インサイドレポート「ドーナツ」 ダンキンドーナツ、CK生産で起死回生

1996.11.18 115号 5面

今年8月末現在の出店数が直営四七店、FC二七店の計七四店。ライバルミスタードーナツの一割にも満たない出店数だ。

業態は“競合”関係だが、チェーンスケールや売上げ規模においては「ライバル」という存在ではなく、陸上レースでたとえれば、ミスタードーナツがハイテンポで安定走行しているのに、ダンキンははるかその後をフラつきながら歩いているといった状況だ。

ダンキンドーナツは、セゾングループの西洋フードシステムズ傘下の吉野家ディー・アンド・シーが運営しており、社名のとおり、この会社は牛丼「吉野家」のチェーン展開も推進している。

吉野家は不採算店をスクラップ&ビルドをしながらの出店だが、今年8月未現在直営三八〇店、FC二二四店の計五三〇店を展開する。

牛丼では「松屋」「神戸らんぷ亭」といったライバルチェーンを寄せつけず、国内最大の牛丼チェーンの地位にある。

しかし、ドーナツ分野では出店が伸びず、ミスタードーナツの独走を許す結果となっている。

ダンキンドーナツは、西洋フードシステムズ前身のレストラン西武時代に、米国ダンキンドーナツ社と提携して、昭和46年2月に運営会社日本ダンキンドーナツを設立、同年9月に直営第一号店を東京・銀座に、また、翌年の8月にはFC第一号店を大阪・布施市(現東大阪市)に出店した。

それ以降は昭和58年に直営二五店、FC一七店、59年直営三二店、FC二六店、そして、60年に直営三二店、FC四五店の計七七店と一〇〇店舗に迫った。

この出店数は現在のチェーン数とほぼ同数で、チェーン展開は一一年前と変わらず、足踏み状態が続いているということになる。

“ライバル”のミスタードーナツは、一〇〇店舗達成は49年、二〇〇店舗が53年、62年には大阪郊外に五〇〇号店を出店している。

出店の勢い、格差は歴然としている。同時代にドーナツ事業に乗り出してこの開き。一方は大流通資本、もう一方は中小資本の域を出ない化学ぞうきんの会社。

日本を代表する流通資本が、資本力のない“ぞうきん屋”に打ちのめされたという図式にもなる。

FCビジネスは小の結集が大に立向う手段、大同団結の資本原理だ。ダスキンの成功と発展は、この原理の敷延であり、体現者ということになる。

ダンキンドーナツは昭和63年に米日本法人と合併し、吉野家ディー・アンド・シーに社名変更して、起死回生策を打ち出した。

このままではセゾングループの名折れになる。この年には商品力を強化するために、東京・東大和市にフレッシュ生地ドーナツの製造工場を設置した。

しかし、この工場は昨年9月から経営が代わっており、カレードーナツ、マフィンなど一部商品の仕様発注にとどまっている。

埼玉・戸田市に建設したセントラルキッチン「戸田センター」は、この代替工場で東京エリアのチェーン店に限って、完成品のフレッシュドーナツを配送している。供給商品はフレンチクルラー、オールドファッション、ドーナツ、チョコプレーン、ケーキ類(店頭単価一一〇~一三〇円)など六〇アイテム。

店での製造ではなく、CKプロダクツによって、質の均一化、また店舗での省力化、効率化による生産性、収益の向上を狙った作戦だ。

FCビジネスの発展およびドーナツ市場の拡大のために、ダンキンのガンバリを期待したい。

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