惣菜弁当研究所:ローカル名物紀行 レストラン東洋軒「本家とり天」 調理技法は和洋中の三位一体
◆レストランの逸品から大衆惣菜に 別府から大分名物を経て全国に
大分名物「とり天」は、地産地消を象徴する郷土料理かと思いきや、実は昭和生まれのハイカラ料理。別府の洋食コックが考案した由緒あるメインディッシュだということは、意外に知られていない。見たままに「鶏唐揚げの天ぷら版」といえば簡単だが、誕生の経緯を知るほどに興味深く、味わいはひとしおだ。
●発祥と普及:鶏ノカマボコノ天麩羅
発祥は1925年。帝国ホテルで洋食修業した後、宮内庁で天皇の料理番を務めた宮本四郎氏が、縁あって別府に移住し「レストラン東洋軒」を開業。交流のあった台湾ホテルとの人脈を生かし、現地から中華料理のコックを招聘(しょうへい)し、彼らとともに洋食と中華料理の提供を始めた。そこでメニューに記された「鶏ノカマボコノ天麩羅」が「とり天」の起源だ。以来、看板料理となり、弟子たちが独立して県内に広げていった。
●調理概要:無加水で軟らかさ長持ち
鶏もも肉(そぎ切り)をタレ(醤油・ニンニク・ごま油)に漬け込み、衣(卵・小麦粉・片栗粉)を付け、170℃のサラダ油で3~4分揚げる。タレ漬けで下味をしっかり付け、そぎ切りにすることで揚げ時間を短縮し、片栗粉入りの衣でサクサクの食感に仕上げる。冷めても軟らかさが持続するよう、衣に水を加えないのもポイントだ。
●販売概況:国体契機に知名度アップ
21卓100席の1店舗で1日に400~500人を集客。行楽・帰省シーズンは1000人に達する。客の大半が「本家とり天」を注文。かつて地元客ばかりだったが、2008年に大分国体が開催された際、とり天を紹介する官民一体の取り組みが活発化し、発祥店としてブレークした。現在は観光客が多く、地元客から「入れない」とのクレームも。
●ポイント:和洋中の調理技が融合
創業当時、地元の鶏料理は「骨付き」が普通だった。それに対し宮本氏は、洋食の感性を生かし「上品に食べやすく骨を抜いた」と伝わる。加えて、中華料理の揚げ物に付ける下味、日本料理の天ぷらに使う衣を活用した。それら和洋中の三位一体こそ、とり天の神髄とされる。
当初記された「鶏ノカマボコノ天麩羅」の意味は、鶏肉をカマボコ(すり身)のように成形したからと推測される。当時の地鶏は肉質が硬かったので、軟らかくするため包丁でよくたたいた。これがカマボコのすり身に似ていたようだ。
◆店舗概要
「レストラン東洋軒」
経営:(有)宮本
所在地:大分県別府市石垣東7-8-22