料理の潮流トップシェフインタビュー:「広東名菜 赤坂璃宮」総料理長・譚彦彬氏
日本における中国料理の歴史が変わろうとしている。中国の経済環境の急速な変化で、食の世界でも腕の良い料理人が生まれ、日中間の交流も始まったからだ。香港をはじめ年一〇回は中国を訪れている赤坂璃宮の譚彦彬総料理長に、これからの中国料理の展望を語ってもらった。
‐‐中国料理の潮流をお聞かせ下さい。
譚 まずヘルシー、素材へのこだわり、そして本場の味を意識した個性化です。香港では景気が良くなって、日本のように健康志向が強くなってきました。農薬を減らした有機野菜を使うなど、素材にこだわっています。
フレンチに比べ、中華はその辺りが遅れていましたが、日本でも最近は、おいしいものを作ろうとすれば、鮮度や地物にこだわって、魚や野菜を産直で取り寄せることが当たり前のようになっています。
また、これまで日本流にアレンジされてきた中国料理が、本来の中国料理の味や食べ方に回帰しつつあります。日中の交流が活発になったことで、本場の味を知る人が増えました。
うちの店でも、肉や魚料理は骨や頭付きを出しています。昔は嫌がられましたが、いまはそれがおいしいことをお客さんが知っている。魚も石垣島や沖縄から直接取り寄せた亜熱帯産を使うなど、広東料理なら広東らしく、特徴をはっきり出すように意識しています。エビチリや春巻きなどは、もう一〇〇%コースから消えました。いまはチャーシューやガチョウなどの焼き物、フカヒレが人気です。
四川のコックたちも、徹底的に辛いものは辛くというように、個性を強調するようになっていますね。担々麺も、本場と同じ「汁なし」が出てきました。
お客さんの食べ方も、接待用途以外はコースの注文は減り、オープン時に比べ、単品を頼む人が三割増えました。うちはコースよりも、より本場の味に近づけたア・ラ・カルトにもっと力を入れていくつもりです。
‐‐広東や四川以外の大陸料理も今後日本に入ってきますか。
譚 日本ではこれまで、大まかに「広東」「四川」「北京」「上海」の四大料理しか普及してきませんでした。でも国土の広い中国では、各地域特有の料理があります。それが八大料理と呼ばれる「上海」「山東」「四川」「広東」「潮州」「福建」「湖南」「浙江」。
中でも湖南や潮州は、日本でまだ店は少ないけど、これからヒットすると思いますね。香港はいま潮州ブームで広東料理の三分の一ぐらいが潮州に変わってきました。薄味で脂のキレがいいから広東より重たくない。日本でも、横浜中華街辺りに店ができてきました。
湖南は酸味辛みがはっきりしているのが特徴。四川よりもっと辛い料理もあって、日本人にはウケやすいでしょう。
浙江は、寧波など港町を中心として発展してきたもので、魚やカニ、貝などの素材を生かした海鮮料理がおいしい。また中国東北部の山東は、肉や饅頭などの小麦粉を使ったボリュームのある料理で、しかも安い。日本の若者や満州経験のある年配の方など、幅広い層から人気を得られると思いますよ。
‐‐そうした新しい料理の潮流には料理人の存在が不可欠ですね。
譚 日本に来ているコックは、香港と広東が一番多く、社会主義国家の中国では、これまで大陸の料理人が日本に渡ってくるのは非常に難しかった。でもこれからは本土で腕を振るっているいい料理人がどんどん日本にやってきて、八大料理を広めていくでしょう。
すでに日本人の経営者が、中国各地の繁盛店のコックを引き抜いてきてます。中華街や新橋、新宿などで、本土のおいしい中華が食べられるようになってきた。また、もともとコックで日本に出稼ぎにきていた人たちが資金を貯めて自分の店を持ち、郷土の料理を出している例もちらほらと出てきました。
余談ですが、日本では中国の「特級料理人」を料理人の最高資格のように思っていますが、実は違うんですよ。中国では文化大革命の時、おいしいものを作る料理人は地方に飛ばされて淘汰されました。共産党員のコックだけが「特級」の資格をもらえた。いま五〇~六〇代の料理人たちです。
開放経済後に外資のホテルがオープンするときは、必ずこの特級料理人を数人雇用しなければ営業許可が降りなかったこともあります。だから日本の外資の一流ホテルにも必ず特級料理人が入っていますね。このことが残念ながら中国料理の発展を妨げたひとつの要因でもあるのです。
でもこれからは、特級の資格はなくても腕のいい三〇~四〇代のコックが日本に入って来られるようになるでしょう。大変期待しています。
‐‐中国本土も変わってきていますか。
譚 二〇〇八年の北京オリンピックを控えて、いまレストランの建設も急ピッチで進んでいます。中国政府も力を入れていて、いま日本のオークラや全日空などの一流ホテルには、中国からコックが研修に来ています。日本は調理技術だけでなく、厨房システムや食品衛生でも進んでいる。また食器についても、有田や美濃といった窯元に職人が技術を学びに来ています。料理だけではなく皿も必要ですからね(笑)。
これから一〇年で中国はすごく良くなる。その勢いが日本にも波及してくるはずです。
(記事・阿多笑子)
◆プロフィル
譚彦彬(たん・ひこあき)=一九四三年横浜・中華街に生まれる。東京・新橋「中国飯店」を皮切りに、芝「留園」を経て、仙台ホテルの副料理長を務める。京王プラザホテル「南園」の副料理長になったことをきっかけに、香港の広東料理に本格的に取り組み始める。九〇年ホテルエドモント「廣州」総料理長を経て、「赤坂璃宮」のオーナー料理長に。年に数回は香港を訪れて良い食材を探し、旧来のイメージにとらわれることなく、独自の広東料理を表現し続けている。