だから素敵! あの人のヘルシートーク:歌手・太田裕美さん
4月から始まったNHK朝の連続テレビ小説『さくら』で、日本に送り出した娘をハワイで応援する、主人公の明るいお母さん役を好演している太田裕美さん。「こんなこと、私よく言ってる!」セリフがたくさんの“かなり自分の素に近い”役だそうで、撮影現場も本当の家族のように、アットホームに盛り上がっているのだそうだ。そんな太田さんの、プライベートのお母さんぶりや、これまでのこと、そしてこれからの夢を聞いた。
ご飯は全部自分で作ってます。朝晩に子供のお弁当、ごく普通ですよ。男の子が二人、上の子がもうすぐ一三歳、下の子は一〇歳だからよく食べますね。仕事の日もほとんど、夜遅くになりそうな時は準備しておいてね。上の子が三歳の時から有機野菜の宅配を二カ所から取っているので、週二回、それが来ます。それでお買い物は随分助かります。取りあえず、素材が新鮮でいいと何でもおいしい。だから簡単なものしか作りません。あんまり手をかけないシンプルなものばかり。いまだったらグリーンピースが来たらグリーンピースご飯にしちゃうとか。空豆だったら塩ゆでだけ。そういう感じ。
夕ご飯作りながら、お酒飲むのが好きなんです。そう、キッチンドランカー(笑)。キッチンのシンクの上に、ワインの開いたのとかがいつでも飲めるように、置いてあるの。夕方5時になって、「帰りましょ♪」みたいな放送が街に流れると、「もう5時だわ、夕飯を作る時間、お酒お酒!」ってウキウキした気分になります。サラリーマンの主人は帰りが遅いから、夕飯は子供たちと三人で食べることが多いです。そうすると子供の小さいころは、どうしても「もっとお行儀よくして背筋伸ばして食べましょう」とか「嫌いなものも残さずにね」とかお説教くさくなっちゃうけど、こっちがほろ酔い加減だと、面倒くさくなっちゃって。で、その方が子供たちも精神的に平和でいいんじゃないかなって。そういう時期を経て、いまはもう子供たちもそんなことを言わなくてもどんどん勝手に食べるようになったけれど…。子供たちは勝手に食べて、私はそのおかずをつまみに、楽しくワインを飲んでますね。
自分で「ノンフェロモン系」と言っちゃっているんですが、色気ないですよね(笑)。初めてお会いした方に、「思ったよりも男っぽいっていうか、男の子っぽいんですね」って、がっかりされたり。歌っていた歌のイメージからか、少女っぽいって思われがちなんだけれど、興味があることや考え方とか、“少年度”の方が強いみたい。
子供のころから冒険物の物語がすごく好きでね。「十五少年漂流記」とか「ロビンソンクルーソー」とか。無人島に流れ着いて、自分だったらどうやって生きていくんだろう、なんて。生まれ変わったら男の子に生まれて、冒険家になりたいってずっと思ってた。中学を卒業したらすぐにでも世界に飛び出して、リュックひとつで旅行したいな、とか。そういうかなわない思いというのが強いんだと思う。
それでも旅はしてきました。一番自分を変えた大きなものは、二七歳の時、ニューヨークでアパートを借りて八カ月暮らしたこと。当時、一九八二年のニューヨークって本当に刺激的でエネルギーにあふれていましたね。一日が二四時間じゃなくて三六時間に感じられるような。自分がどんどん元気になる、エネルギーを満タンにしてもらえるような。生活してるだけで楽しかった。六カ月以上はビザがないと行けないから、英語学校の入学手続をして学生ビザをとって行きました。英会話の習得は八カ月なんて知れたものでまあオマケみたいなものだけど、ニューヨークで独りで住んだってことが自分の財産です。本当の意味で自立して生きていくっていうのはこういうことなんだな、と教えてもらった。
だから自分の子供たちがどこかに行きたいといったら、もう「どんどん行きなさい」という感じです。若いうちにいろんなものを見て、いろんな人に会うというのはすごく素敵なことだと思う。ニューヨークに行ったことと、子供を持ったということの二つの大きな出来事がなかったら、いまの自分は全く違ってたでしょうね。そういう新しい自分を作ったポイントってあると思う。
『さくら』は、ハワイの日系四世の女の子が一年間、自分のルーツの日本に来るというお話。私は、そのさくらちゃんのハワイに住んでるお母さんの役。英語のセリフもあります。私は日本人で、ハワイに遊びに行ってダンナさんと知り合って結婚したという設定なので、ネイティブのようには喋れなくてもいいのですが、うーん、もう少し勉強しなくちゃとも思っちゃいますね。
このお母さん像、演っていてかなり自分に近いです。勘当されて、駆け落ち同然でハワイに行って結婚してしまった。そういう思いもかけずに突っ走ってしまうところも自分の中にあるし。ちょっと単純なところとか、そそっかしいところとか。すごく共通の部分が多くて、プロデューサーが私を選んでくれたのはすごいと、感心しちゃいます。
おとなしいイメージを持たれることが多くて。確かに人見知りもするし、だからそれもあたっていないわけじゃないんですが。両極端が自分の中にあって。その時によってAの部分が強い時とBの部分が強い時と交互にある。ニューヨークに行った時とか、音楽の世界に飛び込んだ時とか、思い切って新しい世界に入る時は、何でも思ったらやってしまうという自分の中の強い性格で決めてしまっている。このお母さん像は、そちらの方みたいですね。
健康管理では、一番気を使っているのはやはりノドです。一番のウイークポイント。すごく丈夫な身体なんだけれど、人間、一番大事なところが一番弱いもの。ホントに疲れたり風邪ひいたりするとすぐにノドにくるタイプなんです。でも子供を産んでから強くなりました。規則正しく生活して、ちゃんと食事をするようになったから、ということもあるでしょう。仕事の量が調整できて、酷使しなくなったこともあるだろうし。風邪をひきそうな時はとにかく大量のビタミンCの摂取と、うがい薬でうがいしまくる。あとマスクして。そうすると一晩か二晩くらいで、治ります。
人間基本は中身ですよね。心のきれいは別として、身体のきれいは食べるものからかな、と思って。身体の中がきれいだったら肌もきれいになる、だからなるべく身体にいいものを食べようと思っています。でも暴飲暴食もよくするんですよ。それで肌荒れして、またちゃんとしなくちゃって規則正しい生活に戻して、そんな感じ。
歌は一生の仕事と思っていますので、気長に曲作りしたり、取り組んでいます。二~三年の間に、また新しいアルバムを出したいな。それがいま近いところの目標。それからずっと将来の夢。人生晩年の目標は、スペインの小さな町で若いツバメに囲まれながら、花とシャンパンに明け暮れる日々を過ごしたい(笑)。スペインって行ったことないんだけど、南側の港町ってシーフードもワインもおいしそう、気候も穏やかそうで。家族は日本でお留守番。たまに帰ってきて「みんな元気にしている?」みたいな元気な人生、いいなあ。そんな日々を夢見て、歌っていこうと思っています。
◆プロフィル おおた・ひろみ
1955年、東京都生まれ。74年デビュー。「木綿のハンカチーフ」「九月の雨」などヒット曲多数。70年代、フォークと歌謡曲のふたつのシーンの中間で独自の世界を展開した。85年結婚、2児をもうけて音楽活動は縮小するが、98年にミニアルバム「魂のピリオド」発売。以来歌手としての活動を活発化してきている。2000年夏には単行本『太田裕美白書』(PARCO出版)を出版。