だから素敵! あの人のヘルシートーク:作家・下重暁子さん

2004.07.10 108号 4面

女子アナウンサーの先駆けとして活躍し、その後エッセー・評論・ノンフィクションなどの文筆活動で、さまざまなメッセージを送り続けてきた下重暁子さん。『不良老年のすすめ』から4年、著作の文庫化を機会に、最近のプライベートの“不良ぶり”について、じっくりお話を伺った。

‐そもそも「不良」という言葉が下重さんに似合わない気もしますが…。

「あなたは不良になれない人だ」と言われます。結局、私は不良にずうっと憧れている人なんです。本当の不良は非常に難しくて、才能が必要で、なかなかなれません。でもそれらしいことはできます。

私が言う“不良”は、私たちを縛っている世の中にあるものからすべて自由になって生きる人のことです。企業人だろうが、フリーで仕事をしていようが、若い時は縛られて生きています。女の人も子育てや家庭がある。そういうものから解放されるには、ある程度年を取らないと無理。だから一番いいのは年を取ってからなのに、そこで自由に生きない人が多いでしょう。それではつまらない。

例えば男の人は、名刺に肩書を書くのが好きな人が多い。パーティーでばったり会って、相変わらず昔の肩書が書かれた名刺を出して「まだ新しい名刺ができないんだ」と。「俺は昔はこんなに偉かったんだ」ということが言いたいわけです。これでは自分の中身は何もありませんと言っているようなものです。いまボランティア活動をしていることが名刺に書かれたりしていたら、いいですよね。例えば私の友だちで『京都・長岡京の竹林を守る会』なんて名刺を持っている。楽しそうですよね。

‐下重さん自身も「縛られていた」実感はありますか。

組織に一〇年ぐらいいて、後はフリーで何年か。テレビの仕事をすれば、その局の影響を何かしら受けていました。でも年を取るにつれて一枚ずつ着ていた衣を脱いでいけた感じです。昔は人見知りで仕事以外では全然しゃべらなかったのが、「この頃はよくしゃべるわね」と言われます。自分をよく見せようという気持ち、気取りがなくなった。ある種の開き直り、自信ができたんでしょうね。若い時は自分の中身を見られるのは恐かった。それは当然の話です。

五〇歳を過ぎた頃からです。その頃は平均寿命は八〇ぐらいということで、成人した時から数えるとちょうど真ん中。これから倍以上生きなければならない、大変なことだと思いましたね。

年を重ねることは、いろんなものが減ってくるということです。いくら寿命が伸びても、残された年数は確実に減ってくる。体力も落ちてくる。仕事も無理してできないので、お金も入ってこなくなる。そうなると本当に好きなこと、やりたいことだけしかできません。もはや他の人の真似をしているヒマなんかない。自分が本当にしたいこと、これだけは死ぬ前にやっておかなくては…ぐらいのことに集中しなくてはと思いました。そう思ったら、他の人のことは全く気にならなくなって。

仕事はもはや書く仕事しかない。無名だが意志的に生きた人を掘り出して、ノンフィクションを書いてきた。これからはフィクションも手掛けていきたいと思う。

‐現在一〇四歳の“最後の瞽女(ごぜ)”、小林ハルさんを主人公にノンフィクションを書かれていますね。

あれを書いたのは一五年ぐらい前。うちの母の生地・新潟は、盲目の旅芸人、三味線一つで各地を渡り歩く「瞽女」が最後まで残った所です。高田瞽女と長岡瞽女、縁あってご紹介いただき、ある高田瞽女を老人ホームに尋ねることができました。その時、隣の部屋にいたのが長岡瞽女の小林ハルさんです。前に座ったら思わず正座してしまう雰囲気があった。あまりしゃべらないけれど、品があって、存在感があって。一体この人はどういう人なんだろうと。

ずっと通って一年たった時に、ようやく「下重さん」と呼んでくれました。それまでは「高田瞽女のお客さん」。この人は「高田瞽女を尋ねてきた、他の瞽女さんのお客さんである」というけじめがあった。それから三年通って話を聞き、彼女の歩いた後を私も実際に歩きました。いまでは道がなくなっている所を野越え山越えするから大変でしたが、ハルさんに感激して歩きました。そして書きました。ハルさんの存在そのものに感激したんです。

「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」といつも言っていましたね。いい人との旅は祭りのように楽しい。意地悪な人と一緒に仕事をして歩かなければいけない時は、これは自分にとっての修行であると。向こうが悪いことでも全部自分に引き受ける。そういう考え方、生き方です。一言で言えば耐えること、それを自分の中で違うもの、エネルギーに変えていく。いまの私たちに一番欠けているものです。

