ああ無念!私の閉店物語:「ミスターコーヒー」
相変わらず、世の中はリストラの嵐である。特に高度経済成長を支えてきた中高年がそのターゲットになっている。中高年は、若者の二・五倍の給料をもらいながら二・五倍の仕事はできない。だから企業は、四〇歳を過ぎればもういらないと放り出す。それがリストラである。そういった中高年が、再就職の道もなくやむなく飲食店を開業する例がある。素人が成功するほど、飲食店の仕事はそんな生易しく簡単なものではない。結果、ほとんどが閉店の憂き目に遭う。
山本彰さん(56)は、神奈川県平塚市在住。山本さんの閉店物語は、コーヒーに関する商売で、前回と同じく、山本さんも二店舗を理由あって閉めている。一店舗目は、自己資金で開いたコーヒーひき売り店。そして二店舗目は、ユナイテッドコーヒーというコーヒー媒煎企業が開いたコーヒーショップ「ミスターコーヒー」の閉店である。
山本さんは上島コーヒー勤務の二五年間で、媒煎から生豆の選別までコーヒーに関する仕事のほとんどを身につけた。だからいつか、自分で自分なりの味のコーヒーを媒煎し、お店で売りたいと願うようになった。
平成元年に神奈川県平塚市に移り住み、厚木のポプラ館というコーヒーショップに勤めた後、厚木市の内陸部、中津地区の大手スーパー「忠実屋愛川店」近くに出店したのである。平成元年のこと。店舗面積は一五坪、開業資金は一〇〇〇万円。自己資金は二〇〇万円しかなく、国民金融公庫から八〇〇円を借り入れた。家賃が一〇万円、返済が月々八万円である。
開店当初は日に一〇万円の売上げの日もざらで、「こりゃ、いけるぞ!」と思ったが、開店三ヵ月後ぐらいから一日の売上げが一万円を切るようになる。喫茶・レストランへのコーヒー豆の配達や、家庭へのお届けを試みたがだんだんジリ貧となる。国金に月々の返済を減免してもらいながら、何とかやりくりしたが三年目についにギブアップ。平成3年に閉店にいたるのである。
失敗の原因は、コーヒー豆を売るような商売は都市部の百貨店でさえしんどい商売である。ひいたコーヒーをドリップして飲むような、面倒くさく手間のかかることは嫌われる。まして各家庭では、スーパーで買って来た濃縮のリキッドコーヒーやインスタントコーヒーで十分間に合うのである。
料理でさえ手抜きする主婦ばかりの中で、コーヒーのひき売り商売など(そんな上品な商売がこんな郊外のはずれで)成功するわけがない。
ちょうどその時、厚木市で建築業と焼き肉店を経営していた昔なじみの市川さん(ユナイテッドコーヒー会長)がひょっこり訪ねて来て、「これから埼玉県の日高市で、コーヒーショップを開店するので、店長としてやってくれないか」と頼まれた。
その店舗物件へ行って見ると、国道四〇七号に面する「すかいらーく高萩店」の敷地の奥に立地しており、以前はそば屋だった建物である。
道から離れているのが少し気になったが、すかいらーくが結構はやっているので「これはひょっとしたらやれるかも知れないナ…」と思う。当時流行のモノトーンの色調でシックで良い感じだった。建物面積が五〇坪。その二五坪をコーヒーショップに使う予定である。
内装工事は市川会長が建築業なので、ほとんど手づくりでできた。いす、テーブルもすべてそば屋のものを転用した。看板はスタンド看板だけで、店に入ってみなければ何屋か分からない状態で開店したようである。市川会長はその時こう言う。
「初めからバンバンお客が入らなくて良い。だからあんまりお金もかけないのだ。口コミ効果でお客が増えれば良いんダヨ」と。こうして「ミスターコーヒー」は、平成4年に開店したのである。
それにしてもなぜ、厚木から三〇キロメートルも遠い埼玉県日高市なのか。なぜお金もかけず、手づくりのコーヒーショップなのか。そうした疑問は、山本氏の最後の言葉で氷解した。
この地主は地元では有名なI氏で、彼はこの近くの大手スーパー「ヤオコー」(東証一部上場・売上げ一二〇〇億円)の役員なのである。市川会長はこの店を借りることで、スーパーにコーヒー豆を独占的に卸せると考えたのではないだろうか。
だが、日高市の人口はしれている。道路からも見えない。周辺に住宅は少ない。いかんせんコーヒー専門店としての立地ではない。でも店長山本は頑張った。一日の売上げが四万円から五万円。しかしどんなに頑張っても、月々の家賃が五〇万円では商売が成り立たない。
家賃の滞納がおきる中、平成6年10月にミスターコーヒーは閉店に至る。
その後山本さんは、厚木に戻り頑張ったが昨年退職。一時訪問販売のペイントハウスに入社したが、販売ノルマがきついので、今では新聞の拡張員をして生計を立てている。
「まず道(国道四〇七号)から見えなかったですね。だから目立たなかった。でも今でも、コーヒーの味には自信があります。お客さまの評判も良かったですヨ。ヨーロピアンローストという、深煎りの濃いコーヒーでした。残念ですね。これからもチャンスがあれば、コーヒーに関する仕事につきたいですね」
こう話してくれた山本さんは、当時を思い出しながら結構楽しそうであった。しかし売上げの三〇%が家賃では、どんな商売も成り立たない。夢ばかりを追わず、もう少し慎重に準備をし、開店すべきだったのではないだろうか…。