めざせ百歳!こだわりの食:東京都・有馬秀子さん(100歳)

2003.04.10 92号 12面

100歳の食と生活探訪記の中でも、今回は初めてのバリバリの「職業婦人」だ。東京・銀座のバー『ギルビーA』のママを52年続けておられる有馬秀子さんは、1902年の生まれ、5月に101歳になる。お店の営業時間中、これまでの来し方、現在の生活を、ご本人の美しい東京言葉で聞くことができた。今回はその言葉のまま、インタビュー形式で長寿成功の秘訣をご紹介したい。

浅草の下町育ち、商人の娘に生まれました。男三人兄弟の一番下の女の子で、兄たちとは年がかなり離れていましたから、可愛がられて育ちましたね。「女の子に教育は要らない」という時代でございましたけど、どういうわけか「一人の女の子だから女学校に入れたらいい」と、東京女学館に入ることになりました。浅草のお友だちはみんな「秀ちゃんは虎の門のような田舎へ行って、かわいそうだ」と言って。その頃、浅草・下谷・本所あたりの人たちは、自分たちだけが東京人だと思っていたんです。勤めに出ていた二番目の兄と麹町の近くに借家を借り、女中さんを一人雇いまして、通いました。

言葉がきれいだと皆さんがおっしゃって下さいますのは、女学館のおかげだと思っております。行儀も厳しゅうございましたから、いまでも感謝しております。勉強では好きなものはなかったけれど、私は昔から文学少女でした。生意気に『中央公論』を買って、「よそのお嬢さんはリボンを欲しがったりしているのに、うちの秀は本ばかり買って」と母はよく嘆いていましたが…。貧乏書生の学生さんがお友だちの家庭教師に来ていらして、遊びに行ったら「あなたにも宿題を出そう」と作文を作ってくるよう言われました。椋の実について書きましたらとても誉めていただいて。あとで分かったのですが、その方はアララギの有名な歌人、島木赤彦先生でした。そういう方にお目にかかって誉めていただいたのは、いい時代の、いい記念でございますね。

『婦人公論』の波多野秋子さんに憧れていて、将来は婦人記者になりたいとも思っておりました。その時代は女の人が職業に就くことはなかなか叶わないことでしたし、私も普通に兄たちの勧めで主人と仲人結婚いたしました。

終戦の時は関西におりましたが、主人の勤めていたカネボウの社長が戦争に協力なさったということでA級戦犯にされたんです。それで「有馬君は東京の人間だから、親戚と一緒に東京で暮らしたほうがいい」と言われ、直営の会社を一つ主人が任され、上京しました。時代の空気が変わって、表に出て働く女性も多くみられるようになってきました。息子はすでに就職しておりましたし、家にはお手伝いさんがいるので時間の余裕はありました。「お母さんも家でお裁縫ばかりしてるなら喫茶店でもしてみたらどう」と息子に言われ、主人の許しを得て、五反田で喫茶店を開業。それまでただただ主人のため、子供のために毎日を暮らしてきた私が、その後五〇余年にもわたるママ生活をする始まりです。四五歳の時でした。いくら時代の空気に押されたといっても、いま考えても私の行動は確かに唐突だと、おかしくなります。その三年後、バー「ギルビーA」として、銀座に移転することになります。

時代が時代ですから親戚の人たちにも疎まれました。同級生の人たちにも「何もあんな商売をしなくてもいいのに」と言われ、つき合ってもらえなくなって。そうなるとこちらも割に強情っ張りですから、「誰がつき合ってやるものか」と。嫌になってやめたら「それ見ろ」と言われるでしょう。だけどいまは、学校の方でも認めてくれています。お友だちは、もうみんな死んでしまいましたけどね。長く続いたということは、私が勝気だったからじゃないですか。

