だから素敵! あの人のヘルシートーク 作家・林望さん

1998.11.10 38号 4面

書誌学者にして国文学者、言わずと知れたイギリス通。研究者にして作家、最近では作詩からオペラも手掛け大活躍のリンボウ先生こと林望さん。いったいどんな日常生活を送ったらそれだけの仕事量をこなせるのか。ポイントはやはり徹底した時間管理。ひいてはそれがご覧の通りの若々しさを保つ健康術になっているというから、これは皆さんお立ち合い。英国食の豊かさの神髄の話もじっくり聞いた。

イギリスの食材は種類という意味では決して豊かだとは言えません。何しろ土地がやせており、また寒い国ですから冬の間は農耕ができない。いわゆる葉ものも限られています。だからたくさんの調理法が発達しなかったのもむべなるかなと思います。

しかし逆に、イギリス人自身はそういうものだと思って暮らしてきたので、いたずらに見てくれを良くしようとか、農薬をたくさん使って収量を増やそうとか考えたことはない。例えばイチゴの話。日本の場合はいまみんなビニールハウス栽培になってしまって、12月、1月、2月というのが最盛期、春になったら季節外れになってしまうでしょう。でも、本来イチゴというのは日照時間が味を左右するものです。イギリスの場合はいまでも全部露地物でシーズンは6月、7月、8月の盛夏です。さんさんたる太陽を浴びて雑草と闘いながら育つので、味も香りもいいし、栄養も豊富、丈夫で元気なんです。それに対して日本のイチゴは、乳母日傘ですから、ひ弱です。イギリスの食材が豊かだというのはそういう意味なんです。単純な素材に力があるということなんですね。

リンゴにしてもそうです。イギリスにはコックスという名前の赤い小振りのもの(1面写真)がありますが、これは一九世紀に作られて以来改良されていない品種ということです。見た目は地味ながら生でかじるとリンゴ本来の何とも言えない香りと酸味の味わいにあふれています。この他にパイなどの料理用には緑色のクッキングアップルがあって、それ以上余計な種類はない。日本でも僕が子供の頃は紅玉、国光、インドリンゴ、デリシャスという四種類しかなくてそれぞれが全然別々の味わいだったし、出盛りの季節も用途も違っていて、結構おいしかった。それがいまは、いたずらに掛け合わせ、やたらにでかくて甘過ぎるようなものばかりになってしまった。農家の方の品種改良の努力は認めるのにやぶさかではないけれども、それで失ってしまったものもたくさんあるんじゃないかと思うんです。石油が止められたらすべて終わりの促成栽培の農薬漬けでは、いかにも頼りない。

何百年も自然に営んできた、それぞれの国の風土に一番合った形で栽培してこそ強いし、本来の栄養や味わいもある。それを経済原理に任せて不自然な形にしてしまったことを、私たちは頑固なイギリスを通して反省すべきではないでしょうか。僕は農本主義者で、農業が滅びるような国は国自体がいつか滅びてしまうと思っています。グローバライゼーションの時代といっても自分のところの農耕文化みたいなものをきちっと守りながら、それでも足りないところを輸入で補っていくというのが本来のあり方なんです。

野菜不足の土地柄、イギリスはこれまでビタミンCの不足による壊血病だとか、ビタミンDの不足によるくる病とか多かった。それを反省して現在では輸入食糧による食卓の充実化を図る運動は起きていますが、一方でイモとか小麦といった主食に関しては、頑として自給率を下げない。これはやはりすごいことだと思います。

現在連載を一三本抱えています。昼間は大学の授業等の業務、週末は講演などがありますから、必然的に原稿を書く時間は夜の11時頃から明け方の5時頃。睡眠時間は四~五時間くらいで毎日毎日が締め切りですね。だからこれに穴をあけないための健康管理、時間管理は徹底して行っています。まず酒は全く飲まないしタバコも吸わない。それから無理な運動もしません。事務所の入り口には風邪をひいている人の出入りを禁じる貼紙をしてあります(笑)。レストランでタバコを吸う人が隣にきたら席を移ります。移動は電車は全く使わないで車で。パーティーや会議や会合も一切出席しない、名誉ある孤立ということで通しています。人の集まる所に行かなければ、それだけ風邪をひく確率も下がるし、時間も無駄にしない。

もっともここまで徹底するようになったのは四〇歳を過ぎてこういう忙しい生活になってからです。若い頃はタバコも吸っていましたから吸う人の気持ちも分からないではありませんよ。会合の意義をとく人もいます。けれど、どんなに不義理を責められようと自分の健康を保つためにはこれは仕方ない。僕が病気になって仕事ができなくなったりしたら迷惑する人がいっぱいいるので、そうならないために尽力をつくすのは社会人として当然の責任でしょう。

酒を飲まないのは無理して節酒してでなく元来飲めないからですが、これは健康を保つ上で大きなファクターであるようです。以前、金沢のある有名な料理屋に行った時のこと、連れて行ってくれた現地の人は僕と同い年なのに、確かに僕より二〇歳ぐらい上に見えるんです。で、彼がふざけてその店の大変高名な板前さんに「どっちが年上だと思う」と聞いたわけです。そうしたら、「こちらの若そうに見える先生のほうが年上なんでしょう」と言うんです。「そちらの老けた方は大酒飲みでしょう。こちらの先生は飲まないんじゃありませんか。お酒を飲む人はみんなこういうふうに老けます。飲まない人はいつまでも若々しい。これは板前として見ていて明らかです」と断言するので、僕はびっくりしました。確かに、酒場で遅くまで延々と酒を飲み、副次的に脂っこい物や塩気の強い物を食べ、夜更かしする。身体にいいわけないですね。

福沢諭吉は大酒飲みで酒があると飲まないではいられなかったらしいんですが、彼が後年述懐して、「自分にとって一番の悪は酒を飲んだこと。もし酒を飲まなかったらこんなものではなかったろう。もっと豊かな人生が送れたに違いない」と、こういう意味のことを言っています。実際、飲酒の習慣がないことで一日数時間の時間の節約ができるのではないかと思います。

家にいる時は一〇〇%僕が家族全員の食事を作ります。料理は僕にとってレクリエーションみたいなものですね。早いですよ。女房が一〇分かかるところを僕は一分でします。夕方の6時に帰ってきて、それから支度をして6時45分には食べようと思ったら、キチンとその時間内に作ります。そのためにはどうするかという段取りを一生懸命頭を使ってやりますからね。論文やエッセーを書いたりする時と同じです。

お金は取り返しがつくけれども、時間は絶対取り返しがつかない。時間のやりくりを長いスパンで考えると、人生三〇年しか自由時間がないところが、五〇年となる。その二〇年間で何ができるか、それがタイムマネジメントというものなんです。僕はどうやったら時間が節約できるかいつも頭の中で考え重層的に時間を使っていくようにしています。車の運転をしている時でも、つねにアイデアを思いついたらパッとメモするとか、面白い景色があったらさっと写真を撮ったり。

本当は邪念の多い人間なんです(笑)。電車の中なんて邪念だらけじゃないですか。美しい女性と接触したらそれだけで心が騒いでしまいますし。だから人との接触を断っている時間が大切なんです。頑張って自分だけのために使える時間を確保しようと、毎日考えているのかもしれません。

◆一九四九年東京生まれ。慶応義塾大学大学院博士課程修了。現在、東京芸術大学音楽学部助教授。日本書誌学・国文学専攻。九一年「イギリスはおいしい」で日本エッセイストクラブ賞を受賞。ほかに「くりやのくりごと」など著作多数。

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