100歳のいまだから、伝えたいこと 医学博士・塩谷信男さん

2002.05.10 81号 12面

先月、都内において「塩谷信男先生100歳のお誕生日を祝う記念講演会」が開催され、氏にあやかりたい2000人が会場を埋め尽くした。ユーモアあふれるお話と呼吸法の実践で、来場者は健康長寿を持ち帰ったようだ。要旨を抜粋したい。

あのねー私、ちょうど一〇〇歳になりました。一人でになったんじゃないんです。なにしろ生まれたときから虚弱児童で「この赤ん坊はいつ息が絶えるか」と、みんなで見ていたくらい。ところがそのころからあまのじゃくでね、期待を裏切って生きちゃった。

けれど身体は弱かった。

“病気の問屋”で大変苦しい少年時代を送りました。それで三〇歳くらいの時、肺結核になったのを契機に、ひとつ丈夫になってやろうと一念発起、「いままでにある健康法では、もう俺は健康になれない。一人で新しいものをこさえてやるぞ」と考えたのです。当時、肺結核は日本人の死亡原因の一位くらいで、私も当然死ぬはずだった。ところがそこであまのじゃくが顔を出す。「世の中の人がみんな肺結核で死ぬのならば、俺は死なないよ」と。そして編み出した方法が正心調息法という呼吸法です。実践していたら地獄がだんだんあっちに行っちゃった。これは自分の意志の力だと思っています。

人間が九〇くらいまで生きるのは当たり前ですよ。学者の研究によると動物の命は成長期の五倍だという。哺乳動物は二五歳まで成長するので、五倍は一二五。人間の脳細胞の発達は二〇歳までだそうで、その五倍の一〇〇歳が脳細胞の寿命、私はこれが人間の寿命と考えています。だから私とてまだ天寿の年齢にたどり着いたばかり、現時点で長生きといばれるわけではありません。皆さんは信じないだろうけれども、あと一〇年くらいは生きてやろうかなと思っているんですよ。まあ一〇五歳くらいになったら、健康長寿の賞賛をありがたく頂戴しようと思います。

しかし一〇〇歳の私が長生きだと珍しがられるように、ほとんどの人がそこまでいかずに死んでしまうけれど、それはどこか間違っているはずです。何が間違っているか。それはね、ご飯を五日食べなくても死にません。水を一日飲まなくても死にませんよ。しかし息を一〇分止めてご覧なさい。死にますよ。なるほど、呼吸法にこの長寿の秘訣があると思ったわけです。

酸素を深く大きくゆったりといっぱい吸ったら、人間は長生きする。人間の肺は身体全体から見るとかなり大きい。この空洞の臓器が胴体の上半分をほぼ占有していて、胃とか肝臓とかの他の臓器がまとめて下半分に追いやられている感じさえします。では肺の大きさは「間違っている」のでしょうか。そうではありません。このサイズが理にかなったものであると自然がこしらえたのです。けれど大概の人はこんなに広い空気が入る肺を有効に使わずに一〇〇にもならずに死んでしまうんだ。

本日は正しい方法をちゃんと披露しますから、皆さんもう、一〇〇歳まで生きられますね。もし生きなかった人はその呼吸法をしなかった人、怠け者の人です。話は簡単なんだ。理想を言っているんじゃないの。これだけの実際の証拠、サンプルの私が言っているんだから間違いない。

私はいま、ただ生きているだけではありませんよ。ゴルフやったり、こうやって講演をしたり、ものを書いたり。楽しみながら生きている。ゴルフは、冬の寒い時も夏の暑い時も、週二回のペースを崩すことなくほとんど一八ホールをキチンと回ります。スコアは年齢と同じく一〇〇を切ったり切らなかったり、飛距離もいまだに二〇〇ヤード出ます。実はシングルプレーヤーの仲間入りをしたのは六〇歳を過ぎてからのことで、エイジシュート(一ラウンドを自分の年齢かそれ以下で回ること)も、これまでに八七歳、九二歳、九四歳の時、三回達成しています。九〇歳を超えてからのエイジシューターは世界にもほとんど例がないらしく、したがって私はゴルフに関してはむしろ還暦を過ぎ、一〇〇歳に近づいてから、逆に「若返った」といえるでしょう。生き甲斐があるってもんですよ。

百事如意なんですよ。思うことは何でも叶う。何事も思う通りになる。ゴルフもそうだけれど、人間の寿命の摂理を知ったからにはそこまで生きてやろうと思って、私、実際そうなったでしょ。

◆プロフィル

明治35年生まれ。東大医学部卒業。昭和6年に東京・渋谷で内科医を開院、61年、84歳の時に閉院。90歳を過ぎてから自らの体験をベースとした腹式呼吸法「正心調息法」の普及に努める。著書に『健康・長寿と安楽詩』(東明社)『大健康力』(ゴルフダイジェスト社)『自在力』(サンマーク出版)など。

◆正心調息法

●正心‐3つの原則を守って生活する。

(1)物事のすべてを前向きに考える

(2)感謝の心を忘れない

(3)愚痴をこぼさない

●調息

肺の形は、釣り鐘のように上が狭く下が広い袋状。現代人はこの立派な肺の上部にしか空気を入れていない。肩ばかりがいたずらに上下する深呼吸ではいけない。正座でもあぐらでもイスに座っても、病気などの人は仰向けでもいい。座る場合は上半身の背筋をまっすぐに伸ばす。腕はワキをしめ、利き手を上にして親指を交差させそれぞれの4つの指を揃えて重ね空気を包むように丸く中空をつくる(鈴の印)。

息は、鼻から吸い鼻から吐く。

(1)吸息=静かに丹田をめがけて息を押し込む。丹田は「ヘソ下三寸」だが、一般の呼吸法のように腹壁の表面部に位置しているとは考えない。さらに身体の奥、腹壁と背中の中間あたり、人間の身体の上下・左右・前後の真芯にあるとして、そこに「田」の字を置き息を押し込む。すると肺の下にある横隔膜が自然に十分に押し下がり、肺底まで深く空気が入る。

(2)充息=丹田に空気をデンと押し込めたら息を止め、同時に肛門をぎゅっとしめる。数秒ないし10秒くらい。

(3)吐息=苦しくなる前に静かに息を吐き出す。ゆっくりとお腹の力を緩めてへこませながら、肛門を緩める。吸息の2倍の時間をかける。

(4)小息=普通の呼吸を1つか2つ行って、呼吸を整える。

((1)~(4)を1サイクルとし、25回繰り返す)

(5)静息=25回の呼吸が終わったら、丹田に軽く力を込めたまま、静かでゆっくりな呼吸を10回する。この時はすでに瞑想状態に入っている。

●想念

こうあってほしいという思いや願いを「完了形」で念じることで、実現への道筋をつける。例えば「吐息」の時、「全身が全く健康になった。◯◯病が治った」とイメージする

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