シェフと60分:日本料理「鴨川」銀座店・鈴木良二調理長

1998.03.16 148号 7面

「経営上、一般の客が入る店であることは絶対に必要だが、同業者に注目される店でもありたいですね」

プロは、プロの目が気になるようだが、一般の人とプロが好む仕事は少しばかり違う。

例えば、クワイはゆでるとか焼くなど料理人によって異なるが、ゆでて揚げる料理法は、苦くないので一般のお客はおいしいという。ところが、プロはこれを蒸して焼いて出すと最高のおいしさを出していると評価する。

「素材が生きていると思うからです」

吸物でも昆布出汁を取り、出汁をひいたのは確かにおいしい。だが、一事が万事こうしたのでは「原価率が合いません」。

五〇〇〇円の料理と三万円のものでは、それぞれ価格に見合ったものを提供する幅の広さが要求される。

「若い者には、こうしたコンセプトに合わせたものをキチッと出せるよう教えていきます」

原価率を頭におかず、ただ良いものばかりを求めていては当然採算が合わない。

「昔はそれで良かったが、今は食材も豊富に出回っている。これを生かし、使いこなしていかなくてはいけません」

例えば、日本のタケノコと中国のとでは、日本のは苦く、中国のは苦みも少ないためさらす時間も短くてすむ。ところが煮含ませてみて味がよいかといえば必ずしもそうとはいえず、カツオ味を利かせるなどの工夫をする。

また、生のカツオと冷凍では味噌をつけた時、焼き上がりの違いを覚えておかないと同じ上がりにはならない。

料理人は、「食材を熟知すると同時に、原価管理意識を持つことで価格に見合った使い方ができるようになるんです」。

「お前、この商売に入っていくのは大変だが、何でも上の人のいうことを聞き、先輩の教えを守っていれば、必ず良い仕事を教えてくれるから」とは、右も左も分からずに飛び込んだ最初の店「鈴広」の親方の言葉である。

この言葉を金科玉条に、当時、東京から単身赴任で来ていた親方のため、身の回りの世話いっさいをすることになる。

洗濯機のない時代、親方のシャツはいうまでもなく、パンツからすべての下着を洗う。風呂に入れば、頭から体まですべてを洗い、上がったら体を拭き、パンツをはかせるところまでやる。今まで母親に頼っていたことすべてを親方にしなければならない。

「料理人の下積み生活は、相撲の世界と同じです」

先輩に教えられるでなく、自分なりにこうしよう、ああしようと考え、身を粉にして尽くす。これもすべて仕事を教えてもらいたい一途な気持ちからであった。

一〇代の修業時代は、肉体的にも伸び盛りの時代。そのせいか甘いものには目がなく、栗の含ませ煮などは、大好きなものの一つだったという。

こんな思い出がある。

一九人のお客に対し二〇個の栗の含ませ煮が用意されていた。一個余っていると思い盗み食いしたところ客が一人追加となり、数が合わず「親方に思いっきりぶたれました」。

ここで懲りないのが子供。あまり食べるチャンスのないユリ根の煮物が、一〇人の客に対し二〇個作ってあるのを知り、「一個ぐらいだいじょうぶだろう」と手をつけたのが運の尽き。またまた親方のお目玉をくらったことはいうまでもない。

一グループ客でなかったのが幸い、個人客には代替えでその場は納まった。

寒い中、その日は一日ドアの前に立たされ、結局、煮方が親方に謝り、温かい室内に入れてもらえた。

「親方は、われわれにしつけをすると同時に、兄貴分の煮方に新人とのかかわり方を教えるため、意識的にこうした懲らしめ方をしていたんです」

自らが人を教える立場になり、初めて知る親方の情である。

料理人は体力が要求される。厨房の中では、基本動作の鍋を運ぶのさえ、鍛え上げた力が必要だ。

「今では使うことも少なくなったが、昔は、新人がすり鉢をあたったものです」

自身は、この作業が苦痛で仕方なかったが、今になり基礎体力をつけるには、こうした動きは理にかなっていると思うようになる。

「腰の使い方が重要なんです。鍋磨き、掃除すべてをきちっとやってきた子は、病気もしませんね」

朝早く起き、早く寝る、これも仕事への準備体操の一つ。床の掃除も、昔は板場だったので磨き粉で磨いたが、今は電気ブラシ。

気合いを入れてきちんとやれば腕力も付き、「煮方になった時、仕事をこなしていける」が、いい加減にやっていると体力もつかず、休みがちになり仕事も継続して覚えられなくなる。

「これが、なかなか若い人には分かってもらえないのが残念。後で自然に分かることですが……」

こうした世代のギャップは、いつの時代にもついて回るようだ。

文・カメラ 上田喜子

所在地/東京都中央区銀座3-4-1大倉別館B1F

電話/03・3561・0550

◆プロフィル

昭和25年、神奈川県箱根町生まれ。中学時代の先生から机の前での勉強が大嫌いな性格には板前はどうかとすすめられ、素直に従う。 蒲鉾・弁当屋の「鈴広」に入るが、真夜中3時に起き、一〇〇〇本分のご飯炊きに始まり、缶詰の缶開けと弁当箱洗いの毎日が続く。本格的料理人を目指し発奮、松和会の紹介で「鴨川グランドホテル」「白鷹」などで修業後、「又平」で煮方、二八歳で浅草「川松」の調理長に就く。四年後、銀座「鴨川」オープンにより現職に。

松和会に所属して以来、宮嶋吉正、井上稔の両師の薫陶を受けるが、受けた恩を少しでも会に返したいと後輩育成に情熱を向ける。

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