったころ、神保町に出掛け中国語の原書を買ってきては、辞書をひきながら勉強した。

「本で覚え、目で盗み、舌で確かめる」が持論。

ベースは四川、川揚菜でありながら店の看板は広東料理。このため仲間の店に積極的に出掛け、邪魔にならないように見ては自分の店にない料理を研究する。

「そのまま取り入れても合わない。店に合うよう食材を替えたり、技術、技法を使い、自分なりにアレンジします」

今や何でも手に入る豊富な食材に豊富な経験から得た技法をぶつけ、自分だけのオリジナル料理を作る。

「うちに入った子は、わが子同様、厳しくしつけます」

まずコックの生活リズムに慣れさせることから始まる。今までは上げ膳据え膳の世界だったのが、朝9時から夜9時までの拘束時間。鍋洗いセクションは一日中鍋洗いだ。現実は思い描いていた世界とは大きくかけ離れている。

こうした現実に埋没することなく、鍋を洗いながらも自分の仕事を手早く仕上げ、ほかのセクションにも目を向けたり、疑問に思うことを質問したりする姿勢を持って欲しいという。

「叩く、殴る、蹴るは、親元、本人とも承知の上」やってはいけないことをやった場合、「これは私の分、もう一つはお母さんの分」とコツンとやる。

一週間もったら一ヵ月もつ。一ヵ月もてば三ヵ月と励ますが、「今の子は、頑張れ頑張れでは駄目、アメとムチの使い分けが必要」

サラリーマン生活と違い、みんなが遊んでいるとき働かなければならないのがコックの世界。

「経験に勝るものはない」として鍋洗い、皿洗いに始まり、すべてのセクションにあたらせるが、五年たった時点で才能は出てくるという。

こうした才能を生かすと同時に、先輩たちへの刺激策として年功序列を崩すこともある。

「いい意味のライバル意識を持たせ、競争させるのです」

いつか追い越してやるぞという気持ちがなければ進歩はあり得ず、向かってくるものには大きく胸を貸す教育法をとる。

文   上田喜子

カメラ 岡安秀一

一九四六年、旧満州で生まれ、長崎で育った。一七歳から地元長崎の福建料理店に入り修業後、「見様見まねで覚えた料理では頭打ちになる」不安から、横浜中華街の北京飯店、重慶飯店などで基本からの出直し修業をする。

その後、自らオーナーとなり小さいながら本格中華料理店を開いたこともあったが、気に入らない客は追い返すほど一本気な性格が災いし閉店する。

現在、師と仰ぐ台湾出身の趙有才シェフから学んだ上海と四川がミックスした川揚菜を柱に、妥協を許さない本物料理作りに情熱を燃やす。

将来はリゾート地に泊まり客の料理を作り、自らサービスする小さな店を持つのが夢という。

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