シェフと60分:ホテル海洋総料理長・大城宏喜氏
「公私ともに誠実なつき合いを。互いに尊重して技術向上にはげみなさい」。二七年間にわたり、中国料理の後進育成を積極的に行ってきた大城さんの口癖だ。
(社)日本中国料理調理士会、その前身である全日本中国調理士友好会の会長として、日本の中国料理の発展に尽してきた。流派のこだわりを越えた中国料理の団体を発足させ、まとめあげた功績は大きい。中国料理の社会的認知度と、技術の向上は調理士会の設立スローガン。設立当初、中国料理の調理人で調理士免許を持つ者は全体のわずか五%ほど。三年で三〇%、現在は八五%にまで普及させた。それを牽引したのは自費を使ってでも講演や講習を催し、中国料理の伝統の啓蒙を促してきた大城さんの熱意に他ならない。
「決して人を疑わない」素直な気持ち、「私をバカというならば、頭の良い者とつき合いましょう」とする持ち前の気さくな性格に魅かれて、協会の会員数は全国で約一万人を数えるほどに膨らんでいる。
このほど、中国料理人としては初めて、黄綬褒章を受章したが、「誠意のある友人(協会)のおかげ。私だけでなく皆で分け合うもの」といたって謙虚。「人の恩は決して忘れてはいけない」という持論をそのまま貫いている。
そんな協会の隆盛をみつめながら、「まだ目的の達成は五〇%」と厳しく切り捨てる。
大城さんは中国江蘇省の生まれ。上海で調理の世界に入た後、戦時下の大阪へ渡って来た。数ある中国料理店を渡り歩き、本国の伝統をいまに伝えている。中国料理の真随を極めようとする姿勢に変わりはないが、料理に対する思考のギャップに頭を悩ませている。
「料理法の上面ばかり伝わり、本来の特徴が理解されているのか」と疑問を抱く。
しばしば中国にも渡るが、「自分の教わった味と全く違う。本土では共産主義の台頭と同時に、腕の立つ料理人が海外に流れたため、伝統的な調理概念まで失われつつあるのでは」。調理技術の伝道より、中国料理の概念そのものを次世代に伝える使命にかられている。
「幸い日本にはレベルの高い料理人がたくさん渡っている。それぞれの英知を集結しなければ」。流派のイデオロギーを越えて、日本国内で中国料理の基本概念の再構築を図ろうとする願いが止まない。
周知の通り、中国料理は四〇〇〇年の歴史を誇るが、それを生みだしたさまざまな調理法、豊富な素材、鮮やかな色彩は他の料理に類を見ない奥深さを秘めている。だが最近の中国料理について、「模倣した料理が多すぎる」と基本を忘れかけている現在の傾向にやや不満気。「中国料理の歴史は保存食から始まっている。今のように冷蔵庫など無い時代に、素材を駆使して確立した料理法だから感心されるのです。旬の素材をいかに上手に使いこなすか、また、悪い素材でも調理次第でおいしく仕上げる‐‐基礎的な部分を学ぶべき」と、古き原点を再確認する必要性を説く。
例えば、講習先で鶏肉を捌いて炒める簡単な実演をするが、生徒からは“何をいまさら”との声が多い。「だから同じ材料を使って私の調理したものと競わせます。だが負けたことはありません。切り方一つで味が全く変わることに皆驚きますね」。味付けにしても同様だ。「混ぜればいいってものではない。一つ一つ丁寧に下味を付けて、一気に火を使うから初めておいしく出来るのです」。素材に関係なく、細かな気配りが心のこもった料理に結び付くことを広めている。
また、彩りや彫り物など、飾りばかりに気を配った最近のアレンジ料理を嫌う。「見た目は肝心だが、行き過ぎは化粧をした女性と一緒。確かに奇麗だが、中身が備わなければ、むしろ華美な部分とのギャップが生じて食事の楽しさも半減する」とバランスの取り方を強調する。
作ろうとする料理の素材は年間を通していたる所にはんらんしている。また便利な食材も多くなったが「人件費、テナント料の高騰を考慮すればいたしかたない」と時代の感覚も持ち合わせている。だが「素材に頼りすぎて、料理の本質を見失わないこと」と付け加える。
取り沙汰されるマスコミの過熱ぶりについては「地道に築いた足場を“流行”の一文字で流されないように‐‐」と懸念する。
いずれの問題を乗り越えるアドバイスとして「とにかく努力を怠らないこと。料理法はさまざまだが中国料理はひとつ。学ぶべきことは山ほどあり、現状で満足してはいけない」そして「炒める、煮る、蒸すなど、それぞれの基本を確実に吸収すること」とあくまでも料理の骨格となる基礎技術を重視する。
そして最後に「中国料理は食べるほどに欲しくなる」と、その真随を語ってくれた。
文・カメラ 岡安秀一
一九三〇年、中国江蘇省鎮江生まれ。その後中国一の大都市だった上海に出て、年少の頃から料理の世界に入る。昭和18年、戦時下の大阪に渡り、以来日本での生活を過ごす。上海での見習い時代を含めた調理人のキャリアは五〇年を超える。
東京・麻布の「迎賓酒家」、日本橋の「会賓楼」、六本木の「盧山」、二子玉川の「富士観会館」といった一流店で腕をふるい、現在の「ホテル海洋」の総調理長に至る。
また、中国料理の発展、技術向上に積極的支援。団体の役職として、(社)日本中国料理調理士会会長、(財)日本海事科学振興財団総調理長、(社)調理技術技能センター理事、世界中国烹〓(ほうじん)連合会常務理事の現職にあり、わが国中国料理業界の最高峰にある。「格式にこだわらない」気さくな性格の持ち主で、“富士観の王さん”“海洋の王さん”と親しまれ、業界では知らぬ者がいない有名人であり人気者だ。
長年中国料理に従事し、多くの後進の育成に尽力、中国料理業界の発展に貢献した功績が認められ、このほど中国料理の調理人としては初めて黄綬褒賞を受賞した。
(財)日本海事科学振興財団・ホテル海洋
・住所/東京都新宿区百人町二‐二七‐七
・電話/03・3368・1121(代表)