21世紀、高まる「食の変化」への関心
二〇世紀、わが国の食事情は劇的に変化した。原材料の効率的生産、加工技術と流通の革新が大量消費時代を牽引し、食環境は「豊食」から「飽食」へとシフトした。外食産業の発展もその大きな一つである。だが、二一世紀は様相一変の兆しを見せている。成熟社会、少子高齢化を迎える中、食文化は個々のライフスタイルを中心に形成しつつある。今後のポイントになりそうなライフスタイルの変化と食のかかわりについて(株)アサツー ディ・ケイの岩村暢子氏に分析をお願いした。
二〇世紀最後の年であった二〇〇〇年は、新聞や雑誌、テレビなどのメディアが、激変するわが国の「食」をさまざまに取り上げた年でもあった。とりわけ、家庭の「食」、そして子供たちの「食」の実態について憂え、問題視し、再考や改善を求める内容が多かったのではないかと記憶している。この注目は「食」への関心というより、「激変する食」への関心の高まりともいうべきものであったと思う。
このような注目は、新しい世紀の始まりである二〇〇一年においても、一層顕著になると私は予想している。なぜなら、いま日本の「食」や家庭の「食卓」を見つめ語ることは、二一世紀の激変する人間(個)や家庭、あるいは社会を最もリアルに、そして根本的なところからとらえ直し語ることになると思われる。
だから「食」の激変を見つめ、語ることが、すでに食に携わる者だけの関心、問題ではなく社会的な問題になっているのであろう。
こうした現状を踏まえたとき、私たちもまた、食を「食べモノ」や「売場」への注目だけでなく、人々の生活全体の中で見つめる姿勢が必要になってくるのではないかと思うのである。
では、今日問題となっているような「食」の激変はいったいいつから、どうして始まったのであろうか。私たちは以前から、生活者、特に食においては「主婦」の意識やものの考え方、価値観の変容に注目しなければならないと考え、これについて長い間、さまざまな角度から調査分析してきた。
その結果一九六〇年(前後)から後に生まれた人々とそれ以前に生まれた人々との間には、例えば同じ「主婦」といっても大きな質的な違い、断層があるととらえるに至ったのである。
これ以降の世代は、育った家庭、親のあり方、受けた学校教育、食べたり着たり遊んだりしたモノ、情報収集の仕方や人との人間関係の作り方、アイデンティティのあり様など、さまざまな点でそれ以前の世代とは分けてとらえなければならない特徴を持つことが分かってきている。この従来の主婦とは異なる人々の上限が四〇代にさしかかり、「主婦」層のボリュームゾーンを占めはじめると同時に、彼らのつくる家庭が日本の「家庭」「家族」の中心的な位置に入ったのが、まさに、この二〇〇一年という年なのである。
二一世紀はこの一九六〇年(前後)以降に生まれた層の相対的台頭が、あちこちで従来想像もしなかった変化を巻き起こすために、あらゆる市場がいやが応でも影響を受け、動かされていく時代になると考える。
私たちは、この三〇~四〇代前半までの主婦を中心として、写真記録とメニュー日記に、詳細なヒアリングを加えた「食卓写真日記調査(PDI)」を毎年実施し、従来の定量調査やインタビュー調査からは得られない、食の現象や、食に対する感覚や意識、価値観などの変化をとらえようとしてきた。
ここでは、直近の二〇〇〇年11月調査結果も含め、過去三年分の結果分析に基づいて、台頭する新しい生活者たちの特徴と、それが今後の「食」に与えるであろう影響、変化の方向を展望してみたいと思う。
◆「主婦」「親」世代の変化
昨年、マスコミによく取りざたされた「家庭の食卓」の問題は、例えば「家族がそろわない子供だけの食卓」「栄養バランスを欠いた食事内容」「偏食の増加」「菓子や嗜好品の食事への代用」「朝抜きなどの日常的欠食」「不規則な食生活」などであった。それは主に、子供や若者、若い未熟な主婦らの問題として取り上げられていた。二〇〇〇年の政府の「食生活指針」などもこうした子供や若者の食の乱れに、歯止めをかけようと出されたものであろう。
しかし、私たちの「食卓調査」結果では、これはすでに若年層の問題ではなく、上は四〇代に及ぶ大人たちの中にすでにしばしば認められる現象となっているのである。
つまり、主婦、親として私たちがイメージする人々すら、実は大きく変わってきており、手をかけて家族に喜ばれる食卓を作ろうとする意欲をあまり持てない母親たち、家庭の食を大切にする心を失いはじめた父親たちが増えている。
