店主の本音・プロが訪ねる気になる店

1999.01.04 169号 22面

テレビ番組「料理の鉄人」に端を発し、料理人が次々マスコミで取り上げられ、スター的存在になった人も少なくない。自らの名声をうまく時流にのせ、店舗を大きく飛躍させた人もいる。ただ店舗は有名人という看板だけでは歩けない。しっかりした料理とサービス、雰囲気などすべてスタッフとお客がつくるもの。躍り出た名前にぶら下がることなく、着実に歩を進める二人のシェフ、「トゥーランドット游仙境」脇屋友詞料理長と「赤坂璃宮」譚彦彬総料理長に、個人的名声と店舗経営について語ってもらった。

◆訪ねる人・脇屋友詞料理長

(わきや・ゆうじ)=中国料理「トゥーランドット游仙境」料理長(横浜市西区みなとみらい二‐三‐七、パンパシフィックホテル、Tel045・682・0361)

一九五八年、北海道生まれ。東京「山王飯店」「楼蘭」などで修業後、「キャピタル東急ホテル」中国料理長補佐、立川「リーセントパークホテル」総料理長を経て、パンパシフィックホテル横浜「トゥーランドット游仙境」料理長に就任。

調理師学校、料理教室の講師のほか「食卓の王様」「男の食彩」などのテレビ出演、また、「料理百科」「自由時間」など雑誌の連載も手掛ける。

趣味と実益を兼ね香港、東南アジアに出掛けるが、最近は中国大陸に熱い視線を向ける。

◆迎える人・瓢彦彬総料理長

(たん・ひこあき)=広東名菜「赤坂璃宮」総料理長(東京都港区赤坂二‐一四‐五プラザミカドビルB1F、Tel03・5570・9323)

一九四三年、横浜市生まれ。新橋「中国飯店」、芝「留園」で修業後、仙台ホテル、京王プラザホテル「南園」の副料理長を務め、ホテルエドモント「廣州」の料理長に就任。平成8年9月「赤坂璃宮」のオーナーシェフに。

ホテルエドモント「廣州」顧問、調理師学校、料理教室、イベントなどの料理講師を務めるかたわら、香港ガラディナーツアー主催や中国料理研究のため香港、中国に出掛ける。

「譚料理長のチャイナパーティ」「女性によくきく中国健康メニュー」の著書あり。

脇屋 譚さんとは京王プラザホテルを出てホテルエドモントに移られたころからの付き合いですね。フェアをやられていたので食べに行ったりして。同じ中国料理でも上海と広東と分野が違うので、先輩後輩の関係なく気楽に付き合っています。

譚 エドモントに移ったころ、脇屋さんが新しい料理を始めておられ、広東料理ではああいう人はいないなと注目していました。

脇屋 現在、エドモントの料理長を兼務しながら赤坂璃宮のオーナーシェフでもいらっしゃる。何かと話題の多かった店ですが、いかがですか。

譚 こちらに来て、まず売上げがあまりにも落ち込んでいたのでビックリしました。周さんの人気で盛り上がっていたのが、バブルの影響を受けたんですね。

今、一番悩んでいるのは、テレビなどで私個人の名前が出てしまい、「赤坂璃宮」の名前で客を呼ぶにはどうしたらいいかです。私もいつまでも生きているわけではありませんから(笑)。

脇屋さんもマスコミで騒がれていますが。

脇屋 私は横浜と赤坂を行ったり来たりしていますが、横浜のトゥーランドットがオープンした時は、お客も注目し、ドッと来ました。一年経ち、これからが正念場です。

テレビ、新聞、雑誌などに出ているためお客は期待に胸膨らませて来る。それだけに何かあると何だということになる。すべてが完成していると思っているんですね。逆に期待しないで入って、おいしいと大きな感動になるんですが。

譚 エドモントのころテレビでの紹介があり、お客がワッと来た。個室を入れ一二〇席ですが、ウエーティングとなり、なかにはホテルなのに待たせるのかとの苦情も出てきました。一年間は続いたでしょうか。

ここでは幸か不幸か、オープンして雪崩のごとく客が入ってこないので、そんな心配は要らないのですが。

脇屋 うちもオープン当初は大変でした。一八〇席あるんですが、調理場では、余裕をもたせ満杯にしないで一〇〇席ぐらいに押さえておこうと思っていた。ところがホールはなるべく人を入れようと詰めてしまい、何番テーブルに何が出たのか分からない状態。

