だから素敵! あの人のヘルシートーク:作家・佐藤愛子さん
11月5日に七七歳の誕生日を迎える作家の佐藤愛子さん。七〇歳の古稀の時に
秋晴れや 古稀とは言えど
稀でなし
と詠み、昨年七六歳(満七七歳)喜寿には、
秋晴れや 喜寿とは言えど
どうてことなし
と詠んだという。「詠むと元気百倍!」。キレの良い辛口のエッセーなどが、広い世代から熱く支持されている佐藤さんの、元気のもとを聞いた。
いまの人は、「人生楽しくなくちゃいけない」と楽しいことをやたらに追い求め過ぎる風潮がありますね。どこへ行き、何を見、何を食べ……まるで楽しさを強要しているようにすら思えます。「あなたもなんかパーッと楽しいことしなさいよ」ってよく言われますけどね、私はパーッと言いたいことをぶつけるのが楽しいんで、それでいいんです(笑)。
私たちが子供の頃のおばあさんというのは、どんなことをして過ごしていたかと考えると、たいして楽しそうにはしていなかったですね。あの人たちの楽しみといえば、お寺に和尚さんのお説法を聞きに集まっては次々に嫁の悪口を言いあう。それくらいしか楽しみはなかったんではないかな、と思いますね。本当に家族のために生きて死んでいったのは、女。
私はそういう女たちに育てられた世代なんです。例えば「残りご飯は、絶対に捨ててはいけない。農家の人が汗水たらして作ったおコメを、ひと粒でも無駄にしたら目がつぶれる」と教えられた。目がつぶれるとか舌を抜かれるとか、いちいち脅しが入ってましたね。ですからいまだに食べ物はすべて粗末にできません。
私はいま娘家族と二世帯で住んでおります。食事は別にしていて一人なので、ご飯など一回炊くと五日分くらいできてしまう。そしてパサパサになった古ご飯に、お味噌汁をかけて食べていると娘に「まあ!まるでタローのご飯みたい!」といわれます。タローとは昔飼っていた犬の名ですが、それでもいい。残り物を捨てるよりは、“タローごはん”を食べる方が私は気持ちがいいんです。
「舌切り雀」という昔話に、おばあさんが糊をなめた雀の舌をはさみでチョン切った、というくだりがありますね。現代のお母さんたちは、「子供には聞かせたくない残酷話」というそうです。しかしあの雀がなめた糊は、おばあさんが、お釜の底のご飯粒を大切に集めて作った糊だったんです。そんなおばあさんの苦労の結晶を……そりゃ、舌くらいチョン切ってやるという気分にもなりますよ。家のため必死で倹約して生きてきた、そんなおばあさんが「大きなつづらをほしがった」というのも当然でしょう。非情なゴウツクばばあだ、おじいさんは善人だ、とは一概に言えないわけです。
大体あのおじいさんは、明るいうちから雀なんかと戯れて、一方のおばあさんは一生懸命働いて、イライラするのも当然ですよ。また小癪なのがあの雀。欲張りのおばあさんはきっと大きいつづらを欲しがるに違いないと推理して、初めから大きい方に化け物を詰めて仕返ししたんですから。
まあ、まんまとおばあさんは大きいつづらを選び、家路の途中、道端でそのつづらを開けてしまう。中から化け物が出てきて、おばあさんは腰を抜かす……まさに「おばあさん哀史」です、あの物語は。
でもね、そんなふうに暮らすことが、楽しみであったと思うんですよ。捨てるものも捨てないで暮らしてきた、それはその人にとって誇りであり生き甲斐なわけですから。人がくだらないと思うことでも生き甲斐として懸命にやる、というのが人間本来の楽しみだと思うんです。
現代のおばあさんは、そんな節約なんてめんどくさいと、意識を外へ外へ向けて、楽しみも、生活の外へ求めるようになっているようですね。ハワイアンダンスを習ったり、旅行をしたり。お金が余ってしょうがないんでしょうかね。
それでもそのうち、何をしても何を見てもおもしろくないわ、ということになってくる。枯れてくるというのはそういうことなんですよ。昔は鬼と恐れられていた人が、仏のように穏やかになったとよく聞くでしょ。「鬼でいる」というのは、ものすごいエネルギーが必要なことなんです。だから、心掛けて仏になったんではなくて、エネルギーがだんだんなくなるから鬼が仏になっただけのことなんですよ。まあ、それは結構なお話ですが……(笑)。
