店主の本音・プロが訪ねる気になる店:30代オーナーの心意気
料理人が独立するには一定の修業年数を経て、一定の年齢に達してというのが料理界の常識だった。ところがここに来て、長い間のこの常識を打ち破り、一国一城の主となる料理人が増えてきた。なみなみならぬ本人の努力に裏打ちされてのことと思うが、三〇代にしてオーナーとなった二人のシェフ、フランス料理「コム・ダビチュード」の釜谷忠義オーナーシェフと日本料理「笹岡」の笹岡隆次店主。ジャンルを越えて若きオーナーならではの率直な考えを語り合ってもらった。
‐‐若くして独立をされたが、なかなか大変なことと思いますが。
釜谷 私はフランス料理もよくわからず、まずは現場に入り料理長をと思っていました。そのために一生懸命仕事をしてフランスへ行き、次はシェフへと考えていました。ところがこのころ日本の状況も変わり、三〇歳前の私でも店がもてる見通しがたち、居ても立ってもいられなくなりました。
多くの人の後押しもあり店をもちましたが、過ぎ去って初めて知ったのが人間関係の大切さ。狭い厨房の中での人間関係は後々までつながること。一生の先輩後輩の関係づくりは、どこでどうかかわってくるか分かりません。
笹岡 私も人の関係に恵まれていました。まず最初の店が料亭「長谷川」だったことです。これが近所の小料理屋だったら今の私はないと思っています。
特に和食の世界をいうのもなんですが、性格の悪い料理人は山ほどいます(笑)。
「長谷川」では仕事が良い、品も良い、勉強家という良い料理人さんに会えたことです。
この後も「川崎」で、この人があって今の私があると思っている吉原綾二氏に出会いました。
和食の世界は独立するか、職人に徹しどこかの店の料理長になるかの二つに一つ。だいたいは独立は難しいから職人の道を極めていくのが普通。当然にどちらを選ぶかで修業の仕方も違ってきます。
もし独立するなら、二〇年、三〇年も頑張る仕事の仕方は無駄なこと。遠回りになります。
また職人になるのであれば、コツコツと積み上げて完成させなくてはいけない。ただ両方に共通する基本的な姿勢は、しっかり仕事を積み上げることです。
また大事なことですが、客層はどの年代かをはっきりすべきです。それによって客層によって提供するものも違ってきますから。
うちは年代を比較的上においているので、若い人でカジュアルに利用したいというのであれば、よそに行ってくださいとなる。客層と店のイメージビジョンはしっかりもっていなければいけません。
釜谷 フレンチの場合、日本では底辺ができておらず、上から下りてきた。私の場合、修業はきちんと上でしましたが、もっと多くの人にフランス料理を食べて欲しい、それにはカジュアルな店でやるのが最良と思っていました。イタリアンではそうした店がたくさんできていますが、フレンチでももっとカジュアルに食べて欲しいと。それには人頼みではなく、自分でやるしかなかった。
‐‐独立にあたっての店づくりは。
釜谷 一般的に、独立するにはまず物件があり、それに合わせて料理があります。私はそうした考えはなく、「私のこの料理をやりたいのだ」というのが先にあり、どこへいってもその料理をやりたいと思っていました。
笹岡 和食でも同じです。この地域だからこの料理という世界。私はこの料理に、この客層と明確にしていましたが。
釜谷 私は理想通りではなかったが、根本は「私ありきの店」。自分の理想のために独立したのに、曲げたのでは意味がない。逆に「こんなところでこんな料理が食べられるんだ」という驚きを与える店、これで勝負しようと思いました。
笹岡 私は看板も出していないのですが、ここで絶対大丈夫と思っていました。店を出すにはお客を引き込む何かが必要。店に入ったときエッという驚きをもたせることです。
私の店は料亭だが安く提供する店づくりにしたかった。
客層は四〇、五〇、六〇代で、夜は一万円~一万五〇〇〇円。昼間は開店当初から三〇〇〇円と五〇〇〇円です。