主婦の問題ばかりが語られる傾向であるが、実は、「野菜や魚は食べられない」と拒絶するお父さん、食事よりもスナック菓子や飲料の新製品に目がないお父さん、食卓にその日の献立が並んでいてもレトルトカレーなどを出して一人で食べはじめるお父さん、何でもマヨネーズをかけて食べてしまうお父さんなど、「お父さんの子供化」現象は、近年の家庭の食卓に急浮上している見逃せない特徴の一つでもある。
このような親たちの変化は、家庭の食卓の「味付け」や「メニュー」「食べ方」「楽しみ方」を今、根本から変えはじめており、お子さま中心化、お子さま化に拍車をかけている。時系列で調査を眺めても、食に対する嗜好も感覚も行動も、性別や年齢による違いが次第に目立たなくなるばかりか、総じてその方向は「子供化」する、と私は見ている。
◆「食」意識の低下 食べることより遊び
その根本には、一九六〇年以降に生まれた親たちの特徴である「衣食住遊」の生活価値意識における「食」意識の低さがある。すでに、三〇代~四〇代主婦の過半が「食費はやりくり次第なので上手に節約したい」(二〇〇〇年食卓写真調査)と考えはじめている。「エッセイ」や「すてきな奥さん」が食費切り詰め記事で人気を博したのは九四年だったが、今の三〇~四〇代の主婦は、「もっと」「すこしでも」切り詰めるべく対象として「食」をとらえはじめていることがヒアリングの結果、明らかになっている。
理由は、不景気や収入の伸び悩みなどではない。子供の教育費や住宅ローンを挙げるものの数も近年ぐっと低くなっている。本音を尋ねると、「浮かせたお金で遊んだり買いたいものがある」というのだ。異口同音に「家族でディズニーランドへ行きたい」「子供や自分の洋服や装飾品を買いたい」「旅行やレジャーを楽しみたい」などという。それは夫も同様であるから、現代の家庭にこの流れを止めるものはだれもいない。「飽食」では片付けられない、これも「子供化」の一現象であろうか。
また、「忙しい」「時間がない」からと食事に手間ひまをかけない傾向も強くなっている。しかし、それは従来言われてきたように、主婦が子供の世話や家事、PTA・地域活動、仕事などのために絶対的時間が不足しているからではなく、「時間があったら、もっと自分の好きなことを優先したい」と考えるようになってきているためである。これと深く関係すると思われるが、主婦の食事作りにおける重視点第一位として、二〇〇〇年調査では「時間的都合」という答えが急浮上した。それは特に自分の時間と家族の時間に対する主婦の考え方の変化を表す結果であった。
さらに、近年の主婦の発言や調査記録の随所に見られるのが「食欲がない家族にどうやって最低限のものを食べさせ、栄養を確保するか」という悩みである。それを語る主婦自身にも食欲がなく、何が食べたいかのイメージのないままに、頭で考え、ひねり出して「食べさせなければならないと思われるもの」を義務感で(作って)出している状況である。
このように食べることへの身体的欲求が低下してきたばかりか、時間的にも経済的にも、「食」よりは他の(楽しみ)事を優先して暮らしたいと思う親が大勢を占めてくるのが二一世紀という時代なのである。
こうした中にあっても、低下しない「食」へのこだわりや関心があり、伸びる市場があるとしたら、それは何だろうか。
まず、「栄養・健康」にかかわる市場と、個化する家族に対応する「個」の尊重の市場、「味わう」「お腹を満たす」ことだけではない「食」の楽しみを満足させる市場、などであろうかと、私は家庭の食卓の現状から考える。例えば、その現状とベクトルに簡単に触れて見たい。
◆情報化と栄養志向 サプリ化する食
毎日の食事作りにおける主婦の、重視点第一位は「(自分)時間都合」であったが、第二位は、今「栄養バランス」である。
それは単にバランス良くいろいろ食べるということではなく、例えば栄養素発想で個々の食品、食材を機能要素としてとらえ扱うということでもある。そして情報によって有効とされる栄養を代表的に含むとされた食品・食材を繰り返し、集中的に取る、という傾向が認められる。
例えば、「納豆で大豆タンパクを取る」「カルシウム補給のためにシラスを食べる」「ミカンでビタミンC補給」などというような食材のとらえ方から、納豆、シラス、ミカン‐‐と並べるような、取り合わせも調理の仕方も二の次とした栄養素発想の「単品羅列」的食卓の増加も見られる。