仏のほうがラクなんです。ただ黙ってニコニコしてれば、エネルギー使わなくてすむから。人間うまくできているんですよ。長生きすれば、だんだん仏になっていくの。ただ、いまの世の中は困ったことに、なかなか仏になれないんですよ。かといって鬼でもいられないんですね。モノはいっぱいあって豊かだし、エネルギーも調節しながら使っていけるのでいつまでも長生き。孫がそばに立っていても気づかないほど目が利かなくなっても、生きていられる。
歯が抜けて、目はかすんで、耳は遠くなって、腰は曲がる。本来はそうして自然に死を受け入れるようになっていった。私はこの年になってやっと、諦めるということは大切なことなんだなと感じています。
でもいまは、諦めというのは不徳であるかのように考えられる時代です。目がかすむというと白内障の手術をしたら一晩で見えるようになるよと言われてしまう。健康法や「身体にいい」モノも氾濫していて。
でもね、「身体にいい」と売られているモノをとりすぎると自然治癒力が摩滅してしまうんですよ。それで私は漢方薬以外は飲まないようにしています。いまは人間の自然治癒力が摩滅していく時代。人間自体は弱くなっているけど、それを補う技術が発達したということでしょうね。私は大根の味噌汁が大好きなんですが、人間おいしいって感じながら食べるのが一番身体にいいと思います。
死を受け入れるという心の準備をするのが、年老いた人間のたしなみだと思います。いまの日本人の大半は、死んだら無になると考えていると思います。でも死後の世界はある。もしなかったとしてもあると思っていたほうがいいんです。死が無であると思って生きていると、人間が傲慢になってしまいます。どんな悪いことをしても、無になってしまうんだから、いいやという気になってしまう。ところが死後の世界があるとなると、この世にいるうちにある程度身を慎んでいなければ、後の世界で困ることになるんじゃないかと、思いますよね。
なぜ私が死後の世界があると思うようになったかといいますと、五〇歳のときに、北海道に別荘を建てまして、たくさんの超常現象を体験したのです。たとえば、台所の隅についていた換気扇が、タンスの中に収まっていたり。いろいろあって、二〇年かかってやっと霊を鎮めたんです。
こういう痛切な経験から、私は、自分の死に支度をしなければならないと思うようになったんです。死に支度というのは、うらみ、つらみ、それから欲ですね、執着、心残り、無念という情念の葛藤を死ぬまでにできるだけきれいにして、平らな気持ちで死を迎えることです。
生きるということは修行なんだなあ、とこの頃思うんです。ですから私もできるだけ感謝して生きたいと思っています。「人に迷惑をかけたくない、だからぽっくりいきたい」とよく言いますけどね、迷惑かけるときは迷惑かけりゃいいんですよ。それで感謝すればいいの。
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今年9月に発行された『そして、こうなった‐我が老後‐』。大好評の『我が老後』シリーズは、『我が老後』『なんでこうなるの』に続き、12月には『だからこうなるの』を刊行予定。さらに、12年の歳月をかけ「別冊文芸春秋」に連載されたライフワーク『血脈』が、来年1月から全3巻で刊行される。
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大正12年、大阪生まれ。甲南高女卒業。昭和44年、『戦いすんで日が暮れて』で第61回直木賞を、昭和54年『幸福の絵』で女流文学賞を受賞。ユーモアあふれる世相風刺と人生の哀歓を描く小説およびエッセーは多くの読者の心をつかむ。父は、作家・佐藤紅緑、詩人サトウハチローは異母兄である。