シェフと60分:菜懐石(精進料理)「仙」オーナーシェフ・狩野由美子さん

2002.03.04 247号 19面

野菜の魅力を一二〇%引き出した精進料理のコースが評判の「仙」。切り盛りするのは狩野さんと妹さんの二人。

昨年6月、東急東横線祐天寺駅から徒歩一〇分の住宅街にオープン。立地条件はあまりよくないが、リピーターと口コミ客で個室三室(四人二室、八人一室)は常時予約で満杯だ。料理は昼のコース六三〇〇円、夜は一六品八五〇〇円のコースのみ(税、サービス料別途)。

「精進料理というと、辛気くさいイメージと、俗っぽくなりすぎた面があり、私もお寺の精進は苦手です(笑)。目指したのは元気いっぱいの無農薬有機野菜を美しい懐石料理に仕上げ、くつろいで食べていただくこと。食べ歩いて参考にしたのは京都の料亭。老舗といわれる店が好きですね」

店はコンクリート造りの建物の二階にあるが、入り口に一歩足を踏み入れれば、京の建築家の手による自然素材の和空間が広がる。隠れ家風のたたずまいに二〇代の若い女性から六〇代まで、幅広い年齢層が集う。カップル客や接待も目立ち男性の割合も二割を超える。お酒は蔵元で昔ながらの製法でつくられた日本酒やオーガニックビールを各種取りそろえる。「肉、魚、砂糖、化学調味料はもちろんのこと、卵や乳製品、はちみつもいっさい使いません。食材の持ち味を引き出すのは、天日塩と天然醸造の醤油。だしもカツオではなく昆布だしです」

物足りなさを口にする客はまずいない。「精進料理っておいしいですね」と満足気に帰っていき、次に友人・知人を連れて二度、三度やってくるパターンが驚くほど多いという。

「食事を楽しんだ上に、体の調子もすこぶるよくなった。そう言ってくださるのがうれしいですね」

狩野さん自身、つやつやとした肌の持ち主で、とてもエネルギッシュ。女手ひとつで小学生の子供を育てているようにはとても見えない。

「何年か前なら『野菜だけの料理?』といぶかしがられたと思いますが、いまは和への回帰、素材食志向が高まっていて、追い風を感じますね」

野菜の仕入れは世田谷区内で有機無農薬野菜をつくる農園から、また鳥取で農業を営む両親には、タネを指定して京人参、聖護院蕪などを作ってもらっている。キノコは知り合いを通じて、長野県と新潟県の県境の山へ狩野さん自ら採りにいく。

「田舎育ちなので、崖を上り下りするのは得意なんです」

店では毎日ノートに日付と客の名前、料理内容を記入しておき、次に来店したときは全く違う料理を出すことを心がける。

「野菜は切り方、火の通し方で何十、何百通りもの料理になる。うちの仕入れは『旬』の指定なので、明日何の野菜がとどくかわからない。朝届いた野菜の顔を見て、かじってみてから料理を決めていくんです」

たとえ出来が悪くても、古くなったものでも、野菜の状態に一番あった調理法をすれば素材の力を極限まで生かすことができる。そう言い切る狩野さんからは、野菜や野菜料理にかける強い愛情が伝わってくる。

「昔よく食べていたアクの強い野菜も、いまはあまり見かけなくなりました。食べる人がいなければ、農家も作らなくなってしまいます。日本の風土に合った野菜を、積極的に使っていきたいですね」

海の幸である海藻料理ももっと食べてもらいたいと考えている料理のひとつ。「いま興味のあるのが郷土料理や古典料理。素材とともになくなってしまう危機感もあり、休みの日は集めた文献を読んで一日が終わってしまうんです」(笑)

精進料理を教えてほしいという声にこたえるため、店の奥に一〇人ほど集まれるキッチンスタジオも作った。今年から精進料理教室もスタートさせている。

文 くりたきょうこ

カメラ 岡安秀一

・所在地=東京都世田谷区下馬五‐三五‐五(2F)

・電話=03・5779・6571(前日までの完全予約制)

◆プロフィル

一九六三年鳥取県生まれ。農業で忙しい両親に代わって小学生のときから食事づくりを担当。以来、料理の本を読むのが趣味のひとつになる。高校のときに授業で食品添加物を習い、有吉佐和子さんの本などを読み、できるだけ自然に近い農法の素材を使う料理のおいしさに気づいたという。

その後、結婚と離婚を経験、幼児を抱えてもできる仕事として、「料理で身を立てる」ことを決意。七年前に、東京・荻窪で野菜おやきの店「かのう屋」をオープン。全国発送や販売店に卸すまでになったが、ネパールのエコロジーホテル立ち上げに参加するため、おやきの店は知人に売却。二年前に帰国し、半年後にいまの店を開く。ちなみに精進料理は荻窪時代から出張料理や講習を行っており、いつかは食事を出す店を、と考えていた。ただし今の店もまだ夢の途中、「子供に手がかからなくなったら、お酒を主体に野菜料理が楽しめる小料理屋を」との企画も温めている。

◆私の愛用食材 カンホアの塩

完全な天日製法は、雨の多い日本では難しいものですが、ベトナム中南部カンホア・プロヴィンスは乾期のある熱帯のため、海水を塩田に入れて天日だけで一~二ヵ月かけて塩を結晶、さらに天日で乾燥させています。昔ながらの製法と味が気に入り、愛用しています。

コース料理の中で出す手打ち麺のつけ汁(昆布と塩の塩だれ)や砂糖を使わないデザートの甘みの引き出し役としても大活躍です。

◆問い合わせ先=(有)鹽屋(東京都福生市武蔵野台一─一九─七、電話042・553・7655)

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