釜谷 うちは五八〇〇円からなので飲み物を入れて一万円くらい。席数は二六席です。資金がなかったので居抜きですが。
笹岡 和食は席数が少ないのが常識。みなさんからは、高い人件費を使わずもっと規模を小さくしろと忠告されました。
ただ菱沼さんは、「良い仕事をするには人がいる、かかった人件費は売ればよい」とのアドバイス。マイナス思考では前進しないと前向きに受け止めました。
釜谷 私も同じで先行投資と思っています。調理場五人、ホール二人で二六席ですから気が狂ったかといわれました。今は利益は少ないが、これを乗り越えると、きっと理想の店に近づけると思っています。
‐‐カジュアル化する中、お客の反応は。
笹岡 堅苦しいといわれますが、ジーパン、Tシャツで来るのはおかしい。うちはそんな格好で来ないでよと言いたい。安くて払える価格だから、どんな格好でもよいのではない。カジュアルをはきちがえています。店の雰囲気をつくるのはお客。イメージ通りのお客が入ればいいのですが。
釜谷 若い人で、ときにスエットでくる人もいます。逆に食べることにお金を惜しみなく使う人も増えており、まさに混沌とした時代ですね。
年輩者でもたばこを平気で吸っているマナーの悪い人もいます。煙が食べ物にかかるので、リスクを覚悟し、最近ついに全席禁煙にしました。
笹岡 たばこと携帯電話は大きな迷惑です。アメリカのようにヒステリックにはなりたくありませんが。
釜谷 四人と予約を入れながら子供が入っているのには、悩んでしまいます。
笹岡 うちは大人の店とうたっていますから、中学生以下はお断りしています。これからは店のポリシーをハッキリ出すべきと思います。
私はここ三年間、ホールにも出ていましたが、これからはもっと腕を磨き、笹岡の作った、笹岡の盛った料理を食べてもらおうと思います。スタッフにはその助けになるよう言っていますが。
釜谷 今の年齢になり、いままで見ていたフランス料理を外から見てみようと思っています。ただ店にいるのが絶対条件ですが。
笹岡 われわれの仕事は、いかにお客さんがおいしかったと感激し、もう一度来てもらうかです。板前は料理を作ったらおしまいではありません。うちは全員がホールに出ますし、だれかしらがお客を送り出します。店はトータル。どんなにおいしく作っても、働く人の笑顔がなければ駄目。器の下げ方一つにも気を遣います。若い人にはこうしたことを考えながら育って欲しいです。これもこの年齢に来て感じることですが(笑)。
◆訪ねる人 釜谷忠義さん
(かまたに・ただよし)=フランス料理「コム・ダビチュード」オーナーシェフ(東京都目黒区上目黒三‐一六‐一、03・3791・3681)
一九六三年横須賀生まれ。高校時代のアルバイトはファミリーレストラン。当時テレビの料理番組で熊谷喜八シェフの店が紹介され、初めて見るフランス料理の素晴らしさに感動し、辻調理師専門学校へ進学する。
料理人生活の第一歩は「成川亭」。約四年間修業後、渡仏し、パリ、アルザス、ロワールなどで研鑚を積む。
九一年に帰国後、銀座「ラ・ハオ」のセコンド、九三年に日比谷「南部亭」のシェフを経て九七年に、念願の「コム・ダビチュード」のオーナーシェフとなる。
◆迎える人 笹岡隆次さん
(ささおか・たかつぐ)=日本料理「笹岡」店主(東京都渋谷区恵比寿二‐一七‐一八、中村ビル一階、03・3444・1233)
一九六二年東京・築地生まれ。父親の兄弟二人、母親の兄弟二人ともに中華の料理人だった環境から料理人の世界へ進む。テレビで見るグラハムカーの「世界の料理ショー」で外国の料理にあこがれるが、親戚筋の日本料理「長谷川」へ修業に入る。同じく赤坂「川崎」で吉原綾二氏を師匠に研鑽を積み、新橋「一乗」、三田「菱沼」を経て、赤坂の料亭で料理長を務め九七年、三四歳で日本料理「笹岡」の店主となる。
北大路魯山人の孫弟子になる吉田義雄氏が、師である吉原氏の師匠にあたるため、魯山人の直系弟子になる。