だから素敵! あの人のヘルシートーク:作家・落合恵子さん

2000.09.10 60号 4面

子どもの本と自然食レストランの店『クレヨンハウス』を東京・青山に始めてすでに二四年、次世代を見据えた「食と健康」の活動の草分け的存在といえる作家・落合恵子さん。昨年、朝日新聞に連載した『午後の居場所で』をこのほど単行本として発刊。その「午後」の意味を含め、いま、そしてこれからの活動の背景を聞いた。

‐‐『午後の居場所で』では、以前にも増して優しい視点が感じられます。「午後」とは何なんでしょうか。

「午後」は人生の午後という意味。人生の一章目が終わって、第二章が始まることをテーマに書いたのがこの本です。いまの社会は午前中の輝きにばかり光を当てているでしょう。プライムタイムのTVドラマだって、主演するのは二〇代、三〇代の俳優さんです。午前中の輝きはそれはまぶしく綺麗なものだけど、人生の午後で出会う輝きもたくさんある。もちろん自ら輝くことも含めて、それを大事にしよう、味わっていこうという思いで書きました。

この本では確かに「優しい視点」が目立つかもしれません。女性問題に長くかかわってきましたから、社会に対して「これは納得できない!」と拳を上げることが多かったのも確かです。でも、それはみんながそれぞれ優しい視点で生きていきたいと思っている、けれどそれを許さない社会構造があるならば闘っていきたい、という立場でやってきたもの。だからこの本の中の痛みに対して敏感な私も、私の中に前からあるものだと思います。

ただ少し「のんびり行こうよ」という提案はあるかもしれない。ここ数年間、かけがいのない友人たちを随分見送ってきました。これから午後の時間が始まる時なのに。それで、かなりみんな無理して走り続けているんじゃないかと気になって。一度くらい走り続けるのをやめてもいいんじゃないかな、と。そうは言ってももちろん、現実には前のめりで走らなくてはならない時もあって、いまもって私、両方やってますが……(笑)。

女性の場合は特にステレオタイプな社会のイメージがあるから、それを打ち破る時に元気で強い自分を作ってこなければならなかった。それで自分で一度上げた看板がたとえどんなに重くても下ろせなくなってしまったケースというのが、周囲を見ても私の中にもある。だったら一度くらい「いつも元気」という看板を横において、もう一度「私」というところから再スタートさせたっていいんじゃないかな。いくつになっても再び初めの一歩に踏み出すことはできると思ってますからね。

‐‐老人医療の問題もテーマになっています。どんなことがいま一番問題ですか。

長い間、医療の現場にはヒエラルキーがあって、患者が主役じゃなくて、受け身にさせられがちだった。患者を表す英語「ペイジェント」は「我慢強い人」という意味もある。ここに風穴を開けて「コンシューマー」、サービスを受ける権利のある人にしなくては。特にいまの高齢者は、「自己主張をあまりしちゃいけないよ」といわれてきた世代の人ですから、よけい問題は深刻です。「正しい自己主張をもっとしていきましょうよ」と、心から思います。

人の価値観は様々だから一概にはいえないけれど、例えば、お年寄りに幼稚園児に語りかけるように赤ちゃん言葉で話す場合、ありますね。あれを良しとする人もいるかもしれない。でも中には屈辱と感じる人もいるかもしれない。「言葉がちょっと不自由になったとしても、私は私を生きているんだから、大人の言葉で話かけて下さい」、そういう人もいるはずです。個々の違いを大切にして、年を重ねることをステレオタイプに捉えない意識が大切だと。

私の母は七七歳、軽い脳梗塞とパーキンソン病があって、まさに老いの中にいます。そこには、「どうして前みたいに身体が動かないんだろう、どうして私は忘れっぽいんだろう」といらだってしまう彼女がいる。私たちの世代は、女性問題もやってきた結果、人間って変化していく、自然の推移って当たり前だと捉えられるけれど、母たちの世代はそれをみんなとシェアしたり学習することは少なかった。苦しいとかつらいとかあまり言わない、それはそれで完結された一つの人生だと思うけれど、でも「どうしようもない時はSOSを発していいんだよ」ということを、お互いのコンセンサスとして持っていたい。それでいてお互いの変化を認めた上で、それぞれに自分らしくいられたらと、思うのだけれど。

母や母と同じ時代を生きた先輩たちとこれからどう向かい合い、彼女や彼らからどんな宿題をもらうかが、これから私の軸に据えた大テーマになります。いくつになっても上の世代からもらうことってたくさんありますね。

