トップインタビュー:日本クレセント代表取締役社長・徳野信雄氏
回転ずし業界は、大手チェーンが出店を加速、激しい顧客争奪戦を展開する一方、不採算店をたたむ企業も相次ぐなど、業界内の競争も熾烈になってきた。回転ずしの今後の可能性と課題について、業界とともに歩み、ハードのみならず経営面でも先導役を果たしてきたコンベヤシステムのトップメーカー、日本クレセントの徳野信雄社長に聞いた。
‐‐回転ずし業界の現状についてお聞かせ下さい。
徳野 わが社のリサーチでは、現在回転ずしは四三七六店舗ほどに増えている。山手線の主要駅にいたっては、池袋に一九、新宿に二三、渋谷に二一店舗もある。
しかしこれだけの店舗数がありながら、客層を所得水準で1~10まで分けると、せいぜい1~4ぐらいの顧客しか取り込んでいないと思われる。
回転ずしの変遷をみれば、昭和54年に最初の一〇〇円ずしが出てきたことで、サラリーマンが明朗会計ですしを食べられるようになった。58年は一〇〇~二〇〇円のすしが生まれた時代で、さらに63年は、ネタ数が五〇ぐらいに増え、マグロのグラムも一五gまで大きくなった。
現在主流となっている回転ずしは、ほとんどこの63年型。しかし、どの店舗も同じスタイルで、いまだに客席のうしろに待ち席を設けて、「早く食べて帰れ」という二〇世紀の商売をしている。
回転ずしは、第一次ベビーブームの団塊の世代とともに成長してきた。昭和54年当時にサラリーマンだった彼らに子供ができ、ファミリーで回転ずしに行くようになって郊外型店舗が普及した。それにもかかわらず、子育てを終え、高齢者への仲間入りを始めた団塊の世代に、いまの回転ずしの業態はマッチしていない。これからは高齢者への対応も視野に入れなけばならない。
また、売上げが伸び悩む理由には、専門化が進んだこともあげられる。スーパーにしても、カジュアルはユニクロ、薬はマツモトキヨシと専門店の台頭で客離れが起きた。回転ずしも同じ。ニーズの細分化に合わせた新しい回転ずしの業態があるだろう。大手一〇〇円ずしチェーンの成功は、すし業界のダイソーになったことだ。
63年型の回転ずしは、所得別客層の1~3を一〇〇円チェーンに奪われ、残りの4、5の少ない層を多くの店舗で取り合っているというのが現状だろう。
‐‐これから生き残る回転ずしとはどんな業態か。
徳野 北海道や名古屋、京都でいま、ネタの質を向上させ、店舗にいけすを入れて高級化した平成11年型のグルメずしが生まれてきた。客席も座敷を設け、すしだけではなく、酒も飲め、小料理やデザートも充実している。
これから外食は二極化が進む。家庭では食べられない味を提供するのが、高付加価値型の回転ずし。
すしの嫌いな人は、日本人ではおそらく一割くらいしかいないだろう。しかし今の業態は、所得別客層の6~8の人に食べてもらえるシステムになっていない。そこに二一世紀の新しいマーケットがある。
いま美登利寿司など江戸前ずしがこの6~8の客層を引き込んでいる。酒を飲んでも客単価四五〇〇円。この江戸前と回転ずしの中間に位置付けられるのが、客単価二六〇〇円の11年型の回転ずしだ。この業態は、居酒屋にとっても脅威になるだろう。
これまでの回転ずしは、経営者の主導で、勝手に流して早く食べて帰れというものだったが、江戸前ずしは、お客さんを主体にした店。二一世紀は顧客第一主義でなければならない。
片や低価格では、私はもう一〇〇円ずしは頭打ちだとみている。大手チェーンでも、大型店で一気に客を入れないと採算が合わないギリギリの状態だ。
そこでマクドナルドのようなファストフード系の業態に変わってくると考える。回転レーンからセルフで席に持ち運ぶ。そこですし以外のサブ商品を売れば、その利益でネタの質を上げることもできる。
二一世紀はおそらくいまの四三七六店舗はすべて消える。新しい二極化の時代がスタートするだろう。
◆プロフィル
とくの・のぶお=昭和21年5月1日生まれ。愛知学院大学商学部経営学科を卒業。明電舎を経て、56年現日本クレセントの前身である大昇製作所に就職する。62年社名変更。現代表取締役社長。
大昇製作所時代にコンベヤの技術を回転ずしに応用、回転ずしブームの火付け役となる。現在も技術・経営の両面からコンサルティングを行っている。
◆会社概要
日本クレセント(株)(本社所在地=石川県松任市横江町一一五五‐一、076・275・5113/http://www.j-crescent.co.jp/)