明治時代の女の人がなぜあんなに存在感があって、強くて、美しかったか。自分の中で耐えているからでしょう。耐えるのは溜めること。例えばエンジンが働くには、吸入・圧縮・爆発・排気という順番がある。爆発力を大きくするにはその圧縮力を大きくしなければ。私たちはすぐに出してしまうから、爆発力が小さいんです。

昔は本当に美しい人がいた。自分の中で溜めて溜めて力にして、その中からにじみ出る美しさがありました。

‐下重さんの日常の健康法、不良を実践するため、心がけている生活術を教えて下さい。

根本的にはまず自分を知ることでしょう。心もだけど身体のことも。いまは情報が山ほどあるからそれに振り回されてしまって、身体の声に耳を傾けられなくなってしまう場合がありますね。情報は全部取り入れていたら大変、それに縛られてしまう。何を取り入れて何を捨てるかです。

痛いとか痒いとか。お医者さんよりも自分が一番分かる身体の声を耳を澄まして聞く。私は小学生の時、結核の初期で二年間学校へ行けなかった。二度とああいう風にはなりたくないので、そういうクセがついています。決して無理はしません。特に寝不足はダメで、その日寝られなかったら次の日はちゃんと寝るようにしてきました。

それから逆説的だけど、いつもいつも気をつけていたら人生はつまらない。たまにはおしゃれして出かけて行って外食する。そのためにも普段は粗食にするメリハリが大切です。私は朝は苦手だけど、月に一回ぐらいはペースを崩して、早起きをしてみたりする。

お酒に関していえば、昔はすごく強くて、みんなと遅くまで飲み歩いた。最近はそんな日常はないけれど、たまに朝3時までバーにいたりする。若やいだ気持ちになります。

メリハリを自分で演出する。同じことをやるにしても少し工夫する。散歩も行きとは違う道を通って帰るように。昨日ときょうでは違う道を通るように。そうすればすべてが目新しいでしょう。「えっ」と思う発見があります。

‐『不良老年のすすめ』では、プライベートではクラシックバレエと声楽にのめり込み、たくさんの新しい出会いがあったとありました。あれから四年、進展はありますか。

何でも一〇年はやると決めていますから、バレエも一〇年以上やりまして、いまは地唄舞いに夢中です。母が山ほど残してくれた着物を着たくて、日本舞踊を始めたいと。

三年は全く音がとれなかったけれど、人間というのは恐ろしいものでいまはずいぶん耳に入るようになりました。私は言葉には興味があるから、そこから入っていって。歌詞が素晴らしいんです。日本ものも分かるようになって、歌舞伎座へ行っても昔とは見方が違ってきましたね。

これからの時間は限られているから、趣味でも試行錯誤してあれもこれもはダメです。本当に好きなものだけやる、あるいはせいぜい二つぐらい。私の場合は、一番感受性の強い中学生時代に戻って、当時興味のあったことを思い浮かべてみました。そうしたら歌うことと踊ることが出てきた。その二つをやっているだけです。

いい趣味があれば友だちは自然にできてきます。学生時代はこんなにしゃべらなかったので仲のいい人は一人ぐらい、最近になってたくさん、それも若い友だちが増えました。これは何だろうと思ったら、私が知らない間に自由になって心を開いているから入ってきやすくなっているんですね。

本来の自分で勝負して、それがイヤなら結構という感じでいる方がいい。だから多少は不良になれたんじゃないですか(笑)。

こびを売る必要は全然ありません。友だちとつき合うのもいいけれど、人間結局は一人です。それを恐れてはいけません。個性の「個」は孤独の「孤」だと私は思います。孤独でない人は個性的にはなれない。自分の心に問いかける時間がなくては。

こびず、甘えず、へつらわず。最後までそんな感じで生きたいですね。

●プロフィル

しもじゅう・あきこ 作家。1936年、栃木県生まれ。早稲田大学卒業後NHKアナウンサーとして活躍。その後、文筆活動に入る。『純愛 エセルと陸奥廣吉』『物語の女たち』など著書多数。ペンクラブ副会長。

今夏から冬までは、クラシックを日本に根付かせて100歳まで日本で生きたアメリカ女性のノンフィクションを執筆する。また日露戦争100周年の今年、「私のルーツ」を探る旅順への旅も計画中だ。「ノンフィクションにするとおしつけがましくなるので、フィクションで書きたいですね」

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