牛乳配達今昔物語 宅配ブームで復活なるか牛乳屋さん

1996.01.10 4号 15面

働く主婦や高齢者世帯の増加で倍々に売り上げを伸ばしている宅配サービス。食材宅配は地方特産品・有機野菜などオモシロめずらしい物のオンパレードで、若い主婦にも大人気だ。宅配の老舗・牛乳屋さんもあらたな商品を導入し、宅配人気とカルシウム需要で一昨年前から上向きの兆しをみせているという。

明治37年1月1日の「時事新報」は、東京の最高齢者が一〇二歳で、その食事は一日牛乳三合を温めて飲み、牛肉を主食とし、米飯は一食一碗だけしか食べないと報じている。欧米と違って酪農の歴史のない日本でも、牛乳は古代から貴族階級の人にわずかに薬用として飲まれていた。明治になっても一人あたりの年間消費量はわずか四合(びん牛乳四本分)程度。知識階級・病人・母乳を飲めない乳幼児などごく一部の人のみが消費するにすぎなかったという。

しかし明治天皇が毎日二度牛乳を飲むことが報じられ、牛乳は徐々に普及していった。配達はすべて計り売り。運搬用のカンに牛乳を入れ、漏斗と杓子を持参し、客の差し出す容器に注ぎ入れた。わずか一合の牛乳を売るために六・七里(27キロメートル)でも喜んで配達したという。そして戦後、牛乳はすっかり日本人の食生活に浸透し、カチャカチャとびんをならす牛乳配達の自転車の音は朝の顔となった。しかし、スーパーと紙パックの登場による経営難、店主の高齢化、跡継ぎ問題などで、昭和四〇年代の中頃から徐々に業態変更や閉店を余儀なくされ、昭和五七年には二万一〇〇〇軒あった牛乳販売店も平成六年では一万一五〇〇軒と半減した。ところがまたここにきて、女性就労・高齢化で宅配サービスの需要が伸びた。配達は保冷庫つき原付バイク、顧客管理はコンピューター、商品管理は玄関設置の保冷庫で…と現代的なシステムを導入して牛乳屋さんは生まれ変わった。脱サラ・異業種からの転向者で新たな開店も多いという。

便利なもの・安いものが出回る一方で、本物を求める動きも強まっている。今から二三年前、本当に安心して飲める高品質でおいしい牛乳を求めて、東京の主婦が北海道の生産地まで牛乳を買い付けにいった。その後にできたよつば乳業の共同購買のシステムは、「ポスト」と呼ばれる牛乳集配所から、当番者がメンバーの家々へ配達するもの。今では利用者一万数千世帯、消費量月一二万本という規模にまで発展している。このシステムを支えるのは主婦を中心としたボランティア。「90歳のおばあさんが一〇八本の牛乳を配達しているところもあります」(乳研連合会代表・青木紀代美氏)。「牛乳をきっかけに、今は食・環境・健康などを広く学び、皆で取り組んでいます」という。

牛乳は健康のもと。骨粗しょう症対策は一〇代からの食生活が基本である。またカルシウムは毎日定量とるのが効果的。その点でびん牛乳は二〇〇ミリリットル位の一回飲みきりサイズなので、毎朝の習慣づけの意味でもちょうど良い。「今アメリカと同様日本でも低糖・低脂肪ブーム。しかしいくら健康食品でもおいしくなければね。牛乳宅配の利用者は健康への関心が高くて味にもこだわる人が多いので、宅配専用商品の開発には、栄養面はもちろん味も重視しています」(森永乳業(株)市乳部・峰岸茂夫氏)。牛乳配達だけでなくダンベルなどの健康機器や健康食品の販売、健康情報雑誌の発行など、高齢社会に向け総合的に健康をサポートする付加サービスも広がっている。また牛乳屋さんはもともと地域密着型の商売で、地元の事情通。「うちは半年前にオープンしたばかりで、また自宅と店とが別の場所にある通いの牛乳屋。だからこそ、町内会へ参加したり地元とのおつきあいを大切にして、地域の情報収集には力を入れています」(明治乳業江戸川南宅配センター)。教育や公的機関・病院の情報提供、高齢者世帯の安否確認など、昔に比べて隣近所のつながりが薄い今、わたしたちと地域とのパイプ役となり地元の情報を教えてくれる、そんな牛乳屋さんならではの動く回覧板的なサービスも期待したい。

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