麺・ご当地ラーメン徹底研究「久留米ラーメン」
今ではすっかり豚骨ラーメンという言葉も全国区。博多ラーメン、熊本ラーメン、鹿児島ラーメンなどと、バリエーションも知られるようになってきた。しかし、その豚骨スープで知られる九州ラーメン発祥の地、久留米の名は今一つ認知度が低い。久留米ラーメンと博多ラーメンの明確な差別化ができないということも、その理由の一つとしてあげられる。
地味にひと筋
博多ラーメンと違い、久留米ラーメンには海苔が乗るが、具も多様化してきた現在となっては、違いのうちに入らない。いずれも白く濁った豚骨スープにストレートの細麺が泳ぐ。強いていえば、久留米ラーメンのスープの方が博多ラーメンのそれよりも濃厚で、豚骨の臭みがある。
博多ラーメンも、もともとは臭みが強かったのだが、近年においの少ないライトなスープが流行し、そちらが主流になっていったのに対し、久留米ラーメンは昔ながらの味を守っていると考えた方が正しい。このように、博多ラーメンと久留米ラーメンは違いが少ない。
豚骨ブームの流行にのり、博多ラーメンの名はメジャーとなった。博多に対して地味な存在の久留米は、ブームに乗り遅れた感は否めない。しかし、九州ラーメンのルーツは久留米にある。
元祖今も健在
その元祖の店は昭和12年西鉄久留米駅前に屋台を構えた「南京千両」。創業者の宮本時男氏は弟の豊氏から、東京には「支那そば」と呼ばれる美味なる食べ物がある、との情報を得、横浜中華街でその作り方を修得してきたという。
中華街の広東料理の影響からか、南京千両のスープは、豚骨からとるものの、白濁はしていない。この南京千両は、六〇年の歳月を経た今も、久留米の明治通りで屋台を出し、当時の味をそのまま出している。半世紀を越える年月の間、そのスタンスを変えていないのは驚くべきことである。
南京千両のスープが白濁した豚骨スープでないならば、現在全国区となっている白濁した豚骨スープのルーツはどこなのか。昭和20年ごろ、博多と久留米で同じ時期に生まれている。博多の「赤のれん」は、アイヌのソップをモデルとして白濁スープとなったが、久留米の「三九」では偶然の産物として白濁豚骨スープを生み出している。
三九のご主人である杉野勝見氏は、屋台のラーメンを開業するが、近所に住んでいた南京千両のご主人から屋号をつけてもらったという。宮本氏が明治39年の生まれであったこと、当時の横文字ブームに乗って「サンキュー」という響きが目新しかったことなどがその屋号の決め手となっている。
この三九も、オープン当初はスープは白濁していなかった。ある時、スープに火をかけたまま店を出て、ついつい帰りが遅れて沸騰させてしまった。たき出されて白く濁ったスープを捨てようとしたが、思い止まり、味付をしてみたところ、これが意に反してうまかったという。
歴史生かそう
こうして、偶然の失敗が白濁した豚骨スープを生み出すことになる。今流行の和歌山ラーメンも同じような偶然の失敗から産まれているが、両者とも失敗を失敗のまま終わらせなかったところにすごさが感じられる。
杉野さんは昭和24年に屋台を弟子にゆずって、北九州の小倉で「来々軒」という店を開く。弟子の四ヶ所氏は昭和27年に熊本県玉名市にも二軒の店を開き、熊本ラーメンのルーツとなる。
立派な歴史的背景を持ちながら今一歩知名度の低い久留米ラーメン。その久留米ラーメンを盛り立てようと、地元のシンクタンクを中心にした街おこしの動きがおきている。名付けてラーメンルネッサンス。今後の動きが楽しみである。