20世紀末の外食動向-FR・FF業界停滞からの脱出法を検証する

1998.11.16 166号 2面

平成3年のバブル崩壊以来、長期の景気低迷が続いている。特にここ三年ほどの間、わが国経済と景気の先行きは急激な悪化をみている。北海道拓殖銀行や山一證券といった、戦後の日本経済を支えてきた大企業が次々と破たんをし、それが経済や消費に大きな影響を与えている。

特に「住専」の不良債権に端を発した不良債権問題は、バブルの残骸をただ無為に問題先送りをしてきたつけがまわって来たものであっただけに、経済界を動かしてきた指導者たち(政治家・官僚・財界人)の先見性の欠如と能力の無さを国民の前にさらすことになった。

確かに日本経済は、悪い方向へと雪崩をうつがごときに悪化しているのだが、もっと悪いことに、そのリーダーたちさえ信頼を失ってしまっているのである。それは嵐にほんろうされる船のなかで、舵取り役が信頼されないというような最悪の状況下なのだ。

一方、外食産業でも事情は同じである。昭和40年初頭から始まった、外食産業の右上がりの発展の歴史が、ここに来て大きく停滞しだしているのだ。今まで業界をリードしてきたリーディングカンパニー、その企業群が失速しだしているのだ。

一昨年の京樽の倒産を始め、倒産には至らないまでも大きな赤字を出し、苦しんでいる企業は多い。その解決策は、本業以外の多角化事業のリストラ、既存不振店のスクラップや中堅中小の外食企業の再編である。

この10月、株式公開企業のステーキチェーン「フォルックス」が、五〇店舗の大量スクラップを発表。それに続くように、すかいらーくグループも赤字の子会社の整理のため、一七〇億円の特別損失を計上する予定であり、最終損益は一四〇億円の赤字決算が見込まれている。

百貨店や大手スーパーも例にもれず、赤字・合併・リストラのニュースが流れない日はない。流通・外食・サービス業という、消費に直結した分野がみぞうの大不況下で、今ももがき苦しんでいる。

大手がこのありさまである。中小飲食業は、銀行の貸し渋りや大手問屋の逆選別などで、金もない仕入れもできないという厳しい現実にさらされているに違いない。

では、その状況下ですべての企業やお店が不振なのかといえば、実はそうではない。こんな不況下でいまだに年率二〇%も三〇%も業積を伸ばしている企業が存在するのだ。

それらの企業群の、好調の秘密は何であろうか? FFあり、居酒屋あり、とんかつ屋あり、回転ずしあり、給食会社ありと、決して成長業態・業種は一つではない。つまり、もう単一コンセプトで通用するような時代ではないという証明なのだ。

飲食業は既に、“水商売”感覚では通用しないのだ。特に何をやれば当たるというような、流行や仕掛けに流される業界ではなくなりつつある。つまり、それだけ産業化が進展していることの証左でもあり、消費者が上滑りなものに躍らされない、本物しか選択しない時代であるということでもある。

またもう一つの点は、店づくりにおいてもメニューにしても、運営管理にさえ徹底した「ローコスト」を追求して来た企業が成功を勝ち得ているという点である。だからといって、それらのお店が何もかもそぎ落とされた無味乾燥なお店なのかといえばそうではない。

成功しているお店のほとんどが、ホスピタリティーをきちんと守ったお店であるということなのだ。つまり、お店の現場においてはホスピタリティーであり、一歩裏にまわれば徹底した効率化・合理化がなされているというような仕組みを持っているということである。

表の顔は“ハイ・タッチ”であり、裏の顔は“ハイ・テック”である。この相反することをやり切るのは、並大抵のことではない。この相反することをやりきることのできるのは、経営トップを置いてほかにはいない。

つまり、企業を成功に導く最大の要因は、その企業の「トップ経営者」そのものなのである。

決してトレンド=流行であるとか、システム=経営の仕組みではない。確かにそれらが大きな特徴である企業もあるが、それはその企業の経営者が必死に時代を読み切り、そういった政策や道を自ら選択した結果にほかならない。

であるから、結論は簡単である。困難な時代を乗り切る条件は、経営者が持っている体質・人生観そのものなのだ。もう、アメリカの物まねで成功するような時代ではない。今まさに経営者そのものの能力が問われている。故に経済情勢だけでなく、経営環境の内外ともに非常に厳しい時代でもあるのだ。