‐‐自然食のレストランを展開されるだけでなく、レシピ満載のエッセイも多いですが、お料理は好きですか。

ええ、大好きですね。忙しい時も気分転換にもなるので基本的に自分で作っています。最近は本当にシンプルなものがおいしいと思うようになって。あまりソースを使ったものよりも、素材の味を生かしたものがいいですね。

この暑い夏、毎日よく食べていたのは上にいろんなトッピングをした冷や奴。ゴマ油かオリーブオイル、菜種油でもいいけれど、みじんに切ったニンニクで油に味をつけてジャコを入れて炒めて。シソかバジル、ミョウガなんかを細切りにしたのを出来上がったジャコと混ぜてのせる。お醤油をかけたり、お酢をたらしたり、ラー油でもいい。非常にシンプルだけど、おいしいです。この前、在日の韓国の女友だちに教わった韓国風お好み焼きもいま凝っているものの一つかな。ジャガイモをひたすら、疲れるくらい千切りにする。それからニラを四~五センチのザク切りにして、ボールの中で片栗粉をまぶす。お塩を少々、好みによっては七味唐辛子を入れて。それを熱したフライパンにおいてジュウジュウ焼く。アツアツを辛子醤油なんかでいただくと、最高です。

一日中、バタバタと仕事をして、気がついたら明け方くらいになっていたというハードな時は、逆にちゃんとしたもの食べたいなと思います。玄米炊いてお味噌汁作って、ぬか漬けをかき回して出してきて。アジの干物を焼いて、だし巻き卵を作って、前にこしらえておいたおマメがあったらそれも添えて。当たり前のそういうものが、一番いいです。

「きょうは一日野菜だけ」という日も一カ月に一回は作ります。次の日、お腹が気持ちいいですね。私は、精神的にも体調的にも充実している時は、野菜だけ食べたくなるみたいです。仕事を自分自身でコントロールできている時ですね。仕事にコントロールされているなっていう状況では、過剰にお肉とか甘いものが食べたくなります。攻撃的になっているからでしょうか。そういう時は身体が欲しがっているんだから、欲しいものを食べるようにしていますが……。

‐‐前作『メノポーズ革命』で「若さから解放された」という表現をされています。これはどういう気持ちなんでしょうか。

それがいまの自分にピッタリな言葉なんです。自分を外側から縛っていた鎖の一つから明らかに解き放たれて、とても生きやすくなった。解放された結果として、苦さもより強くなるかもしれない。でも、その苦い現実の中に、とても気持ちのいい、スイートな味があることも知った。若さから解放された次のステップとして、より老いに近づいていくということになるかもしれないけれど、それも丸ごと受け止めたい。

いまという瞬間を大切に思う年代になればなるほど、つまり午後の時間ですね、より深く人や自分に恋する季節になるかもしれない。若い頃はできなかった、諦めたもの、それをようやく自由になれたいま、やってみる。例えば「お母さん」や「妻」という役割から離れられたという人もいる。素敵な意味での「ただの私」が「ただの私」の誰かに恋をする。でも人を選択し、人から選択されることに以前より慎重になるということはあるでしょう。もうそんなにたくさんの残り時間があるわけじゃないから、無駄使いはしたくない。それに個性はより鮮やかになっているし、ね。世の中から見たらそれを気難しくなったと言うのかもしれないけれど……(笑)。とにかく、人生の午後はまず自分に恋をしたいですね。

午後以降というのは、より自分が生きたいように生きることができる季節です。大切に生きていきたいと思います。

落合恵子さんのプロフィル

1945年、栃木県生まれ。明治大学卒業。文化放送勤務を経て東京と大阪で子どもの本の専門店『クレヨンハウス』、女性の本の専門店『ミズ・クレヨンハウス』、自然食レストラン『HOME』、自然食材の店『野菜市場』を主宰。82年日本文芸大賞、87年日本ジャーナリスト会議奨励賞、94年産経児童出版文化賞等を受賞。最近の主な著書に『メノポーズ革命 時の贈り物を快適に』(文化出版局)、『わたし三昧』(徳間書店)、『親の悩み方』(河出書房出版)など。

10年前の私らしさにこだわっていると、10年後の自分は不自然になってしまう。それはその時点の私らしさかもしれないけれど、いまの私らしさではないかもしれない。いまの私を生きているならば、いまの私を受け入れるしかないかな、と。

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