あるいは、栄養機能を一挙に多種多量に、効率的に取ろうとする、いわば「配合飼料」的発想から、従来ならミスマッチとされたような多種の具材の取り合わせのスープや味噌汁、炒め物や煮物も急増している。そして、それをかろうじて料理の形に収めてくれるための触媒的役割を果たす「合わせ調味料」へのニーズも高まっているのである。
さらに、同じ機能栄養が摂取できるならば、その形状やカテゴリーにはこだわらない、とする傾向も急速に高まっている。根菜や緑黄色野菜の栄養を取りたいなら冷凍でも缶詰でも乾燥ものでも、あるいはジュースなどでも構わないというように急変してきている。
また、食、食品の味・風味を生かす調理や、味わいの違いへのこだわりも低下するとともに、「一日三〇品目」「毎日一〇g」などのように数量的基準値をもって示されるものに対しては強いこだわりが見られる。
さらに言えば、その基準や情報の選択においては、今よりも負担や手間、作業などを軽減し楽にしてくれる自分に都合のいい情報を積極的に受け入れる「自己愛型情報収集」の傾向でもある。
舌で味わうよりも「頭」で「情報」を食べる、栄養機能志向の「食」はますます進化するに違いない。特に普段の食においては、「栄養・機能」「身体に良い」という理由から、食材の選び方、買い方、「調理」というものの中身・目的・方法も急速に変化し、朝食らしさ・夕食らしさもなくなれば、食事らしさというものも、間もなく崩壊してくるに違いない、と考えている。
すでに今の食卓に十分その徴候は見られはじめているのである。
◆押しつけない、強制しない家族関係
現代の家族は、夫婦、親子であっても、自分の考えや嗜好、良かれと思うことを相手に強く主張したり指示したりすることはできるだけ避けたいと考える傾向である。
したがって、食卓においても、それぞれの食べる時間や食べる物、食べ方、味付けに至るまで、個々の意向をできるだけ尊重して押しつけず、なるべくかなえるようになっている。
そして、家族それぞれの意向を損じることなく、賄われる食卓であるために、さまざまな新現象、新ニーズが、いま浮上しはじめている。
例えば、インスタント味噌汁、カップスープ、パスタソースなどの個食サイズの簡便食品がファミリーユースとして家庭の食卓に頻出しているが、これらは簡便であることだけでなく「いつでもだれでも、個々ばらばらの意向が家庭の中できちんとかなえられる」ところにこそ価値があると感じられ、使用されているのである。
HMRといわれるような新市場についても、私たちの調査によれば、その簡便性価値だけでなく、「家族皆がそれぞれの好みのものを選び買うことのできる楽しさ」という価値で急速にファミリーターゲットの心をつかみ、利用機会を拡大させている事実も見逃せない。
惣菜売場には、しばしば家族でレジャー感覚で出かけているのも、その表れである。その意味で、「作らずに買って済ませる」などという古いとらえ方を完全に覆す視点で二一世紀、この市場は見つめ直すべきであろう。
また、食べるモノと量も家族に強制しない「大皿メニュー」を各自好きに取って食べるビュッフェ方式の急増なども、こうした「個」を尊重する家族のあり方と密接に関係している。
あるいはまた一方で、「子供に食べないと言われると困るから」、あるいは「食べる食べないの親子の摩擦や葛藤を回避したいから」と、子供の出すリクエスト、メニューチェンジ、追加オーダーにこたえるための商品市場もある。
家庭の食卓における「個」の尊重、ここには、二一世紀もまだ未開の市場がある。
◆新しい「食欲」市場の創出へ
このようにして、日本の家庭の食卓が、「食欲」を失いつつ、栄養・機能や健康を合理的・効率的に志向するあまり、食べ物を舌や腹で味わう楽しさを減退させ、「個」の好みや要求の尊重が、家族・家庭の食卓をバラバラなパーソナルなものにしていくために、一方では今までとは別の「食」の楽しみが求められはじめている。
ここから先にこのような新しい生活者を満足させる、腹や舌の満足だけではないどんな新しい「二一世紀的食欲市場」を創造・創出できるのか、そこが食品各メーカーや流通、サービス各社の方々の重大テーマとなってくると思われる。
((株)アサツー ディ・ケイ岩村暢子)