時代が求める外食産業の経営者の「成功するトップの条件」をあげておこう(別掲)。◆トップの条件◆

(1)時代状況を読み切り、常に先見眼でお客が求める商売を考え出すアイデアマンであること。

(2)部下や取引先に熱いハートで接し、目指すべき方向に導くリーダーシップがあること。

(3)お客が喜ぶ、調理・接客・運営技術をみがき、現場に強いビジネスマンであること。

(4)数値で現状を正確に把握し、冷静に問題分析ができるが、計数だけに振り回されないこと。

(5)感動を知りそして語り、常に人間的で思いやりがあるトップであること。

かなり抽象的な論の展開になったので、ここらで具体的なテーマに入ろう。ここ数年、このHMR(ホームミール・リプレースメント)が大ブームである。「家庭内食事の代行業」と呼ばれるこの現象は、アメリカ人の食生活の大転換を物語っている。

レストランやグルメショップで、プロが調理したおいしい食事を家庭に持ってかえり、そこでゆっくりと食事をしようというようなライフスタイルを背景にしている。これはいわば、「家庭回帰」という高齢化社会に向かう一つの現象でもある。

家庭回帰というのは、“スペース的に豊かな(広い)家庭”や“家族の絆を大切にする文化”を背景として成り立つ。しかしわが国の現状からいえば、果たしてアメリカと同じ次元で語れるものかどうかは大いに疑問である。

むしろ、わが国の家庭や社会で起こりつつある現象を考えてみると、このHMRがかなり違う形で求められていることに気がつく。それは多少どころではなく、かなり膨大なニーズとして存在しており、近年ますます顕著になりつつあるのである。HMRが、デリ惣菜としてアメリカとは違う形で非常に強く求められているのである。

それは‐‐

(1)小子化にともなう単身者所帯が増加し、デリ惣菜が食生活の必需品になりつつある。

(2)不況によって、将来の不安や所得の低下、生活防衛のために外食を控えデリ惣菜に移っている。

(3)核家族化・共稼ぎ・生活時間多様化で、家庭内で個食化が進行しつつある。

(4)冷凍食品や加工食品のインスタント化で、家庭内調理レベルが非常に低下している。

(5)スーパーなどのデリ惣菜加工技術の向上で、素材を求め調理するより割安感が出てきた。

こうした理由により、HMRが家庭回帰というのではなく、都市化や小子化・核家族化によってより強まっていることは間違いない事実である。だからこのHMRの傾向は、わが国外食業界にとって見逃せない傾向であり、外食マーケットは確実に侵食されてゆくに違いない。

ただ、ここで断っておかねばならないことは、このHMRによって実現されるわが国の食事は、単身者の食事であったり簡便食としての簡単な食事形態が中心である。

アメリカ人家庭のように、ゆったりしたダイニングで仲間たちとともに、そのデリ・惣菜・料理を囲み、外食の楽しみが実現されるものではないような気がする。だから本格的な食事や料理が、持ち帰りやデリバリーの対象ではなく、意外に簡便な客単価の低いもの(一人当たり一〇〇〇円以内)にならざるをえないのではなかろうか。

しかし、そう安穏とはしていられない。このHMRは確実に進化し、われわれ外食産業のマーケットシェアを、どんどんと侵食してゆくに違いない。そして、九九年もますますそのマーケットは拡大してゆくに違いないのである。

最後に、明日への提案をしてこの文を締めくくろう。

確かに状況は厳しい。しかし何を言ってみたところで、お店の経営に成功しなければわれわれに明日はない。われわれの得意分野を固めようではないか。それはもちろん、本業にまい進しようということなのである。

厳しい環境にある時こそ、Back to The Basic!これは〈原点に返ろう。そしてそこでもう一度基本からやり直そうではないか〉という格言である。

感じの良いサービスでお客さまを迎え、おいしい料理でもてなすこと‐‐。それこそわれわれの基本なのだ。決してこの基本が、業種業態によって違うわけではない。

弁当屋だろうがステーキ屋だろうが、ファミリーレストランだろうがこの原則をきちんと守り、顧客満足を追求する限りわれわれの明日が、明るい二一世紀につながってゆくことは間違いないのである。

((株)OGMコンサルティング経営企画室・高桑隆)

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