らいらっく人生学 エッセイスト・富永春雄 仕事人間60代の選択
六○歳前後は、実に足元が定まらず、あやふやな年頃ではないか。人によってさまざまであろうが、少なくとも筆者の周囲を見渡すと、自分自身を含めてそのように思う。昔でいえば“ご老人”であり、孫に囲まれて楽隠居、現役であれば奥の院に収まる大御所である。
ところが、現代は違う。サラリーマンであれば、まずリストラ候補の筆頭であり、仕事に捧げ尽くしているから家にも、ご近所にもいる場所がない、というのはもう言い古された愚痴というものだろう。特にやりきれないのが、病気との付き合いである。
若いつもりでも、身体のあちこちに故障が生じている。このごろ友人、知人からガンを筆頭に病気の便りが引きも切らない。
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M氏は中堅メーカーの役員だが、数年前、子会社の社長に天下った。筆者とは仕事でもプライベートでも格別のつながりはないが、その会社が禁煙を社是とするため時々、わがオフィスにタバコをふかしにくる、といった程度の縁である。
しばらく姿を見ないと思っていたところ、ふとふだん着でやってきて
「今度、直腸ガンの手術を受けることになりました。やっぱりタバコを吸い過ぎたとがめでしょうか…」
との挨拶だが、さして憔悴した様子もない。聞けば、会社にも辞表を出し、さばさばした気分だという。
「実は一年前から、ポリープがガン化していたのは分かっていたのですが、会社の業績が思わしくなく、忙しさにかまけて放置していたのです」
M氏は再建策を作成し、自分なりに目算もあったのだが、親会社が見切りをつけ、子会社を整理するよう指示があった。ここでやっと、M氏は仕事人間を止める踏ん切りがついた。四○年近くも世話になった会社ではあったが、怒りがこみあげ、まったく愛着がなくなったという。
以前、この欄で会社に内緒で肺ガンの手術を受け、何げなく職場復帰を果たしたN氏の話を紹介したことがある。それはM氏が治療を一年間、見送った心情と相通じるものがあった、と思われる。
M氏は、任された会社を再建し、のちに安じて会社を辞し、治療に専念しよう、と考えたに違いない。
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これが、七○歳を超えたとなれば、あれこれ思案するまでもなく、病院を新しく採用された会社と心得、日々、“出勤”すればいいのではないか、といったら先輩諸氏に怒られるだろうか。
壮年を過ぎ、やや体力の衰えを自覚するころから、不摂生から卒業し、体質改善に努力しなければ、と意識する。しかし、あっという間に還暦がやってきて、手遅れとなる。仕事を捨て切れず、専念すべき治療もなおざりにする…。
M氏は、自分の生きがいとする会社を潰すことになって、やっと我に返れただけ幸せというべきか。しかし、病気から脱出したのち、しっかりと地面に足をつけられたのか、今度、会ったらぜひ尋ねてみたい。