10月11日。今日はめんの日
毎月11日はめんの日。日付が細く長いめんのように見えることから、全国製麺共同組合連合会が制定した。
日本最古のめんは、そばではなく……
「めん」というと、関東地方以北では、まず、蕎麦(そば)の名 があげられるだろう。しかし、日本の「めん」の歴史をたどると、そばが「めん」として作られるようになったのは、15世紀頃からのことで、さらに一般的に食べられ るようになったのは、江戸が文化の中心として栄えてからのことである。
ちなみに、関西方面は「うどん」ではないだろうか。
「そば」が作られるまでの日本の「めん類」は、それまで小麦粉を主原料とした「そうめん」「うどん」などが主流であったようだ。
歴史の上で、「めん」らしきものが登場したのは、「そうめん」の源流と考えられてきた「索餅(さくへい)」が、中国から渡来してきた時である。遣唐使が活躍し、 中国の文化を積極的に取り入れた奈良時代(710年~784年)の頃に、 索餅がしょうゆ、納豆などの伝統食品とともに持ち込まれたものである。
中国では、後漢や唐の時代に、この索餅の名称が書物に現れている。「索餅」とは、具体的にどういうものであったか定説はないが、唐菓子の一種であったという説と、もう一つは「めん」に近いものであったという説がある。菓子説は、儀式用の供えもの、接客用の高級菓子で、小麦粉と米粉を練って、縄のかたちにねじったもの、あるいは、それをさらに油で揚げたものとされている。「索餅」は和名をむぎなわ(麦縄、牟岐奈波〔むぎなわ〕)というが、「索餅」と麦縄の言葉が奈良時代から鎌倉時代の文献によく出てくる。麦縄の麦は、植物の麦のほかに、切り麦、冷麦などをみてもわかるように、小麦粉でつくった「めん」を 意味していた。また、「索餅」の索は縄を意味し、餅は小麦粉を使った食品を意味していた。
したがって、「索餅」と麦縄は同一の食品であると思われる。また、語源の上でも、「索餅」が索麺(さくめん)、素麺(そうめん))と変化したとするのが定説となり、「索餅」がそうめんの原型とされてきた。
(日本食糧新聞社『食品産業事典 第九版』(引用箇所の著者:全国乾麺協同組合連合会 安藤剛久 ))