4月9日。今日は大仏の日
752(天平勝宝4)年4月9日、奈良の東大寺で大仏開眼供養が行われた。
薬品として大仏に献上された砂糖
日本に砂糖がもたらされたのは奈良時代とされている。当時は貴重なもので薬品として扱われ、大仏へ献上されたという記録も残っている。
その後、鎌倉〜室町時代になると茶の湯の発達などで菓子などに砂糖が使われるようになったが、江戸時代の初めまで需要は輸入でまかなわれた。
国内生産が本格的に始まったのは江戸時代の鎖国以降である。琉球・奄美大島の黒糖や阿波・讃岐地方での三盆白糖など、九州・四国を中心にさかんになった。また、八代将軍徳川吉宗は江戸城での甘蔗(かんしょ、さとうきび)栽培を試みたとされる。
近代的な糖業が発展したのは明治時代になってからである。日清戦争により領有した台湾が 甘蔗の栽培地であったことから、近代的な製糖工場がつぎつぎに建設され、昭和10(1935)年代になると年間100万tの生産を上げるにいたった。また、北海道で甜菜(てんさい)糖の生産の取組みが始まったのもこの時期である。
その後、第二次世界大戦の敗戦で日本の糖業は一時壊滅状態となったが、経済が回復するにつれて復興し、1953(昭和28)年には需要量が100万tを、67 (昭和42)年には200万tを超え、70年代前半には300万tを超えた。しかし、その後はほかの甘味料が砂糖分野を浸食し、現在の砂糖消費量は年間約200万tとなっている。
(日本食糧新聞社『食品産業事典 第九版』(引用箇所の著者:精糖工業会 内田 豊))