日本人にとってのコメの存在意義~昔と現代、今後
小売店にコメがなくなった。コメを求めて客が小売店をハシゴする事態となった今年の夏。先進国の中で日本はエネルギーベースで自給率が40%を切る唯一の国である。そんな日本において、コメは100%近く国内生産をしている希少な食材だ。そんなコメが買えなくなるとは、あまり消費者も想像していなかっただろう。政府による備蓄米を出すべきか出さないか、新米の出荷状況はどうか、売り場はどんな状況かなど、連日メディアもコメの行末について報じていた。
コメは言わずと知れた日本の主食なのだが、その主食の品薄を受け、日本人にとってのコメについて、トレンドも含めて考えてみたい。
2024年夏のコメの状況
スーパーマーケットのコメが品薄になった理由は、気象状況や気候変動によるもの、インバウンド需要が増えた、外食産業が伸びた、南海トラフ地震注意や台風への備蓄需要で買いだめが目立ったなど、さまざま考えられる。
スーパーマーケットやコンビニには陳列棚が空になる日もあった。8月末~9月初旬にかけては、電子レンジを使用して食べるパックご飯も安価な商品から徐々に売り切れとなっていた。幼稚園や学校などご飯給食を出す施設はコメを探し求めて大変だったと聞いている。また、小麦アレルギーの人にとっては、コメがないことはかなり痛手ではある。通販のコメもsold outが目立ち、ふるさと納税の返礼品は欠品した県が多かった。
一方で、以前から筆者が購入している百貨店では、8月末でもコメ売り場が空っぽではなかったし、都内の米屋には品種にこだわらなければ売られていたように思う。
代替品に恵まれた日本
このような状況だが、品ぞろえが良くなるまでは麺類でしのぐという声が多く聞かれ、日本人はとことん困り果ててはいないように感じた。麺やパンなどさまざまな小麦製品が食生活に浸透している現代の日本は恵まれていると痛感する。
しかし、昔から日本人がコメの代わりに食べてきた芋類で代用している、という声はほぼ聞かれなかった。芋は菓子としては人気だが、現代人には主食の代替品としては印象が薄くなっていることも感じた。
外食産業の事情
外食では、寿司屋やおにぎり店、丼もの専門店などコメをメインにした店はもちろんだが、「ご飯お替わり無料」を打ち出している店も苦労を強いられた。全体としては、値上げはできないのでご飯の量を減らす対応をしている店が目立った。小麦に比べてコメは比較的に安定した市場とされていただけに、今年の夏は想定外だった。
コメは必ずあると思ってはいないか
食料自給率が100%近い(実質100%なのだが、貿易上輸入コメが若干ある)コメなのだが、深刻な食糧難になった場合は、国民全員が毎日食べる分のコメは生産されていないと言われている。それは、現代人はコメ以外にパンや麺などを複合的に食べているため、コメの生産量もそのバランス上成り立っている量になっているからだ。
日本人は、常に「コメはある」「コメには困らない」といった漠然とした安心感をもってしまっているのではないか。新米が出て価格と供給が安定すれば、また安心感の中にどっぷりと戻っていきそうな気がする。
日本人とコメの関係
日本にとってコメは本来食料としてだけではなく、衣食住全てに関わっているものだった。通貨の代わりにもなった。そしてそもそもコメは神様の食事であるという考えがあり、そのため正月には年神様のために鏡餅を飾るし、コメが原材料の日本酒は「御神酒」と称したのだ。日本人にとってコメは特別な意味をもって長年関わってきたといえる。そのためコメを作る農業は敬われて、ご飯を粗末にすれば「罰があたる」とも言われたのだ。
しかし現代においては、天候に左右され仕事は楽ではなく事業として効率も悪いので、農業従事者の人口減少はとどまることを知らない。
近年は、為替の影響で日本米が海外のコメと比べ価格競争力が出てきたことや、外国人が日本のコメの特異性に気づき始めているため、海外市場は今後も伸びしろがあると考えられ、国内ルートを減らし海外輸出への方向転換をする農家が増加しているという。
以前大学のゼミの学生が「ご飯、コメ」について研究した。男女問わない学生250名にアンケートをとったところ、「毎日ご飯(コメ)を食べる」と答えた一人暮らしの学生の約7割が炊飯器ではなくレンジ対応のレトルトパックご飯を食べている、という回答だった。主食の食べ方も変化している。
パン、麺類と選択肢が増え、ご飯は選択肢のひとつになった現代だが、世界の市場も変わりつつある。今後はさらに変わる可能性もある。農業を尊く思い、世界からも評価が高いおいしいコメを食べられることにあらためて感謝することが、コメの価格を安定させ市場を良い状態に保つ必須の方法なのかもしれない。
(食の総合コンサルタント 小倉朋子)