ようこそ医薬・バイオ室へ:ベトナムが早く「SARS制圧宣言」を出せたわけ

2003.06.10 94号 11面

連日報道されている新型肺炎(SARS)について、世界保健機関(WHO)の5月29日の発表によると可能性例を含む感染者は八二九五人、そのうち死者は七五〇人で、死亡率は九・〇%に達している。特に、六五歳以上の死亡率が五〇%と際立っている。中国はまだ予断を許さない状態で、WHOも感染者がどこまで増えるか予測不能としている。

事の発端は、二〇〇二年末から中国の広州などで広まった肺炎に対応していた医師の大学教授が、親戚の結婚披露宴に出席するため香港・九竜地区のメトロポールホテルの九階に2月21日に宿泊したことからであった。その後の調べで、この医師はすでに15日から発症しており、ホテル従業員がトイレを清掃した後、便の中のウイルスが付着した同じ道具で別室のトイレも清掃したため、同階の他の宿泊者に感染したことが判明した。同ホテルでは九階で九人、他の上層階で二人が感染し、ベトナム、シンガポール、アイルランド、カナダなどへ帰国後発症した。

そして、同じフロアの宿泊客を訪ねた地元の香港男性が3月4日に「プリンス・オブ・ウェールズ病院」に入院し、院内感染が急速に広がった。さらに、この病院で人工透析を受けていた男性が感染し、3月14日と19日に高層マンション群「淘大花園(アモイガーデン)」に住む弟家族を訪ねてトイレを使ったため、下水の配管などに問題があったこともあり、同マンションで三〇〇人以上の集団感染へとつながった。

一方、メトロポールホテルに同日宿泊していた中国系米国人のビジネスマンは、2月26日にベトナムのハノイ・フレンチ病院に入院し、WHOから派遣されていたイタリア人医師カルロ・ウルバーニの診察を28日に受けた。ウルバーニ医師はその尋常でない症状から「新型肺炎」の重大性を見抜いた。即座に患者の隔離やマスク、防御服などの院内感染対策を指示し、WHOに報告。世界がSARSの存在を知ったのはWHOから警戒警報が出された3月12日であった。

ハノイではフレンチ病院の医師や看護師らが次々と発病して、感染者は計六三人、うち五人が死亡したが、ウルバーニ医師の活躍や、中国国境の封鎖など国をあげての初動対策により院外感染者を出さず、香港やシンガポールなどの医療先進地域を尻目に、ベトナム政府は早々と4月28日、制圧宣言を出した。

しかしながら、多大の貢献をしたウルバーニ医師はSARSに冒され、ベトナムが制圧宣言を行う一カ月前の3月29日に四六歳の若さで帰らぬ人となった。4月15日にアメリカとカナダでSARSウイルスのゲノム情報(核酸の全塩基配列)をそれぞれ解読したと発表されたが、そのうちの一株は彼の肺から採取されたウイルスで、ウルバーニ株と呼ばれている。英BBCでは彼の死を悼んで「聖カルロ」と呼ぼうと言っているが、日本ではあまり報道されていないのが残念だ。

それほど医療が進んでいないベトナムで真っ先に制圧宣言が出されたことは、日本の協力も大きかった。フレンチ病院の他の患者を近くのバグマイ病院に移動させたが、バグマイ病院は日本の支援で建てられ、日本人医師らによる院内感染防止の指導が続けられていたのだ。ベトナム政府の要請を受けて、日本政府は国際協力事業団(JICA)から早期に医師団を送り支援を行った。

それにしても、WHOが3月12日に原因不明の肺炎の流行に対して警告を出してからわずか一カ月の間に、4月8日にはコロナウイルスの変異株を病原ウイルスだと確認、15日にはそのSARSウイルスのゲノム配列が発表され、検査キットまで供給されたことは、バイオテクノロジーの進歩を実感させられるものであった。

(バイオプログレス研究会主宰 高橋清)

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