この1品が客を呼ぶ:ビストロ喜楽亭「壷焼きカレー」
東京は世田谷区三宿の「喜楽亭」は、煮えたぎるカレーを壷皿に入れて提供する“名物・壺焼きカレー”の看板メニュー化で、その名を全国区に広げた。今回は、壺焼きカレーのメニュー開発とカレー専門店への衣替えによる同店のサクセスストーリーを紹介する。
「ビストロ喜楽亭」オーナー、大久保秀喜さんは三八歳の時に脱サラ。現在のビストロ喜楽亭からほど近い場所で、「串焼き喜楽亭」を始めた。この店が、現在のビストロ喜楽亭のルーツとなる。
「串焼き喜楽亭は居酒屋でした。その後、カレー一筋にこだわることになるなど、当時は思いもよらなかったですね」と、大久保オーナーは言う。
串焼き喜楽亭は三年間ほど営業、それなりに収益を上げてはいたものの、風俗営業法改正にともない、住宅街での営業は午前0時までと決められ、午前2時までの営業だったが、時間の変更を余儀なくされた。
そこで大久保オーナーは業態転換を図り、店舗立地も国道二四六号線沿いに確保。「洋風居酒屋ビストロ喜楽亭」として、店は一九八四年11月8日、あらたにオープンする。
洋風居酒屋ビストロ喜楽亭は、居酒屋とは名乗っているものの、串焼き料理と洋食を売り物にした洋食屋として、再スタート。
「串焼き喜楽亭で出していた串焼きだけをメニューに残して、洋食を追加したのです」(大久保オーナー)
しかし、売上げは思うようには伸びなかった。「月商で四五〇万円程度を行ったり来たりの状態が続き、人件費などを差し引くと、ほとんど利益を出せない状態がしばらく続きました」と、大久保オーナーは厳しい状況に置かれていた当時を振り返る。
洋風居酒屋ビストロ喜楽亭をオープンして約一年後、転機が訪れる。
「シェフが、まかない用に作っていたカレーをアレンジして、メニューに加えてはどうかと、提案したのです。試しに、彼の助言通りにカレーを四八〇円でメニューに載せたところ、一日約三〇食は出ることが分かりました」
カレーを主力メニューに育てることができそうだと直感した大久保オーナーは、カレー専門店を食べ歩き、スパイスを始めとする原材料の吟味、什器の選定に東奔西走しはじめる。
その結果、ほのかに酸味を感じさせ、さらりとしたタイプのカレーを売り物にすることが決まり、価格も一〇〇円アップの五八〇円に設定。大久保オーナーはカレーを主力料理としてメニューに加えることになる。
「食べ飽きず、ライトミールというよりは、ディナーとしても楽しんでもらえるカレーを作りあげました」(大久保オーナー)
このカレーは一日コンスタントに六〇食はオーダーされるようになり、月商も六〇〇万円台をキープするようになった。「カレーを主力料理に加えたことに手応えを感じました」と、大久保オーナーも自信を深める。
カレーを主力料理に加えて二年後の一九八七年、大久保オーナーはカレーメニューの大幅なグレードアップを図る。
まず、器。保温性の高い美濃焼の壷を、総額一五〇万円近くかけて購入した。「よくばりカレー」と「野菜カレー」は九〇〇円、「チキンカレー」と「ビーフカレー」は九五〇円に設定。従来の二倍近くまで価格を上げて、壷焼きカレー二五アイテムを前面に打ち出したカレー専門店、ビストロ喜楽亭はこの年、産声を上げた。
現在では、平日の昼間で約一〇〇食、ディナータイムで二五〇~三〇〇食。週末の昼間で約二〇〇食、ディナータイムで三〇〇~四〇〇食はオーダーが入り、月商約一五〇〇万~一八〇〇万円を売上げる繁盛店となった。
五年前には、値上げを行わず牛肉の量を従来の一食八五gから一三〇gへアップするなど、さらにカレーのバージョンアップを図り、名実ともに、カレー専門店として確固たる地位をものにしている。
◆「ビストロ喜楽亭」(東京都世田谷区池尻三‐三〇‐五、Tel03・3410・5289)/月商=一五〇〇万~一八〇〇万円/平均客単価=一二八〇円(昼)、二八〇〇円(ディナータイム)/坪数=二二坪/席数=三〇席/営業時間=午前11時~午前2時