またサーバーやナプキンなどどこに何があるのかきちんと把握しているのは黒服の三人だけ。配膳の人が多いので行ったり来たり、惨憺(さんたん)たるものでした。

ところで、周さんの跡を継げるのは譚さんぐらいしかいないと話していたんですが。売上げはどのくらいだったんでしょう。

譚 普段の平均は月商八〇〇〇万円~一億二〇〇〇万円。12月で一億八〇〇〇万円、平均一億円。たいへんなものです。

脇屋 それはすごいですね(笑)。

譚 それが私が引き受けた三年前の9月には三〇〇〇万円を切っていた。信じられませんでした。

脇屋 譚さんに代わり、やられたことは。

譚 一つに料理の内容を替えました。エドモントでやっていたように、脇屋さんのようなポーション料理をやりたかったが、周さんが家庭料理っぽくポーション料理を出していたので、逆に本格的なものをやろうと決めました。

丸ごと魚とか鶏を真ん中にドーンと置き、取り分ける。それに季節感を出す。中国はハッキリした四季がなく、9月から旧正月までがジビエ、春は野菜、5月からはウリの三パターン。これをキチンと出す。

そのためハト、ガチョウ、ヤギ、羊など食材はなるべく中国から持って来るようにしています。

もう一つにサービス。中国人スタッフをすべて日本人スタッフに代え、厨房スタッフも、以前私と一緒にやっていた者を呼び寄せるなど大改革をやりました。

脇屋 客の反応は。

譚 客層が変わりました。近所の客はいなく、はとバスで来る地方のお客がほとんど。なにしろランチが五万円でしたから。

そこで価格を一〇〇〇~一八〇〇円の日替わりランチにし、付近の大手企業へはあいさつまわりに行き、なんとか地元客が来るようになりました。夜にもつながっていき売上げもやっと五五〇〇万円、目標六〇〇〇万円においているのですが。ただ地方のお客は減りました。周さんがいないからでしょうが。

料理を食べに来るのか顔を見に来るのか分からないようだけど、これも仕方ない。私もあれくらいのスターになれば同じになる(笑)。楽だもの。

個人的には客席に出るのは好きじゃない。呼ばれれば出るようにしているが、わざわざ出ては行きたくない。意地もあって出ないようにしているのかもしれません(笑)。

脇屋 厨房のスタッフは。

譚 一七人にホールその他で総勢五〇人。定休日なしです。脇屋さんのところは赤坂と横浜では客層も違うかと思いますが。

脇屋 横浜は土・日はいいが、平日は大変です。東京は気軽に出掛ける気分だが、横浜となると「よーし行くぞ」と構えて行くところ。

そうしたわざわざ来てもらっているお客にリピートさせるには、いろいろ仕掛けていかなくてはいけない。北京ダックをサービスに入れたり、ドリンクのバーカウンターを設けたり。昼間はそこそこ入るんですが、平日の夜はどうも難しい。ただっ広い所にパラパラの客では恥ずかしい。

譚 オープンしてどのくらい。

脇屋 8月7日でオープン二年目を迎えています。当初は脇屋という名前で立川、赤坂のお客が来てくれましたが、一年経ち、落ち着いてくると料理はおいしくて当たり前、本当に良かったなと言わせるには料理とサービスが一体とならなくてはいけない。マネジャー、支配人、キャプテンがうまく対応してくれるようになれば味はある程度わかっていること。あとはいかにお客さんを喜んで帰させるか、また来るわとなる。

今では味もサービスも完全なものが要求される。一つでも悪いと、例えば、お茶を言わないと入れてくれないとか、隣のテーブルには来ているのに私の所はまだ料理が来ないとか、お客は当たり前と思っており、応えられないと腹を立てる(笑)。

譚 だからサービス部門は人を減らせない。

脇屋 うちは厨房二四人、サービス一九人、配膳が八人ぐらいのスタッフです。譚さんのところと大体同じ。

譚 売上げが多い(笑)。

脇屋 売上げは五〇〇〇万円。宴会が入り七〇〇〇万円。最近は宴会が減っています。

譚 うちも。

脇屋 一つの宴会で約二〇〇~三〇〇万円と計算できる。それが大雪が降ったためキャンセルになったり、雨になっても二割は減る。四日間雪が降ったら一〇〇〇万円の減少。見習いの時は暇になってうれしいと思ったんですが(笑)。

譚 これを取り戻すにはいろいろ考えなきゃいけない。(次号に続く)

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