身体は丈夫にできているようです。病気で入院した時を除けば、私はお店を休んだことは一度もありません。これは生まれつきでございましょうね。目だの、耳だの、歯だのもね。歯は奥歯を除いてすべて自前です。お医者様がおっしゃるには、私の内臓は年齢相応だけれども、身体の仕組みは六〇歳レベルだそうです。でも一〇〇歳ともなると、それなりに日々がつろうございますよ。私は九〇歳という年を聞いて初めて疲れるということを実感しました。それまでは疲れるということがどういうことなのか、知らないぐらいでした。

お店には午後7時に参ります。それで12時までおります。寝るのは2時、2時よりも前には眠れません。いったん目が覚めて、その後また二度目の眠りに入ります。その時に夢を少し見たりします。朝起きるのは6時前後、何月何日、6時10分起床、というふうに日記につけています。血液がサラサラになるということで、前の晩に用意しておいた枕元の水を一杯いただきます。睡眠は少ないので、午後2時くらいに二〇分か三〇分、うたた寝をします。

お化粧品は資生堂を愛用しています。あと、花王の「ソフィーナ」のものも。それから、「バージンオイル」、これはどこの商品なのか分かりません。私は人様よりずっと乾き症なものですから、人様の倍ぐらいはつけております。あと、大さじ二杯くらいの牛乳をお風呂場に持ち込んで、石鹸で洗った後、改めて牛乳で顔を洗っています。人にお化粧してもらったのは結婚式の時の一度だけ。それ以来、人に顔を触らせたことはございません。美容院は一週間に一遍行きます。髪だけは一人では結えませんからね。客商売でたくさんの方々にお目にかかるので、お洒落っ気は忘れず、感じのいい態度でいたいと毎日願っています。

朝ご飯は、牛乳を二合と生卵の黄身、あと三角チーズ・ラッキョウ・ネギを刻んだ納豆・お漬物・ウルメイワシの七種類を少しずついただきます。

お漬物はお大根や人参、セロリなど種類豊富、それをみんな刻みましてショウガと鰹節をいっぱいかけて、お醤油をちょっと垂らして。ご飯はいただきません。10時頃に梅干しと緑茶ともう一度ウルメイワシ。ウルメイワシはフライにしてあるのを朝三匹、ここで七匹です。いわゆる昼食というのはいただきません。それから3時頃に普通のご飯らしきもの。去年あたりまではよく炊きましたけど、この頃は面倒くさくなって。いまの住まいは高輪で、昔からの屋敷町なので何もないんですが、お隣が幸いコンビニエンスストアのローソンです。皆さんはお笑いになりますけど、ローソンのオニギリは割合おいしいです。おコメがいいんですね。

匂いが苦手だった牛乳を飲むようになったのは、一人で住むようになってからです。息子と同時にその家内も亡くなって、孫たちの結婚相手も決まっておりましたから、家を売ってお互いが別々となりました。いまから一五年前です。何しろ一人ですから、病気になったら自分が困ります。温めると匂うのでいまでも冷たいのを飲むようにしています。おかげで私は便秘になったことがありません。

朝は牛乳と生卵の黄身が一番簡単でございますからと、最初は腰掛けないで立ったままお台所で食べていました。一人になったばかりでしたし、まだ仕事が軌道に乗ってなかったものですから、忙しいと感じたんですね。この頃は、大きなお盆に自分できれいに盛って、予定をちゃんと立てて、テレビで時間を確認しながら一時間くらいかけていただきます。

前向きというほど自分では心がけておりませんけど、いろんなことが気にならないんです。何か嫌なことがあっても「しょうがないや」と思っちゃいます。あるいは勝手な言い方ですけど、「自分はいままで悪いことをしなかったから、これ以上悪いことが起こるものか」と思うようにしています。そうすると、あまり悪いことも起こりません。このように長生きした強情な年寄りは、悪い神様も諦めてくれるんじゃないですか。

お店でお客様にお目にかかるのが一番の楽しみです。私は何でも一生懸命してきました。というのは、自分はいろんな点で力が足りない、いろんな点で皆さんより劣っている、という自覚がございますから。一生懸命にする以外にないんです。一生懸命というのは、自分のやっていることに興味を持つ、大げさにいえば愛情を持つということなのかもしれませんね。

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